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【ショートショート】優しい人

#一次創作 #短編小説 #万引き #優しい人

 今日は母の誕生日。お祝いに今夜は僕の手料理をご馳走するつもり。
僕は山谷浩平やまやこうへいといい、二十六歳。職業は食堂の調理をしている。

 十八時に仕事を終え、スーパーマーケットで買い物をしている際中、中年の女性が商品をカゴに入れたり自分のポケットに入れたりしているのを見てしまった。これはきっと万引きだろう。店員に言ったほうがいいのか、それとも知らない振りをするべきか。

 中年の女性は周りをキョロキョロ見渡してオドオドしている様子。僕の近くにいた若い男の店員はこのことに気付いていないようだ。一応、小声で言ってみるか。
「すみません、あそこにいる中年のおばさん、ポケットに商品いれてますよ。万引きじゃないですか?」
 え? というような顔をして男性店員は現場を覗いた。

 僕と店員の二人で気付かれないように見ていると、今度はポケットから棚に商品を戻している。万引きをやめたのか? 買い物カゴに入っているものだけレジに持って行った。女性の割には体格がよく、紺色のジャージを履いてクリーム色のコートを着ている。今回はやめたようだ。若い男性店員は、
「今回はありがとうございました。このことは上の者に報告しますので」
 礼を言っていた。

 僕は少し得意気になって買い物を済ませて店を出た。 
 ここは北海道の道央付近で雪が多い地域。今は十二月で雪が降ってきた。
 車で移動しているが、なんせ圧雪アイスバーンだから滑るしたまにスリップもする。

 パトカーのサイレンの音がする。それと同じくらいに救急車のサイレンの音も聴こえてきた。この道路だから事故でも起きたのかな。もしかしたら怪我人もいるかもしれない。

 僕はゆっくりと車を走らせた。事故らないように細心の注意を払って。今の時刻は十八時半すぎですでに外は暗い。ラッシュアワーなのでなかなか車線に入れない。次から次へと車がゆっくりと走って来る。

 入れるだろうと思ったら自転車が、それも年輩の男性が走って来た。仕方ないから通り過ぎるのを待っているとちょうど僕の車のまで転倒した。あ!と思って助けようと思ったが後ろからも車が来ていてそれどころではなく、立ち上がるのを待っていた。その年輩の男性は、よたよたと滑る路面の上で立ち上がり自転車を起こした時、後ろからクラクションを鳴らされ、
「早くしろよ!!」
 罵声をその年輩の男性に浴びせられた。僕は車の中でもう少し待ってやれよ! と思った、可哀想に。このじいちゃんだって業と立ち往生しているわけじゃないのに。男性老人は罵声を浴びせた男のほうを指を指しながら睨んで何か言っているが窓を閉めているのでよく聞こえない。

 そのじいさんは何とかその場を立ち去った。僕もようやく左車線に入れてゆっくりと進んで。さっきのパトカーと救急車は渋滞に巻き込まれて先のほうで停まっている。今日は土曜日だからか特に車道は混んでいる。歩道のほうを見るとそちらも歩行者が結構歩いている。子どもが除雪した雪を丸めて母親であろう茶色のロングコートを着た女性にぶつけて笑っている。僕もいずれこういう子が欲しいと思った。女性は笑顔で子どもに何か言っているが聞こえない。微笑ましい光景だ。

 ゆっくりと二十分は車を走らせただろう、ようやく自宅のアパートに着いた。


 僕は母子家庭で育っていて妹がいたが、十年前に今日のような路面も凍結して天気の悪い日に車にはねられ亡くなった。僕は妹のことが大好きだったから、悲しみに暮れた。

 あの日のことを思い出すと未だに悲しくなる。でも、仏壇で手を合わせることは毎日続けている。

 父は僕がまだ幼少のとき、自営業が上手くいかず資金繰りがうまく回らなくなって家の物置きで首を括って自死した。母はその現場を見たショックでPTSDを患った。あの時の母の奇声は酷いもので半狂乱になっていた。

 僕の家族は母しかいないので正直、寂しい。そんなことを言ってもどうしようもないことだけれど。そういう環境で育ったせいか、すでに僕も病気になってしまったのかはわからないが、たまに強い希死念慮に襲われることがあり、苦しむときがある。だから、残った母を大切にしようと思っている。


 アパートの前に僕の車を停め、降りてから鍵をかった。アパートのドアを開ける前にチャイムを鳴らした。部屋の中から母が歩いてくる足音が聴こえた。今朝、仕事に行く前に母に、
「今日は母さんの誕生日だから帰って来たら夕食作ってあげるよ」
 そう言うと母は嬉しそうに、
「本当にかい。それは嬉しいね。楽しみに待ってるよ」
 言いながら笑みを浮かべていた。

 寿司を作ろうと思ってネタと海苔を買って来た。サーモン、タコの足、イカ、いくら、とびっこも。これらでご馳走しようと思う。母の喜ぶ顔は僕は好きだ。こんなことを友人に言うと、
「山谷はマザコンだよな」
 そう言われる。でも、
「マザコンと言われようとたった一人の母親だから大事にしたいんだ」
 すると友人は、
「そこまで思えるのはある意味凄いな。俺はあんまり大事だと思ってない」
 その友人の名は谷垣一郎たにざきいちろう、二十五歳。職場の後輩だ。彼は調理師免許を持っているが僕は持っていない。だから、後輩ではあるが谷垣は主任なので上司になる。でも、名前を呼ぶ時は「谷垣」と呼ぶ。それに対して彼は以前僕に、
「一応、上司なんだから呼び捨ては止めてくれない?」
 と言われたことがあるが、僕はそれを拒んだ。いくら上司でも年下だからやめていない。それに谷垣のほうがあとから入社してきたし。本当はそれじゃいけないのはわかっている。年下であっても、後から入社してきても上司は上司。その上司が主任なら主任と呼ばないといけないし。これは社会人として常識の範囲内だ。でも、僕はそうしていない。
 そんなことを考えながら寿司を握っていた。僕も母さんも十巻ずつ食べることにした。冷蔵庫からわさびを取り出し居間で向かい合って食べる。
 僕は寿司を食べる母さんを見ていると、
「う! 辛い……。でも、美味しい」
 思わず笑ってしまった。
「ちょっと、わさび多かった?」
 僕が訊くと、
「大丈夫」
 と言うので僕は、
「無理しなくてもいいよ。わさび取って食べてもいいし」
 無理のないように言った。
「ありがとう」

 
 



 

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