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独立

 季節は冬。僕が住んでいる町は雪こそ少ないが、気温が-20℃まで下がる。国道もブラックアイスバーンになり、行き交う車の速度は30キロぐらいで渋滞する。

 でも、今年は例年よりも気温が高く雪も湿っていて重い。親元で暮らす僕は高見潤たかみじゅん、26歳。職業は医者。精神科医だ。父は内科医をしている。祖父も精神科医で開業している。僕は祖父の病院で働かせてもらっている。父は祖父の内科で勤務している。家族経営というやつだ。

 築40年の病院。かなり古いので父は新築を計画しているが、祖父が首を縦に振らない。愛着のある建物、という理由で祖父は新築に反対している。父が言うには、次は自分が院長になって経営していくらしい。なので、今、父と祖父は対立している。親子なんだから仲良くしてほしいが現実は難しい。父の独立に反対する祖父。でも、強行突破しようとする父。僕もいずれは独立したいと思っている。三者三様だ。

 僕が思うには、父が病院を新築してそこで祖父が理事長をして父は院長をする、僕は雇われている、という形はどうなんだろう。提案してみる価値はあると思う。僕と父は同居しているが、祖父は別居している。だからまず、父に話してみた。仕事が終わったある夜に。すると、
「俺もそれは考えたさ。でも、親父がとにかく新築はだめだと頑としてきかないんだ。だから、強行突破するしかない。あの建物に愛着があるのは親父だけだ。誰もあんな古くて暗い病院に愛着はないよ」
「じゃあ、父さんが理事長やるってこと?」
「そうなるな。親父はあの古い病院で働いていればいいさ。1人になるけどな。そんなことは知らん。母さんがいるから大丈夫だろ」
 僕は思った、父も意外と冷酷だなと。半ば両親を見捨てるような形になる。それも伝えると、
「ビジネスとはそういうものだ。そんなに甘くないぞ」
 と、一蹴した。
 父は厳しすぎる、もっと思いやりの精神を持った方がいいのでは、と思ったがそれは言わずにいた。

「ビジネス」
 辞書を引くと意味は、事務。業務、仕事。
 らしい。仕事には厳しさと我慢が必要だ。いくら好きな仕事でも。これは体験したから言える。医者はミスが許されない仕事だ。患者の命を預かっている仕事だから。たまに、暴れる患者がいて僕は1度殴られたことがある。
あの時は痛かった。それも仕事というのは変だが、そういうこともあるということ。気持ちが不安定な患者もいるから。

 たまに、幻聴に命令されて「砂を食べる」患者がいる。なぜ、食べてしまうか訊いてみると、
「幻聴の命令に背くと、もっと酷いことをされるかもしれない」
 と、言っていた。ちなみにどういう幻聴か訊いてみると、
「すなをくえ」
 そういう内容らしい。
 患者の心を支配する「幻聴」。恐ろしい病だ。なので、それは幻聴だよと言っても患者にとっては現実のものだと思い込んでいるので何を言っても受け入れてもらえない。薬物療法をメインに地道な治療が必要になる。季節の変わり目や雨の日に頭痛など体調を壊す患者も結構多い。

 さまざまな患者を診てきたが、巻き込まれそうになるときがたまにあるから、あまり感情移入しないようにしている。患者には悪いが。医者まで具合悪くなったら、ほかの患者を診てやれなくなるのは困るし。そもそも、好きな仕事だけれど、あくまで仕事でやっているというのが大前提なので、たまに患者に連絡先を教えてほしいと言われるときがあるが、そんなことは言語道断だ。そもそも、病院の職員のみならず、調剤薬局の職員も患者との連絡先交換は禁止されている。なぜかというと一番の理由は、夜中や朝方に患者から電話がくるのが問題だ。個人的な付き合いはもってのほか。だからといって患者のことが嫌いなわけじゃない。だた、線引きをしないとプライベートまでごちゃまぜにしたらまずい。決めごとは作らないと。だから、僕が研修医だったころ、そういったことを先輩の医師に教えられたし、病院に就職してもそのことは言われた。

