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 1章-(5) 流された子ら

翌朝早く、とうちゃんはまた中島へ向かった。片道2時間近くかかる。

「つるは納戸に寝かせて、ようめんどう見とけよ」

口数の少ないとうちゃんの言いつけを、かよはとびたつ思いできいた。      とうちゃんが〈つる〉と呼んでくれた。あの子は〈つる〉よ!とうちゃんは、つるが大事なのだ。

中島には、とうちゃんの実家がある。大旦那様の広い広い屋敷の一郭に、  じいちゃんや喜平おじさん夫婦と従弟の啓一が、小作人一家として住んで  いる。そこへ行けば、なんとか方法があるのかもしれない。それに、やり  残しの田んぼの仕事もしてくるつもりなのだ。

帯江にいたかあちゃんが、中島のとうちゃんと結ばれることになったのは、中島の大旦那様の長女の糸さまと、女学校で学年は違っていたのに、まるで姉妹のように仲よしだったからだ。3歳も年上の糸さまのお屋敷に何度も  招かれたり、泊まり込んだりしていた。 

それでとうちゃんと顔見知りになり、言葉を交わすようにもなって、その  うち好き合うようになったのだって。これは、あんちゃんがお屋敷の下女の誰かに聞いて、かよに教えてくれたことがある。

あんちゃんはその日も朝暗いうちから、山すそにある開墾地へ、本家の牛をつれて、本家のために畝起こしに出かけた。開墾した土地の半分は、もらえることにはなっている。それがすめば、種まきがある。春先は、一時に仕事が押しよせる。じゃがいも、大豆、ニンジン、なす、ダイコンと、時期を  逃さず種をまき、苗を育て、植え付けをしなければならない。雑草は、野菜よりもたけだけしく、たくましく伸び始める。

かよはかよで、脚にまといつくすえを、とめ吉に相手させて、庭先で遊ばせ、自分は再び井戸へ向かった。とうちゃんが一度は汲みおいてくれたものの、とむらいの客あしらいで、桶はすぐに空になってしまったのだ。門口のサカキの枝と、ユキヤナギの枝を折り採って、手桶といっしょに持った。

「すえ、つるが目を覚まして泣いたら、ねえちゃんを呼びに来るんで」

とめ吉もあんちゃんも、しげ伯母そっくり、つまり本家のばあちゃん似の  丸っこい体つきをしている。けれど、両親からやさしく辛抱強い牛のような気性を受け継いでいた。死んだかあちゃん似のかよは、小柄な細身だが病気で寝こんだことはほとんどなかった。

かよは小走りに駆け続けた。腰の曲がった西隣のシカ婆が、野良着にくわをかつぎ、片手に土瓶をさげて、あぜ道へ向かっている。

「水がみてたなくなったんか、かよちゃん。可哀かええそうに」

かよがうなずいて、駆けぬけようとすると、シカ婆は身を起こして、声を ひそめた。

「そりゃそうと、赤ん坊はどげんしたんなら。かあちゃんは産んでから死んだろうが」

「元気に生きとる。うちが育てるんじゃ」

かよは細い目を、いどむように輝かせた。

「ほう、できるかのう。乳は、どげんしよんなら」

「おもゆと、米の粉じゃ」

「よう知っとるな。困ったらこの婆にきけ。あんたの優しいかあちゃん  にゃ、よう世話になってのう。恩返しせにゃ・・」

シカ婆は、歯のほとんどない口元をすぼめて笑うと、またぽくりぽくり去って行った。

かよはシカ婆についてのうわさ話を聞いている。若いとき、きつい姑さんに、7人産んだ子どものうち4人までも、汐入川に流されたことを。腰が 曲がったのも、歯がないのも、わずかな食物で、働きづめだったせいだと いうことだ。

井戸端のお水神さまの前の竹筒には、だれが挿したのか、桃の枝が生けて ある。ほこらの上には、満開のツバキが、かわらずおおいかぶさっている。かよが白いユキヤナギの白い枝を竹筒にさすと、そこだけひっそりとだが、凜と浮き立って見える。なんだか、かあちゃんの立ち姿のようだ。

「この井戸は、ふしぎぞなあ。200年以上もたつのに、一度も枯れたことがねえそうな。お水神さまは、たしかにおられるんじゃ。大事にせにゃ」

かあちゃんはよくそう言ってた。かよにも、その思いは引き継がれている。

井戸の綱紐をひっぱり上げていると、頭上でカラスの鳴き声がする。アー アー。種をまいた畑をねらっているのだろう。

ふいに、かよの耳に、いつか聞いた話が聞こえて来た。

「男ならあおむけに、おなごならうつぶせに、ヨシで編んだ船に乗せて、 流すそうな。カラスがぎょうさん 死がいに群がってきてな。むげぇもん じゃ。わしゃ、見たことがあるんじゃが」

ランプの側で、田中の留じいやんが話しているのを、かよは真っ暗な納戸の布団の中で聞いて、身震いした。

うつぶせになった、つるのやわらかい背を、カラスの鋭いくちばしがつつく。アーアーアー。かよはうめいて、頭をはげしく、いやいやと振った。 つるべを持つ手を急がせた。早う帰ろう。つるが泣きょうるかもしれん。

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