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6章-(1) 無言パパに語る香織

香織は大阪へ帰省した翌朝、ママといっしょにY病院へ行った。パパはICUから別の病室へ 移されていた。
入院した後に、ママが持って行った寝間着やタオル、下着その他の細々した物は、すべて大風呂敷に包まれて、新しい病室のベッドの脇にある小だんすの上に置かれている。

担当の横田先生が、往診中だった。香織に気づいて、先生が言った。
「東京から来られた娘さんですね。心配したでしょう。ママの発見が早くて、救急車で来るのも早くて、出血は少量だったから、手術も軽くすんでラッキーだったが、まだ油断できないんだ。脳血管が縮んでくると、脳梗塞になりやすいからね。血管を縮ませない薬で対処しなくては・・それと、脳梗塞はそれ以外にも、起こることがあるからな・・」

ママが深々と頭を下げて言った。
「先生、お世話になります。よろしくお願いいたします」
「再出血したら、大変だから、しばらくはそっと静かに見守るだけにして、話しかけたりしないこと、いいね」
と、これは香織を見ながら、先生は言って、看護師さんと共にへやを出て行かれた。

パパは目を閉じて、眠っているようだった。頭に包帯が巻かれているのは、開頭手術のせいなんだって。いつもは日焼けして、元気そうなパパが、少し血の気が失せて、弱々しく見え、香織は心配でたまらなくなった。どうか、これ以上、ひどいことが起こりませんように!先生の治療と、薬の効果で、元のパパに戻れますように!

ママは大風呂敷を開けて、パパの衣類などを、小だんすの引き出しに順に しまって、片付けている。歯ブラシやコップ、処方された薬も、一番上の 引き出しにしまった。

香織は心の中で、パパに話しかけ続けた。言葉を交わしてはいけないのなら、それは守るけど、やっぱりパパと話したい。

直子と結城君たちとパパと5人で、食事して、笑い合いながら話した後に起こった、色々なことを、香織は思い出しながら、話し続けた。

(パパ、あの後、運動会があったのよ。香織は放送係で、レコードをかける担当しただけなの。走るのは苦手だもの。でも、その後、ワンゲルクラブで、軽い登山をしたの。結城君がいつも助けてくれるし、結城君のママが おいしいお弁当を作ってくれて、太巻きずしのおいしかったこと!

ポールはね、日本に残って、水産大学の受験勉強を始めてるの。直子と香織の2人で、日本語の手伝いをしてる。それからね、百貨店の営業部の女の人が、香織のニットの個展を、百貨店で開かせて欲しい、って言われたの。 ミス・ニコルに相談したら、ずっと先になって、もっと色々編み物をして、アジサイニットといっしょに出せばいい、って言って下さったの。

香織はね、パパ。いつのまにか、友だちがいっぱいできてるのに、気づいたの。クラスにも寮にもね。同室の山口愛子さんは、東大の医学部目指してる、すごい勉強家だけど、優しい人だとわかったし、香織は幸せ、って何度も思ってる。結城君のことを、ママもボーイフレンドとして認めてくれたの。それも、とっても嬉しかった。

そうそう、あのね、パパ、香織は今ではビリではなくなってたの。若杉先生が、5人抜きだよ、よく頑張ったな、ってほめてくれたの。パパも、喜んでくれるでしょ?) 

話をしているうちに、香織は幸せな気持ちに満たされてきて、パパもきっと喜んでくれてる、と思えてきた。

ママが、パパのふとんをそっと整えて、言った。
「早くよくなってお話ができますように。今日は香織と来ましたけど、もう帰りますね。明日またまいります。痛みがありませんように、祈ってます」

ママに促されて、香織はパパのふとんにそっと手を当てて、パパ、またね、とつぶやいて部屋を出た。

帰宅してみると、おじいちゃんが電話を受けているところだった。
「志織が今、成田空港から電話をくれてるんだ。ママ、出るかい?」

ママがすぐに受話器を受け取った。
「今、病院から香織と戻ったところよ。今日はもう面会時間もないから、あなたは明日パパを見舞いなさいね。でも、まだお話はできないのよ」

志織が何と応えたのかはわからなかったが、ママは電話を切った。

「香織が寮に帰るのは、明日のお昼頃じゃなく、夕方にするしかないわね」
と、ママの方から言い出した。
「そうする。おねえちゃんといっしょに、パパにもう一度会いに行きたい」
「話ができないのが残念ね、ほんとに」
「私はパパにいっぱいお話してきたよ。胸の中で」
「まあ、あの時、お話ししてたの。とても楽しそうな、幸せそうな顔をしてて、何を考えてるのかしらと思ってたのよ」

香織は首をすくめた。ママは気づいていたのだ。でも、何を考えてたまでは知らないよね。

     
    (画像は 蘭紗理かざり作)

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