時が経つということについて
久しぶりのnoteだなぁ。
まぁ今回は、言葉遊びでもなんでもなく、ただの吐露って感じ。
学生時代の関係が続いている親友を横目に見て、あぁ私はなんて孤独なんだろう、と思う。
孤独でいないためには関係各所に連絡を取ればいいんだろうけれど、実は大して孤独であること自体が寂しいわけでもなかったりする。
親友からかつての友人の近況を聞いたり、親友の昔の友達とのやり取りを知ったりすると、まぁ虚しくはなるよね。
だってそれは比べてるから。
親友の人間関係と自分の人間関係を比較して寂しくなったり、虚しくなったりするのはとても当たり前な感情だと思う。
じゃあ、親友経由の情報なしに今の孤独な自分を寂しいとか虚しいとか思う?
って問いかけてみるけど、特にそう思ったことはない。
だから、孤独だけど寂しくはないよって自分の感覚は間違いじゃないのよ。
寧ろ、比べて寂しくなったから適当に連絡取り始めますってなる方が自分の価値観に対しても虚しさが募る。
(やったことある笑笑)
どっちにしろ続かないしね。
たぶん、私はどちらかというと刹那的に生きていて。
そして、それを他人も見透かしているから。
結局、ほとんど何も構築できなかったんだよなぁとは思う。
あんだけ一緒に過ごしたけど、時と場所が離れれば離れるほど、私にとって優先順位は下がっていく。
今、目の前の事象こそが全て、という感覚がもしかしたら強いのかもしれない。
孤独である、ということをふいに思い知らされるのは、意外と嫌いじゃない。
寂しさや虚しさの感性が鈍って、日常に溶け込んでしまうのが怖いからね。
とりあえず、今日も一人です。笑
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