 祖父が雇っている身内じゃない精神科医は2人。内科は父以外に1人。現在は、精神科医が精神科医に診てもらう時代らしい。要するに、忙しすぎるのだ。医者の人数に対して1人当たりの診察する患者数が多すぎるのだ。今のところウチの病院ではそういったことはないが。あっても困るけれど。

 最近、僕は疲れているせいか甘いものを欲する。スイーツがもともと好きなので尚更だ。お好み焼きやたこ焼きなども好き。

 去年、僕には彼女がいた。でも、8ヵ月くらいで別れてしまった。原因は元カノの浮気。僕は元カノのことを愛していた。少なからず僕は。何が気に食わなかったのか、未だにわからない。仕事だって、医者だし経済力は申し分ない。自分で言うのもなんだが、顔だってハンサムなほうだと思う。身長も180cmはあるし痩せている。性格は少し細かいところはあるが、優しいのではないかと思う。特に、社会的弱者には。

 だから今は彼女を募集している。年上でも年下でもいい。ただ、あまり年の差がありすぎるのは考えものだけれど。元カノは、年上だった。30歳の女性だったはず。頼りないとでも思ったか、僕の方が年下だから。今となっては何もわからない。わかったところでどうしようもない。

 最近ではインターネットでさまざまなマッチングアプリがある。僕もやってみようかな。この小さな町ではなかなか出逢いがない。そもそも、若い女性が少ないのでは? と思ってしまう。

 親にも言われる。
「お前、彼女いないのか?」
「う、うん。いないよ」
「なんでだ? お前ならモテるだろ。顔だって悪くないし。経済力もあるし」
「そうなんだけど、なぜかモテない」
 父は黙っている、難しい表情で。
「父さん、僕は今、仕事に専念したいんだ。だから、彼女はいらないよ」
「そうなのか、それはいい心がけだな」

 昨夜、病院の新築のことで父と祖父がまた揉めた。あまり見たくない光景だ。しかも、院内で。患者がいなかったからよかったけれど。なにが問題かというと、資金面だ。とは言っても、そんなに貧乏な病院ではないはず。祖父は相変わらずこの病院への愛着を訴えている。
「いつまでこの病院に執着しているんだ!」
 事務所からそんな父の怒号が聞こえてきた。祖父の声も聞こえる。
「おまえ、誰のおかげで働けていると思っているんだ!」
「べつに親父のところじゃなくたって働ける! だから、独立するんだ! 俺は内科医だ、誰か他人の医者を呼べばいいだろ!」
「おまえってやつは……! 恩しらずなやつめ! そこまで言うなら独立してみろ。それがどんなに大変なことか身をもって知るがいい」
「俺だってガキじゃないんだ! 親の支配下にいつまでもいたくない!」
「わかったよ、好きにしろ」

 聞いていると祖父はまだ父を子ども扱いしているように聞こえる。まあ、祖父の子どもではあるが。祖父は父の経営はうまくいかないとでも思っているのだろうか。父が経営するなら僕は父の病院で働きたい。それを伝えると
「味方はおまえだけだな」
 言っている。
「でも、僕もいずれは独立したいと思ってるよ」
「そうか、そのためには資金も必要だし、もっといろいろなことを経験しなくちゃいけないぞ」
「うん、そうだよね」

 父は僕の独立には反対していないようだ。自分も親の反対を押し切って独立するから、僕の気持ちもわかるのだろう。さすがだ。父は偉大だと思う。祖父も偉大なのだろうけれど、患者をお金と間違えているのでは? と思うことがある。そこは、反面教師にしないといけないと思う。たしかに患者が来ないと病院の経営が成り立たなくなる。でも、イコールお金と考えるのはいかがなものだろう。僕は祖父のそういうところが嫌いだ。なんでもお金で解決しようというところが。僕は患者は普通の人が病気になっただけで、お金とイコールには考えない。たしかに、受診してくれれば病院にお金は入るが。だから、人対人との関わりだと僕は思う。

 

 

 

 

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