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 6章-(8) 発言の余波

近藤先生は皆の意見を聞いて、こう続けて言った。

「それぞれに心に残るものがあって、この本を選んでよかった、と私も思いました。マルタが欲しがっていたのは、心の支えになるもの、精神の糧だったのですね。マタイ伝にあるように、『人はパンのみに生くるにあらず』。グレゴリーは、心の中にやさしさや思いやりを持っているのに、外に出せない子だったけれど、教会でマリア像に見つめられる時も、自分でマリア像を造っている時も、心の平安を覚え、像から温かさと誇り高さを感じ、自分が励まされているように感じています。

そしてマルタがグレゴリーにはわからないウクライナ語で、感謝の祈りを捧げると、体中がぞくぞくして、聖なる者への畏敬の思いが人を励まし、精神性の大切であることを感じている。それで、彼も励まされて、新しくできた友人たちの、帽子屋さん、お菓子屋さん、それにママにも、マリア像を造ってあげようと思う。

作るという喜びそのものもあるけれど、それをもらって喜ぶ人たちが、自分と同じように、心の安らぎや喜びを得て欲しい、とグレゴリーは思ったのでしょうね。マルタを喜ばせたい思い、つまり Love for Marta から、グレゴリーは自分だけの世界から抜け出して、他者とのつながりが出来、一段と成長しましたね」 

先生のまとめに全員で拍手して、1学期最後の〈読み物〉の時間は終った。

佐々木さんや横井さんやほかの人たちも、香織の席にわざわざ寄って来て、話しかけてくれた。香織は恥じらいながら、ニコニコしていた。まるで、 香織の存在に、4月以来、皆が初めて気づいてくれたみたいだった。

4時間は国語の高田先生が風邪とかで、お休みとなり、B 組は自習時間と なった。

ベルが鳴って、皆が席に落着くと、クラス委員の佐々木さんと松井さんが 教卓の前へ出て、こんな提案をした。

「この時間を使って、9月の文化祭についての相談をしませんか?何をしたいか、大体のことでも、決めておきましょうよ。期末試験が終ったら、もっと詳しく分担などを決めることにして・・」

すると香織の隣の席の、横井さんが声を上げた。

「私の姉は今3年生だけど、1年の時は、6組のうち、3組が劇をして、 2組は出店をして、もう1クラスは占いをしたのですって。それから、全 クラスがそれぞれに、何かについて調べて、写真や展示物を教室にいっぱい貼って、見学者に説明するのもしたんですって。舞台や出店と、教室でやるものと各クラス2種類やってるみたいよ」

「それだと、劇にしても、展示物にしても、夏休みを使わないと、間に合わないよね」
と、数学の得意な前田さんが言い出した。横井さんがすぐにうなずいて言った。

「そうよ、うちの姉も夏休みは何度も学校へ通ってたわ。劇をやって楽し そうだった」

「笹野さん、あなた、何か思いつくことないかしら?」
と、佐々木委員長が笑顔で、香織に問いかけた。香織はびっくり、ドギマギしてしまった。

「あ、あの、私は寮生で、寮は7月末で閉められるし、私はその前に大阪の家に帰るので・・夏休みは・・」

「あら、笹野さんは寮生だったの! 知らなかったわ。うらやましい!」 と言ったのは、卓球部の内田さんだった。

松井クラス委員が、皆を見まわして、尋ねた。

「他に帰省したりして、夏休みに来れない人、いらっしゃる?」 

誰も手を上げなかった。

「あら、珍しい、このクラスの寮生は笹野さんだけだったの? 卓球部の 人で、2つの寮にいる1年生は6人もいるよ」と、内田さん。

「それでは、笹野さんは9月に入ってから、何かを手伝ってもらうことに して・・あ、そうだ、笹野さんの大阪のTELを教えてくださいね。連絡することが出るかもしれないから・・。
ところで、何をしましょうね、やっぱり劇 かしら」          と、佐々木さんが言った。

「歌のいっぱい入ったオペレッタとか、ミュージカルがいいな」
と、これはコーラス部の三上さんの提案だった。

「それいいかも。楽しいし、せりふも少ないんじゃない?」
と、横井さん。

「でも、長すぎず、楽しい歌の入ってる脚本を探すのむずかしくない?   三上さん、何か候補を探してくださらない?」

と松井さんに頼まれて、三上さんがうなずいた。コーラス部の仲間と探してみるそうだ。

「展示のテーマは何がいいでしょうね」
この問題も、口々にやりたいことを並べたが、決着にはいたらず、考えて くることになった。香織は何も言えないまま、聞いているだけだった。

お昼時間になると、隣の横井さんが香織にこう言った。

「隣の席なのに、今まであなたが寮にいたなんて、知らなかった。お願い、一度あなたのお部屋を訪ねてもいい? 寮の中がどうなっているのか、知りたかったの」

その言葉が聞こえたらしく、内田さんも佐々木さんまで、香織の席にやってきて、「私もお願い、ぜひね」ですって。

香織はドキドキで、やっと言った。
「・・同室の人に聞いてから、お返事する・・」

「じゃ、あした、お返事を待ってまーす」と横井さんが嬉しそうに言った。

まわりの人たちも、私もね、そのうちに見せてね、と声をかけてきた。

思いがけないなりゆきに、香織は嬉しくなっていた。今日1日で、知り合いがどっさりできたみたいだ。

江本先生が自分の思いを外に出して言えば、友だちは広がりますよ、と言ってくれた日のことが思い出された。

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