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1章-(5) 3/10日父の宣告

それからの1週間は、家でも学校でも悪夢のようだった。

みゆきのへやは、ママたちの寝室の隣なので、毎夜遅くまで父と母との話し声が聞こえた。中身が聞き取れないだけに、高く低くこもる声に、よくない想像がふくらんでしまう。

遅くまでガタガタと何かを動かす音がするのは、早くも荷物の整理選択を 始めているのだろう。

廊下をへだてて向かい側のへやで眠っている姉のちはるは、毎日ぐったり した顔で帰ると、食事、入浴、翌日の準備、あとはバタン・キュウで、何も気づかないままだ。みゆきは姉に話するひまもなかった。

姉はますます忙しさが増していて、家のことに気をまわすゆとりはゼロだったのだ。

父がみゆきとちはるを呼んで、事態を宣告したのは、あの日から1週間後のことだった。

階下のリビングに2人で下りて行くと、固く口をつぐんだ母と、背筋を伸ばした父が、テーブルに向かい合い、座って待っていた。

みゆきは父の側に、ちはるは母の隣にすわった。

「おまえたちには、すまないことになった」 

父はまず2人に頭をさげた。そのことから始めなくては、と思い決めた苦汁と潔さが、みゆきには感じとれた。その父の横顔は疲れと心労とで、青黒く沈んでいた。

「なによ、なに?」

それまで家での騒ぎに気づかないままの姉は、目を丸くして父を見上げた。

「結論から言おう。・・私たちは、この家を出なくてはならなくなった。 土屋君の借金の返済の一部を、パパが背負うことになったからだ。すまん」

みゆきはまた、胸がうねり、ねじくれるような痛みを感じた。明美たちは、自分たちが逃げ出したあとに、こんなことになると知っていただろうか。

姉はびっくりして、口を開けたまま、声も出せないでいる。

「私たちは教員住宅へ移れるように、申しこんでおいた。3月だから、移動があるだろう。なければ、仕方がない、どこかのアパートになる。場所は どこになるか、まだわからないが・・」

父はそれから、ちょっと口ごもった。もっと言いにくいことなのだ。

「この家はローンが終わっていないし、家を手放しただけでは、お金が足りない。これからも当分払っていくことになる。2人には悪いが、私立に行かせる余裕はないんだ・・」

「学校を変わるの? 清美には行けなくなるの?」

姉の声は悲鳴のようにかん高くなった。

父はうなずいた。

「そんなことムリ。ひどすぎる。5月の終わりまで、私は生徒会長なのよ!」

姉は母の胸に飛びこむと、わっと泣きだした。母はその背中をなでながら、口をゆがめ震え声で言った。

「恨むわ、あの人たち。こんな裏切りってある?人の好意を踏みにじって、ひと言の詫びもないなんて!」

それから、母は決然としたかすれ声で、こう言ったのだ。

「夕べよくよく考えて、私は決めました。あなたには悪いけど、やっぱり 教員住宅へは、わたしは行けません。大事な商売道具のピアノを、2台運
べるほど広くはないでしょ? 4月末の発表会の練習を続けてるピアノの生徒さんを、途中で打ち切るわけにはいかないし、このまま続ける方が経済的にも助かります。それに、ちはるを転校させるのは、反対です。かわいそう ですよ、ちはるにだって、生徒会長としての面子も誇りもありますもの」

ぐっと言葉に詰まった父を、みゆきは見ていられなかった。よそいき言葉で宣言する母を説得するのは、父にはムリなのだ。

「私が責任をもって、ちはるの授業料を受け持ちます。返済金の方も私も 手伝います。あなたはみゆきを見てやってください」

(えっ!  みゆきはお姉ちゃんと別べつに?  ママとも暮らせないの?)

叫びたいのに、舌が上あごにくっついたようになって、声が出せない。

結局、母に押し切られた形で、いつのまにか別べつのアパートで暮らすことが、決まってしまっていた。

ママはこんなことまで言ったのだ。

「みゆきはパパ似のパパっ子だもの。パパと行く方がいいよね。食事なんか大変になるけど、わからない時は、いつでもメールか電話してね。なんとかして、月に一度は4人で食事しましょ」

(勝手に決めないでよ!)

みゆきの胸にたまっていく怒りの一部は、母への思いもあった。高校の数学教師の父を尊敬していたはずなのに、あれほど仲良さそうに見えたのに、  どうしてこんなたいへんな時に、いっしょに住んで、助けてあげないの?  家族じゃないの!

それに、みゆき自身も、なんだか母に見放され、見捨てられた気がしてならなかった。もともと母と姉はどちらかが歌い出すと、すぐに2部合唱に合流していくほど、気が合っていた。みゆきは感心して聞いているだけで、音痴の父と同様、ついていけない。

積極的で社交的で陽気で活発な姉は、母にそっくりなのだ。正反対のみゆきが、こんな時選ばれないのは、当然のなりゆきなのかもしれないのだが。

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