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2章-(7) 歓迎会/話題いろいろ

私がアメリカ在の姉を訪ねた41歳の時、10日ばかり滞在している間に、大恥をかくようなことをしでかしてしまったのだ。到着したその日に、小5の甥の自転車に目を引かれた。ブレーキ無し、スタンドと荷台無し、ベルもなし。止めるにはペダルを逆向きに回すだけだと言う。たいてい、庭に転がしてあるか、垣根にもたれかけて置いてあった。シンプルこの上なし、合理的な自転車の原型のように思えた。

これに乗れなきゃ、〈自称自転車名人〉の名がすたる、と私は張り切って、毎朝その自転車を乗り回した。真っ直ぐな道に信号なし、警官もいない。 息子達の土産に買った〈カウボーイハット〉をかぶり、ふだん履いたこともない〈息子用のジーパン〉をはいて。もちろん両手放しをするときは、人に見られていないか、周囲を充分に確かめたつもりだった。

ところが、帰国前日に、お向かいの息子の結婚式に姉と共に招待され、その後のパーテイの席で、近所の人たちのテーブルに連れて行かれ、紹介された。すると10数人の人たちが、一斉に姉と私を見つめ、中の1人が大きな声でこう言った。
「やっとわかりましたよ。おふたりは You are like two peas! うりふたつだ。おねえさんは日本女性らしい大人しい人だと思っていたのに、この頃、どうなったのかと、窓越しに見ては家族で噂してたんです」

あの時のショック!穴に潜りこみたかった! 私はエレガントだという日本女性の評判を、がた落ちにさせてしまったのだ。姉は高校時代は、体操選手として県大会にも出場し、逆立ち、平行棒、脚上げ、回転など得意だった。その片鱗も見せず、しとやかに過ごしていたのに。

この話をすると、その場にいた皆が爆笑した。アンナの面白がったことったら!(こんな時も、ハトルやウイルは少し口元をゆるめただけだと、私は気づいた。エリサが言ったように、オランダ女性は心から大笑いすることは、少ないのだろうか)

夫はハトルに、金曜日のハトル家訪問に妻たちと同行してお宅に伺いたいが、講義の方があるので、残念というと、アンナの夫君が、
「我々は妻にはなれない。ハズバンドでいなくてはならない、残念、残念」
と、盛んにジョークを飛ばしていた。

やがて夕食時になると、ハトル夫妻は会員ではないので帰って行かれた。 その時、夫が土産用に持参した〈発電式懐中電灯〉を、夫君のドクターに プレゼントした。

私の席がウイルの真向かいになったので、私は八王子の家の、すぐ近くの グラウンドで、オランダ婦人に出会った話をした。前年の春のことだった。(周囲の男性学者たちも聞き耳をたてていた}
その時は、私がオランダへ来ることになるとは、夢にも思っていなかったので、その人の名前も住所も伺わなかった。その人の話では、11人子どもがいて、5番目の男子が日本の娘と結婚し、2人目の孫が生まれたので、手伝いに来て、2ヶ月間滞在した。が、その間、日本の人とは家族以外、誰とも話す機会が持てなかった。
「あなたとお話しできて、ほんとに嬉しかった」
老婦人はそう言ってくれたが、翌日が成田を出発という前日の夕暮れだったので、それきり別れることになった。
その人の心に一番強く残ったのは、日本には高い高い山がたくさんあること。(八王子は盆地で、周囲は山また山の連なりなのだ) そのグラウンドの ベンチからも、山々が四方に幾重にも折り重なるように見えている。それを見るために、こうして毎日、このベンチに座っていたのだが、それが一番忘れられないことだ、と言っていた。

その話につられるように、ウィルも話してくれた。24歳の時、スペインのピレネー山脈を見た時、こんなに高いものが山なのだと初めて知って、信じられなかった、と目を見張って言った。日本人がオランダに住むと、山が恋しくなるのだ、と聞いたことがある、とも言っていた。


食事の時、夫は野菜を多くし、肉を少なめにしていた。アンナが明日アスピリンをくれるという。胃にひびかず、腸で効き始める薬だとか。

8時45分でお開きとなり、まだ陽射しの残る中を、夫は歩きで私はバスで帰宅。ほとんどの人が、宿の向かいにあるビアホールへ繰り込み、ホテルの部屋に戻ったのは、私たちともうひとりだけだった。

夫は疲れ切っていたが、大学への往復を歩いたせいか、昨日よりはいい、と言っていた。
「私がついてきて、よかったでしょう」
「そりゃそうだよ、ずいぶん助かる」
「足手まといでもあるけどね」
「そんなことはないよ」
だって。クフフ、嬉しい。

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