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【短編小説】病気と人間関係

#創作大賞2023 #オールカテゴリ部門  

あらすじ
 母は胃がんで他界した。僕の身内は父と妹だけ。僕は30代後半の頃統合失調症という病気にかかって今は無職。幻聴は今でも聞こえてくる。完治はしないと医者にも専門書にも書いてある。それから数日後、僕は友達と居酒屋に行った。友達はいつも満足のいくまで呑むのに、今日に至ってはお酒を呑まなかった。珍しい。理由を訊いても、時間が遅いからとか、明日も仕事だしということを言っていた。病気のことも打ち明けた。彼は、大事にな、と優しい言葉をかけてくれた。以前、この僕にも彼女がいた時期がある。でも、別れてしまった。元カノの浮気が原因で。


 今日は母・筒井竹子つついたけこの誕生日、でも母の命日でもある。4月15日、去年、母は胃がんで他界した。覚悟していたからか、さほど悲しくはなかった。でもやっぱり出棺のときは感極まって泣いた。僕には現在、父・筒井宗彦つついむねひこ・78歳、妹・田中京子たなかきょうこ・43歳、僕・筒井壮太つついそうた・47歳の3人家族。とは言っても妹の田中京子は嫁に出ていて田中という姓を名乗っている。父は今でもダンプの運転手をしていて現役。京子は障がい者の支援員をしている。そして僕は無職。実は僕には持病がある、心の病だ。30代後半の頃、統合失調症という完治しない病気にかかってしまった。今でも幻聴はある。たとえば、

・ゲンキダセヨ
・シネバイイノニ
・コロスゾ

 など、調子が悪いときはネガティブな幻聴が聞こえ、調子が悪くないときは励ましの幻聴が聞こえる。でも、なぜか幻聴はずっと記憶にとどめておきづらく忘れやすい。覚えている幻聴はメモったもの。

 今日は母・筒井竹子の一周忌。身内の人間があつまっている。父の筒井宗彦の兄妹3人と、母の兄妹2人と、妹の田中京子の旦那・田中栄進たなかえいしん・50歳、2人の間に娘がいて田中千晴たなかちはる、18歳・高校3年生があつまった。午前11時にお坊さんが来る予定。昼食も最寄りのスーパーマーケットに11人分注文してある。このなかにお坊さんの分も含まれている。10時過ぎになり、父と僕で座る場所の準備を始めた。邪魔なものは別の部屋に移動し、空いた場所に10人分座布団を置いた。お坊さんが座る場所は普段から座布団を敷いてある。そこで父と僕は毎日母のことを考えながら拝んでいる。11時より数分過ぎてお坊さんが来た。この時間にチャイムが鳴ったからお坊さんしか来る人はいない。

 父が玄関に行きドアを開けた。やはりお坊さんだった。
「こんにちは」
「こんにちはー、よろしくお願いします」
 父とお坊さんは挨拶を交わしていた。そこで僕は思ったことがある。
「父さん、みんなの弁当取りに行ってないよ」
 父は驚愕の表情。
「お前、買いに行ってくれないか? お金渡すから」
「わかった、いいよ」
 父はジャンバーのポケットから1万円札と注文票を取り僕に渡してくれた。
「じゃあ、行ってくる」
「頼んだぞ」
 そう言って家の車でスーパーマーケットに向かった。家の車は乗用車だ。
 僕はああいう人の集まるところが嫌いだからちょうどいい。ゆっくり行って時間稼ぎしよう。10分くらいかけてスーパーマーケットに着いた。歩くのもゆっくり。でも、雨が降ってきたのかな? 道路が濡れてきた。濡れるのが嫌なので速足で歩いた。店内に入り、サービスコーナーに向かった。店内はそれほど混んでいなかった。
「すみません」
 店員に声をかけた。
「はい、いらっしゃいませ」
 笑顔で対応してくれた。
「筒井ですけど、お弁当注文していたのですが」
 注文票を見せながら言った。
「はい、今、担当の者を呼びますので少々お待ち下さい」
 少し待って、中年のおばさんが店の制服を着て台車にお弁当であろう紙袋を2つ載せてやってきた。
「お待たせしました。筒井様ですね?」
「はい、そうです」
「こちらになります」
 そう言いながら弁当をカウンターの上に載せてから制服を着た女店員は戻って行った。
 僕はお金を払い両手に紙袋を持った。結構重い。外に出ると雨は強くなっていて、急いで車に戻りゆっくりと家に戻った。

 家のなかに入るとお経が聴こえてきた。あまり聴きたくない、不気味に感じる。仏間に戻ったら父が僕を促した。その場所に僕は正座をした。父の顔色が悪い、調子悪いのかな。少し心配だ。妻に先立たれたから無理もないだろう。きっと、かなりの悲しみを我慢しているのかもしれない。

