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1章-(6) アンネの家など(6/1)

夕べホテルの浴室で感心したのは、環境保護のため、余分なタオルの洗濯  自粛を、英文で訴えるメモがあったこと。再度利用するタオルはレールに 掛け、取りかえてほしいものは、床上に置くという取り決めだった。バス タオルだけ床上に置き、フェイスタオルは自分で洗って干して、協力した。

夫が準備してきたロープに、夕べ干しておいた肌着もタオルも、朝にはすっかり乾いていた。これなら着がえの荷物を減らすべきだったと後悔。

朝食のため2階へ下りる。大学生協を通じてホテルを予約した時、予告されていたメニューは「パンと紅茶」だけ。他にサラダなどもあるが、別料金と付記されていたから、期待はしていなかった。ところが、とんでもない間違いだった。

大変に豪華なセルフサービスの朝食だったのだ。何種類ものパン、飲み物、ハム、チーズ、果物、ヨーグルト、卵も数種類、温野菜類、いためベーコン、シーリアル数種類、その上、デザートも選び放題だった。1週間滞在しても、食べ切れそうもないほどだった。

従業員はインドネシア人らしく、片言英語で応対している。私たちの他
には、数組のヨーロッパの人たち、それに日本人夫妻と、ひとり旅らしい
老日本婦人がいた。
チップを気にしていたら、誰も置く様子がないので、見習うことにした。
 
へやに戻ってから、持参の赤い折り紙の1/4で、ミニかごを作り、その中に1ギルダーを入れて、Thank you と、書き置きしておいた。

さて、それでは、今日の町歩きを始めましょう、と、まずは、トラム14に乗り、「アンネ・フランクの家」に向かった。Westerkerk で下車。9時過ぎ、早くも行列ができている。曇り空で肌寒く、なんとなく沈鬱な雰囲気の列だったのに、日本から来ている老ダンスサークルの一団が、朗らかに賑わしていた。写真を取り合ったり、からかいあったり、それを前後の青い目の 人たちが無言で見つめていて、非難している感じがして胸がチクチクした。

高校の英語のテキストで、何度も扱った『アンネの日記』のへやが目の前にあった。新劇の舞台でも何度も見ている。家の見取り図の模型、強制収容所の写真、アンネの生涯をたどるビデオなど、胸塞がる思いで見た。しかし、それらは皆、一応予備知識として頭にあるものだった。

が、いよいよ本箱の裏の急階段を上って、狭い部屋に入り、アンネのへやの壁を見た時、涙があふれてならなかった。その壁には、アンネが大好きだった女優や王族の写真の切り抜きが貼ってあったのだ。その切り抜きを通して、本当にここにこのへやに、強い意思を持ち、好き嫌いもはっきり持った、夢に溢れた個性豊かな少女がかつて生きていたのだ、とはっきり実感 したのだ。

ペーターのいたへやは、部屋とも呼べない、階段裏の2畳もない空間だった。トイレ便器が青の模様入り陶器で、アンネ一家のかつての豊かさを  しのばせているようだった。ヴァンダーン一家の住んでいたへやは意外に 広く、ヴァンダーン夫人のわがままぶりがあらためて思い出された。

1階の販売所に何十カ国語にも訳された『アンネの日記』が並んでいた。 絵はがきと本を買った。入場料は12.5ギルダーだった。

外へ出ると、10時40分。次の行き先を考えていたら、「1時間で運河巡りを」という船が、5分後に出るとわかり、私が乗ろうと言い張った。夫は「今日1日しか2人で出歩けないから、今日はみえ子の言いなりに動くよ」と言ってくれて、2人で乗りこんだ。

船からの眺めはすばらしいものだった。並木に縁取られた運河沿いの建物群。14世紀、17世紀頃からの町並の見事さ!たまに現代物が、ガラスとコンクリート仕立てで割りこんでいると、場違いの軽さ、センスのなさを感じさせる。

破風のレリーフや屋根の切妻の形の多様性など、見る値打ちのある物が多い。教会の塔や「涙の塔」「クレージー・フロック」など美しい建造物だ。

運河にも、ひとつひとつ名前がついている。「プリンセス運河」「カイゼル運河」など。外界を閉め切った内海の港なので、波は穏やかで観光船が何隻も行き交う。若者達は4人一組で、1台のミニボートを必死で漕ぎ進めている区域もあった。

船長が時々、船を止めては指さすので、目を向けると、あっちでもこっちでもちょっとした浮いた物の上に、水鳥たちが巣を作って、かえったばかりのヒナたちの様子を、船長は見せてくれようとしていた。ある父鳥は発泡スチロールの弁当の空き箱をくわえて戻って来て、巣を補強しているところだった。橋の下の小さなくぼみにも、ハトたちがいくつも巣を構えていた。

たっぷりと景色を楽しみ、陽射しもたっぷり受けて暑くなったが、地上へ 出ると川風が心地よい。朝は寒くて、2人とも防寒ジャケットを着こんで 出たのが、正解だった。室内ではぬぐことになるが、外へ出ると、陽射しはあっても風が強く、コートを着てちょうどいいくらいだったから。

ナイメーヘンへの地図を買うため、本屋を探し歩いた。土曜日ゆえか人通りは多く、ストリートオルゴールを鳴らす人、大道芸人、音楽家、絵描きなどが、道行く人々から、帽子にお金を入れてもらっていた。  

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