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おはようエイプリル

どうも山ぱんだくんです。集団面接で「おかけください」と言われる前に1人だけ座るような人生やってます。おう、どっからでもかかってこいよ。

さてさて山ぱんだくんと月曜の理屈
第五十回は「おはようエイプリル」

第五十回 おはようエイプリル

「そろそろ起きてよエイプリル」

ちょうど一年前に演劇部の後輩のために書いた脚本の冒頭のセリフである。意味は特にない。パッと思いついた言葉の響きが気に入って、なんとなくこのお芝居をここから始めようと思ったのだ。(実際話の内容には全く関係ない)

意味の無い言葉を並べるのが好きだ。
広辞苑にショットガン、全部嘘だよアイボリー、眠れぬ夜のエトセトラ

意味は無いが、その連なりが偶然意味を持って物語になることもある。すべての文章は並び替えられた文字の1パターンに過ぎない。

小学生のころ、平仮名は50音しかなく本がその文字たちの羅列、並び替えに過ぎないのであれば本の種類は有限個になるのではないかと思ったことがある。もちろん、文字数制限がない以上並び替えは無限通り存在するのだが、この感覚は思いの外いいところをついている。

何もない場所から概念を並べ替えて生み出された言葉は他者が受け取ることで存在を担保される。そしてたまに値段がつく。もちろんフラニーとズーイのようなアプローチもあるのだろうけど、敬虔なクリスチャンでもない僕たちの存在を担保するのは他者だとしていいだろう。
ビットコインと似ているよね?ニムロッドはたしかにすごかったな。

先週、第五十回の記事をいつものように書こうとしたが何を書けばいいか分からずワードを開いたパソコンの前で途方に暮れただけだった。今思えば五十回という記念回だから何かいいことを書こうとでも思っていたんだろう。中身がないのにいいことなんて出てくるわけがない。ビットコインの採掘の方がまだ可能性がある。

そんなわけで今日も思うままに適当に言葉を並べてこの文章を形作っている。いつも通りの朝、いつも通りの文章。

先日の朝日新聞で「記念日をお祝いするってテスト前だけ勉強するようなもんですよね」という言葉が紹介されていた。ここですでに引用なので引用の引用ということになる。まあ、そういうことだ。記念回だけ頑張っても仕方ない。

そんな感じで来週も続きます。
おはようエイプリルおやすみマーチ
March goes out like a lamb

#エッセイ