 それから20分くらい経過してお坊さんの読経は終わった。こちらを向き、頭を下げた。父がお坊さんに声をかけた。

「弁当あるので一緒にたべませんか?」
「ありがとうございます。では、お言葉に甘えていただきます」
 それからお布施も渡した。お坊さんはお布施の封筒を線香の煙に当て、裾に入れた。
 居間にテーブルを2つ並べて置いてあるので僕はそこに弁当をひとつずつ置いていった。
 父は瓶ビール2本を冷蔵庫から出してテーブルの上に置いた。
「みなさん、飲みましょう。壮太、お茶とリンゴジュース持ってきてくれ」「わかった」
 そう言って僕も冷蔵庫に行き、頼まれた飲み物を持ってきた。緊張していたせいか、僕はなんだか調子が悪くなってきた。幻聴もポツリポツリと聞こえる。でも、今は症状が出ていることは言わない。親戚には僕が病気だということは言っていない。隠しているという言い方が正しいかな。陰で病気のことを言われるのも嫌だし、差別されたり偏見を持たれるのも嫌だから。父にも、絶対言うなよ! と口止めされている。こんな病気になってしまって、統合失調症の本を本屋さんで見てみたら、原因不明らしい。僕が思うにストレスもその一因だと思うが。次は三回忌。父が言うには来年らしい。

 僕は47歳になるが今までに1度も結婚したことがない。もちろん、子どももいない。縁があれば誰かと付き合うかもしれないが、無理して付き合おうとは思わない。子どもも育てられないし。経済的なことや、子どもの体力についていけないから無理。疲れが翌日まで残ると思うから。

 でも、この年まで独身でいたら、周りの人たちは、何かある、と思うんじゃないだろうか。
 そういうことも気になるけれど、僕自身が独身でいたいから何か思われても仕方ない。だから好きなように生きる。

 たまに友達にメールをして遊ぼうかな。だれかひまかな? この時間帯。ちなみに今は午後8時ころ。結婚している友達は無理だろう。独身で子どもがいないやつ、こいつなら遊べるかも。鴨田裕二かもたゆうじ48歳。職業はコンビニの店長をしている。大学のころの文芸部の先輩。実は僕、読書や小説を書くのが好きなのだ。でも、病気になってその意欲が薄れてしまった。だから、書いていないし読んでもいない。病気がもっとよくなったら意欲が増してくるかもしれない。そのときまで無理せず過ごしたい。

 それにしてもどうして病気になったのだろう? 病気になるまえは、電車の車掌をしていた。そのときはまったくストレスがなかったわけじゃないけれど、病気になるほどのストレスだっただろうか? ストレスが原因かどうかはわからないけれど。遺伝もありそうだと思った。なにが遺伝するかというと、病気になりやすい体質や性格が。これは素人判断だけれども。

 僕は鴨田裕二にメールを送った。
<こんばんは! 今、ひまですか?>
 少ししてメールがきた。
<ああ、とくに用事はないぞ>
 もしかしたら遊べるかも? と思い、
<いまから遊びませんか?>
 メールはすぐにきた。
<なにして遊ぶんだ?>
 僕はなにをするか考えていなかった。なので、
<おしゃべりでもいいですか?>
 そこからしばらくメールはこなかった。なんでだろう?
 メールがきたのはそれから約1時間後のこと。
<おそくなって悪い。いいぞ、なんなら居酒屋行くか?>
<僕、お酒やめたんですよ>
<なんだ、そうなのか。節約か?>
<いえ、薬と合わないので>
<薬? 何か病気か?>
<ええ、まあ、ちょっと>
<なんだ、隠すなよ>
<会ったとき話しますね>
<俺、今から壮太を迎えにいくわ>
<わかりました。待ってます>

 メールを終えて出かける準備をした。父が話しかけてきた。
「出かけるのか?」
「うん、そう」
「あんまり遅くなるなよ」
「うん、わかってる」
 僕は黒いTシャツにブルージーンズを履き、数本しか入っていない煙草と、スマートフォン、財布を持って鴨田さんが来るのを待った。
 
 父は僕がお酒をやめたということは知っている。煙草を吸うことも知っている。禁煙しろと父は言う。父は吸うくせに。矛盾していると思う。僕のことを思って言っているんだろうけれど、父にだって長生きしてもらいたい。だから僕は言い返す、
「父さんも煙草やめたらは」と。
「百害あって一利なしだからな」
 父はそう言う。それは僕だけに当てはまることじゃない。まあ、そんな些細な言い合いはどうでもいい。大事なのは僕が親より先に他界しないことだ。親より先に死んだら親不孝だという話しを聞いたことがある。たしかにそうだろう。

 そのようなことを反芻はんすうしていると、スマートフォンが鳴った。画面を見てみると先ほどメールをしていた、鴨田裕二さんからだ。
「もしもし」
『着いたぞ』
「今、行きます」
 すぐに電話は切った。
「行って来るね」
 父にそう言うと、
「ああ、気をつけてな」
 と言った。
 今、思えば鴨田さんはお酒を呑まないのだろうか。彼が運転だから気になった。いつもなら陽気になるまで呑むのに。僕は外に出て鴨田さんの助手席に乗った。開口一番僕は、
「鴨田さん、今日は吞まないんですか?」
「ああ、今日はな。もう呑むには時間が遅い」

