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 7章-(3) 先生の結婚!

2人で校門へ向かって歩いていると、数人の2年生たちとすれ違う時に、 憤慨した声が聞こえてきた。2人はその最初の衝撃的な言葉に、思わず足を止めてしまった。

「若さま、あした結婚式だってよ!」
「うそ! そんなうわさ、一度もきいてない! うそよ!」
「だって、文ちゃん先生が、白バラ小間物店で、ドレス用の大きな花の     ブローチを買ってたんだって。いっつもトレパンの先生がだよ。あやしいって、ソフト部の人たちで、問い詰めたら、わかったんだって」
「お相手は誰よ?」
「日野先生よ、音楽の!」

ああああ、と皆がわめいて、のけぞった。

「そうか!」
「そうだったか!」
「よくいっしょに話してた」
「そう言えばそうだわ」

香織はショックで、クラッとした。ついさっき面と向かって話してたのに、先生はそんなそぶりは、全然見せなかった。大人には大人の世界があるんだ。オレのプライベートなど、君が知ることではない、と厚い壁で隔てられた気がした。

私はただの生徒、成績の悪い、せわのやける面倒みなくてはならない生徒。香織には恋とか愛するとか、そこまでの思いはなかったけれど、好意と憧れと尊敬の思いを持ち続けていたのが、そんなものは教師と生徒では当たり前のこと、と阻まれたような、おとしめられたような気がした。

日野先生があのハンカチを選んでくれた、と先生は言ってた。大勢の女生徒たちが若さまに好意を寄せて贈り物をするのへ、皆平等に同じ柄のハンカチでお返しすることにして、何枚か重ねて用意してあったのだ。大人と子どもの関係のあり方を、明らかにするために。

それなら、宮城千奈も香織と同じハンカチを持っているはず。特別に目を かけられてる〈両思い〉と中山さんが言った時、そうなんだ、と香織は思ったが、あれは違っていたのだ。

黙って歩き出した香織に、直子が追いついてきて、言った。

「思いっきり泣いておいでよ。そうしてもいいよ。香織の初めての失恋  だもの」

違うって、失恋なんかじゃない、と言いたいのに、声が出なかった。

「ウッドドールは今度にしよう。あたしのバスケの決勝戦が終ってからで いいよ」
と直子。香織はうなずいた。今は話したくないし、はしゃぎたくもなかった。ただはっきりとは言えないけど、気落ちしていた。

直子は気遣いながらも、明るい声で言った。

「あたし、先に帰って荷物の整理するわ。夏休みに入ってすぐに、ポールが宇都宮に遊びに来たいんだって。香織、ひとりになりたいでしょ?」

香織はまたうなずいた。直子は、まだ失恋だと思いこんでるのは、わかってたけど・・。

足はひとりでに、ネムノキの森へ向かっていた。あの緑のベンチにすわって、静かにしていよう。考えることがいっぱいある気がする。今、何かを 思いつきそうもないけど・・。

森に入ると、涼しげな葉ずれの音が絶え間なくささやき合っていた。香織はみどりのベンチに座って、ほっと吐息をついた。ネムノキが、香織を大きな影で包んでくれていた。影の向こうは目に痛いほどの、まぶしい夏の光!

香織はポシェットからハンカチを取り出した。あのバラの小花の散ったハンカチが出てきた。影の中で、いっそう美しく見える! たしかに、女の子が大好きになりそうな絵柄だ。香織は光を遮るために、顔にふわりとそのハンカチをかぶせた。

ふいに、ついさっき、若杉先生が日野先生に言った言葉が浮かんできた。「じゃ、明日」と。それまで、明日の結婚式の、打ち合わせの何かを話していたのかも。香織はわりこんでしまったのかも。いつもの深刻な顔で・・。それで日野先生、包むような温かい目を残してくれたのかも。

ペア登山の時も、最初は日野先生と2人で最後尾を登ってた。その後、日野先生は先の方へ急ぎ、棘をさした宮城千奈の手当てに、若杉先生の救急箱を受け取りに来て、2人で登って行った。バレー大会の時も2人で並んで応援してた。ずっと前から、結ばれることになっていたのだ。生徒たちに騒がれないよう、何気なく、と気配りしながら。

お似合いだわ、先生。日野先生はほんとに温かい感じの、生徒思いのいい 先生だってわかるもの。よかったね、若さま先生、すてきなパートナーを 見つけられて! そう思えて、香織はほっこりしていた。さっきまでの気落ちが、森の風と陽射しの中で、静かに思いを辿っているうちにぬぐわれて、
よかったね、先生、と言いたい気持ちが胸いっぱいにあふれてきた。

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