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5章-(4)欧州の話・日本帰着

機上での一夜は、帰りもまたほとんど夜を迎えることはなく、窓の外は明るいままだった。10時間たてば、日本に到着するはず。半分うとうと状態が続いていた。

隣の席の、紺のスーツ姿の美人が、耳にヘッドフォンをつけたまま眠りこんでいて、漏れてくる音がいつまでも耳について、熟睡はできなかった。

そのうちに目を覚ました彼女と、話しこむことになった。

彼女は添乗員を5年目のプロだった。この時も、同じ機内に、引き連れて  きた人たちが10人乗っているそうだ。私も自分の旅の話をした。ナイメーヘンが日本のガイドブックには載っていないが、素晴らしい景色と歴史の  ある町だったこと。コーヒーショップはドラッグが売られている目印の看板で、入らない方が良いことなど話した。

「添乗員のお仕事で、何が一番大変ですか?」と、問うてみた。
「客が病気になるのが、一番困ります。飛行機の遅れや、着陸変更、コース変更など、さまざまありますけど、それは何とか別の方策で対応できます。でも、病気は本当に心配で、ひとりでは身動き取れなくなることもあります」
なるほど、そうだろうな、とその大変さが想像できた。

埼玉大学を出て旅行会社に4年勤め、フリーになったばかり。今は仕事が 入ると1週間から2週間出かけるが、また自由な時間が持てる、という形になっている。結婚したいけれど、もらってくれる人がいません、ですって。

世界の30カ国以上を訪れた、というので、どこが一番よかったか、印象に残っているか伺ってみた。

「一般的には北欧がすばらしいけれど、個人的にはスペイン、ポルトガル、イタリーあたりがいいですね。イタリアは今、最もブームで、1年中どの 季節に行っても、黒山の人だかりの感じです。日本人がとても多い。でも、ポルトガルは一番の穴場で、景色はいいし、人がとてもよく、ゆったりしているのが気に入ってます。スペイン語を少し習ったことがあるので、今ポルトガル語を勉強し始めてみると、共通点が多くて、フランス語とも繋がってくるんです。ラテン語の繋がりがあるからなんですね」

その話をきいているうちに、オランダに着いたばかりの空港の駅で、アムス行きの電車を待っていた時、ホームで出会ったポルトガル女性の顔を思い出した。人なつこい、情の深い雰囲気のステキな女性だった。今頃アメリカを旅しているはず。あの人のいたポルトガルはきっと、穏やかで時がゆったり流れる、自然に恵まれた土地なのだろうな、と思いを馳せることができた。

話しこんでいる内にアナウンスが流れ、早くも降りる準備で機内はざわつき始めた。

成田空港からバスで東京駅へ。こちらは梅雨に入っていて、曇り空だった。

中央線の窓から見える東京の灰色の高層住宅ビル街は、ひどく味気なく、趣のなさを感じさせる。あのひとつひとつの窓辺やベランダに、花鉢を飾り、ベランダの手すりにバラやツタをつたわせたら、見る人をどんなになごませるだろう。オランダでの家々のたたずまいが、目に焼き付いてしまった私としては、ため息をつきたくなるのだった。

そんな私が、だんだん八王子に近くなってくると、少しずつ自分を取り戻していた。窓から遠く見えるのは、八王子を取り巻いている低山とその奥にそびえる山々だ。緑の木々のなんという多さ、家々の庭に見えるさまざまの庭木類!オランダでは見当たらない風景だった。

この〈雑多性〉!これこそが、日本らしさなのだ。ごちゃごちゃと多種多様な家の作りと、庭木の多様性!敗戦間際に多くの都市が爆撃にやられて、焼け野原になった町が多かった。八王子もそのひとつだ。その後の復興を経る間に、それぞれの経済力と好みで建てられた家々が、今の日本を形成しているのだ。オランダの町には、あの重厚な歴史を感じさせる建物が、運河沿いにかなり残っていて、すばらしかったが、庭木や草花の乏しさには驚いたほどだった。

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