見出し画像

2章-(2) 道々お屋敷の話

濃緑のイグサの田が、行けども行けども,黒ぐろと広がっている。その脇を、肩をすぼめたまま、振り返りもしないで、とうちゃんが行く。かよは  せいせい息を切らして、追いついた。

「とうちゃん、待って。おやしきの話きかせてぇな」
「行きゃわからあ」

とうちゃんは重い口で、それだけ言った。が、思い直したのか、かよの歩調に合わせてゆっくり歩きながら、ボツリボツリ話し始めた。

「田畑が、どのくれぇあるだか、40町歩 (約12万坪) はあるかのう。10年ばぁ前に、不作の後、大洪水があってのう、近くの百姓が年貢が払ええで、土地を手放したもんじゃ。そんとき、中島の大旦那さまが、あらかた  買うてじゃった。

上2人の息子ぼんは、東京の学校へ、長男はもう卒業されて仕事も東京でしとられる。次男はまだ東京で最終学年のはず。末息子だけ、岡山の中学へ通うておられる」

「おくさまは?」
「へやにこもって、寝たり起きたりされとんじゃ」

娘2人を6年前の洪水で亡くして、それ以来なのだという。

「旦那様は、ようお出かけじゃ。選挙にこっとられるけん。田んぼについ ちゃ、かよのじいちゃんが小作人頭じゃけ、じいちゃんに任せとるけんど、毎朝、田のあぜ道をつとうて、散歩じゃいうて、全部の田んぼを順に回って、見とられる。ぎょうさんあるけん、何日もかけて1周して、また最初 から始めて、と何度も回ってよう管理されとる」

話しているうちに、名田を過ぎ、新田太鼓橋を渡って行く。下を流れる  のが、汐入川だ。かよは胸をおののかせて、チラチラ光る水面を盗み見る。つるをのみこんだかもしれない川。流れゆく先は。瀬戸の海だ。 

小さい運搬船が、白んでいく朝もやの中を、ゆったりと漕ぎ進んでいく。両岸のアシのしげみが、泣き疲れた赤子の船を、今も隠しこんでいるように、秘密めかしく生い茂っている。

一面の田畑の広がり。その昔、源氏、平氏の軍船が、波をけたてて戦い合った海原のあとなのだ。あたりの小高い山々は、みな島であった。長い年月の間に、堆積した土砂の助けと、大干拓事業という人々の力によって、倉敷は広い平野をものにした。

しかし、一方で、真水を得にくい新田、毎年のように洪水に見舞われる地域。さらに浸かった畑の水はけに悩む地域と、未解決の問題を引きずって きた。干拓地の百姓たちが、豊かな実りを約束されるまでには、幾代にも わたる、土地と水との戦いが必要であった。

この汐入川周辺の村むらも、ようしゃなく貧にさらされた。飢饉の年であろうとなかろうと、子どもは多くは育てられない。こっそりとアシ船に載せられ、海に流された子どもの数が、どれほどあったか・・。伝え聞くところによると、7歳ごとに子を残し、間にできたのは、間引いたものだという。

トクトクトク。つるの心臓の音が、胸に伝わる。つるの身体のぬくもりが、胸に熱く広がる。かよには、わらじの音さえ、よかった、よかった、と唄っているように聞こえる。

「重てぇか」                            とうちゃんが代ろうか、という素ぶりを見せた。             「でえじょうぶ」

かよは胸の前のつるを揺すり上げた。首にまわした紐がほんのいっしゅん、ゆるまる。かよの細い肩に、小さいながらずしりと,また重みがのしかかってくる。かよは反り返るようにして、ひたすら歩き続けた。

陽が東の空高く上がった頃、ようやくめざす中島の大屋敷が見えてきた。 だだっぴろく広がる平地の田の中に、際だって高く君臨している。それも そのはず、平地に石垣を1間 (1.8m) も積んで、ぐるりととりまいた白壁の中、北と西側には、森を抱えこんでいるように、防風林がしげっている。

堂々とした2階建ての母屋。白壁にななめ格子模様の蔵が2つ。その他にも、幾つもの棟が建っている。近在に散らばっている百姓家が、わら屋根や、板ぶき屋根のせいか、黒瓦の母屋が、辺りをはらって見える。

かよは近づくほどに、その立派さに目を見張った。石段を上ってとうちゃんが小さい屋根のついた門をくぐった。門の両脇にもへやがついていて、だれかいる気配がする。

かよがふっと目を上げると、格子窓から、子どもの顔が半分見えた。その子は、窓につかまって、かよをじっと見つめている。おとなしそうな色の白い子だ。目が合うと、すっとかくれた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?