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1章-(7) 事は動き出してる

「・・帰るみちみち、考えたんじゃがな・・」

とうちゃんは、冷めてきたゆのみを、手の中でもてあそびながら、とつとつと話だした。

「この話を、大旦那様にもちだしたんじゃけん、もう、事は動き出したん  じゃ。おくさまを、乗り気にならしといて、今さら、引っこめるわけにゃ  いかん。つるも、うちの方も、えれぇこっちゃが、おくさまにお願ぇしといたんじゃ。週に一度でも、かよを返してもろて、わしらの手におえんことを、やらせてほしい・・とな」

「そうじゃ、とうちゃん、とめ吉じゃって、ようてごう手伝いするで。わしも、めしたきぐれえ、やってみらあ」

あんちゃんの大きな目が、ランプの灯を受けて こわいほどギラギラしている。

「とうちゃんじゃって、かよが小せぇときゃめしたきはやっとったんじゃ」

とうちゃんが、ぼそりと言った。

「ほんまか? うち、もっとやってもらうんじゃった」

かよが、すねた甘え声を出すと、とうちゃんは声を出さずに、口を開けて  笑った。

納戸から、いせいのいいつるの泣き声がした。そろそろ、おなかのすく頃だ。かよははずむように立つと、七輪の残り火にかけてある、小鍋を取り上げた。

「つる、待っとってよ。今、あげるけんな」

かよは声をかけながら、納戸に入って行った。

とうちゃんは仏壇に灯明をあげ、両手を合わせて何やら口の中で言っている。きっと、つるのことは、安心しとれよ、とかあちゃんに報告しているに違いない。

次の日から、かよはすえと、とめ吉を前以上に心こめて相手を続けた。

かよの背に頭をおしつけて、すえはククククと喜んでいる。ねえちゃんが  おんぶして、庭から川伝いに歩いてくれることが、嬉しくてならないのだ。

「重てぇな、すえ。はよ、大きうなあれ」

中島へ、一週間後に行くと決まったことは、すえにはないしょだ。中島のおくさまは、つるのためには一日も早い方がいいとおっしゃって、かあちゃんの49日も待たずにもらわれることになった。

とめ吉は、丸い目に涙をいっぱいためてうつむいた。かあちゃんが死んで、ねえちゃんとつるがいなくなる。とめ吉には、あまりに重すぎる痛手が続く。しゃくりあげるとめ吉を抱いて、かよも泣いた。それさえ、すえが昼寝をしてる間の、ないしょ事であった。

とめ吉に、押し入れの中の、肌着や替え着の置き場所を教え、みそ汁や、 お菜の作り方もやってみせた。

「7つ寝たら、帰ってくるけん、食い物はここにあるで」

夜なべに、かよは、炒り豆や、干した空豆を煎ったものや、麦を煎って粉にしたものを袋に入れて、空き缶に詰めておいた。

庭先の小さな畑の青菜を、みそ汁に入れたり、ゆでてしょうゆをかけたりを、とめ吉に教えた。米びつには、麦がはいってるだけだ。麦にじゃがいもを切り込んで、炊くことも教えた。つるのための米粉は、小さな缶に入れてある。大事な米を、石臼で粉にしたものだ。

飲み水運びは、あんちゃんが毎朝早くに、両天秤で運んでおいてくれることになった。

隣のシカ婆は、かよとつるが中島へ行くと知って、時間を見つけては、つるの行水を助けてくれた。中島のおくさまに、汚れたままのつるを、渡しては恥じゃけんのう、とつぶやきながら・・。そして、かよが留守にしている間に、とめ吉の台所仕事を、ちいとはのぞいてやるわい、火事でも起こされたら、めいわくじゃけん、と言ってくれた。かよは深々とお礼のおじぎを繰り返した。

シカ婆はもうひとつ大事なことを教えてくれた。生まれて間もない赤ん坊を、背中におんぶしてはいけない、というのだ。首が座ってないから、胸の前に、抱いた方がいい。ネルの腰巻きに太いひもをつけて、かよの首と腰にまわして縛ればいい、と。寒ければ、ねんねこを後ろ前反対に着てもいいと。

かよはすぐさまその用意をした。

あれもこれも、気にかかることばかりだ。けれど、とめ吉は、けなげにかよの役目を引き継ごうとしている。かよは切なくて、とめ吉をぎゅうっと抱きしめて、ささやいた。

「ねえちゃんが帰ってくる日を、待っとってな」

すえをおぶったり、ふろに入れたり、遊んでやったりしているうちにも、別れの日は、ようしゃなくやって来た。

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