 たしかに今は20時半を過ぎていて早い時間帯とは言えないかもしれない。それに明日も仕事だからというのもあるのかもしれない。そう思い、これ以上お酒については何も言わないことにした。

 鴨田さんとは久しぶりに会っていろんな話をした。仕事や恋の話し。将来のことや趣味の話など。たのしかった。支払いは折半にした。会計で鴨田さんはこの居酒屋のポイントカードを提示した。店員の動きを見ていると、スタンプを何個かポイントカードに押していた。

 飲み物はもちろん2人ともソフトドリンクを注文した。ウーロン茶にコーラ、カルピスにオレンジジュースとさまざまなそれを注文した。おかずは焼き鳥や唐揚げ、ピザや刺身などと久しぶりにぜいたくをした。

 帰りは23時を回っていた。鴨田さんに、
「カラオケに行かないか?」
 と誘われたが、
「すみません、喋り疲れました。また今度でもいいですか」
 そう言って断った。
「あ、あと病名は統合失調症という心の病です」
「聞いたことあるな、まあ、大事にな」
「ありがとうございます」

今月はこれから障害年金が入るので、それが入ったら行こうと思った。

 今日は8月15日なので障害年金が入る日なんだけれど、イマイチ調子がよくない。とりあえず煙草でも吸って気分転換するか。幻聴が聞こえるのと、気分が優れない。生命保険は病気になるまえに入っている。なので、前回入院したときは入院費と通院給付金をもらえた。

こういう場合はいままで入院してきた。どうせ無職だし、生命保険も入るからだれにも迷惑はかけない。主治医はそのことを承知している。主治医は多分40代で、きっと僕のほうが年上だと思う。

  明日、精神科受診日なので主治医に相談してみよう。まず、この幻聴をなくしたい。薬を増やすしかないのかな。あまりに増やすと肝臓などの内臓によくないらしい。いっそのこと入院したいな。

 たまに調子が悪いとき、リストカットや大量服薬をしたりする。前者はストレス解消になり、後者は大量に飲みたくなるからする。いまも必死に両者を我慢している。

「やってはいけない」

 そんなこと言われなくてもわかっている。でも、頭ではわかっていても気持ちが追い付かないときがある。そういう場合に限って親が仕事でいない。結局、実行に移してしまう。仕方ないとしか言いようがない。

 気持ちの赴くまま行動していたのでは成長しないと思い、我慢した。でも、結果的に少しでも成長したかどうかわからないけれど、我慢の限界がきてリストカットと大量服薬をしてしまった。このときの時間帯は18時30分ころでリストカットで出血したのでその始末と、空になった薬のシートを片づけていたところに父が帰ってきた。やばい! 怒られる! と思い急いで処分した。血液は浴室に垂れ流していたのでシャワーで洗い流した。でも、父の勘は鋭く僕の行動を見破っていた。
「壮太! お前またやったな!?」
 僕は黙っていた。見つかったら怒られるのは承知の上だった。それでも行為に及んでしまった。
「明日、病院行くんだろ? 今日やったことを先生に話せ! 少しのあいだ入院してこい!」
「わかった。とりあえず主治医に言ってみる」
「おまえのほうから入院したいと言えよ」
「うん、そうする」

 翌日、病院に行き受診して主治医に父に言われた旨を話した。だが、
「入院はもう少し様子をみてからにしましょう」
と言われた。意外だった。いつもなら、
「入院したい」
 と言えば今までならすんなりさせてくれたのに。病院の方針が変わったのかな。わからないけれど。

 なにもしたくない、あきらかに意欲が低下していると思う。あまりいい傾向じゃないな。食欲もあまりないし、よく眠れない。人間の3大意欲が低下している。1つ思うのは疲れていないから眠れないのかなと思う。でも、睡眠薬は飲んでいる。寝つきがよくなる薬と、長い時間眠れる薬の2種類。噂で聞くのは睡眠薬は飲み続けると麻痺して効きづらくなるという。本当かどうかはわからないけれど。父に、
「眠れないんだ」
 と愚痴をこぼすように言うと、
「散歩でもしろ、太陽の光に当たると寝つきが良くなるらしいぞ」
 そう言われたが散歩なんて面倒だと思いしていない。

 父に、
「まだ、入院させてもらえないわ」
 と言うと、
「なんでだ? まえはできただろ」
 僕とおなじことを思っている。
「そうなんだけど、先生は様子をみましょうというから仕方ないよ」
 父は黙っている、そして、おもむろに、
「たしかにそうだな」
 言った。
「それなら自分なりに良くする方法を見つけないとな」
「そうだね、でもどんな方法があるかなぁ」
 僕は医者の意外な発言にがっかりしていた。入院できたらどれほど楽なことか。父は、
「おまえは、楽ばかりを望んでいるんだな。世の中そんなに甘くないぞ?」
 父の発言は間違っていないかもしれない。でも、人間ってそういうものじゃないかな? 楽なほうへ楽なほうへと。それは言ってないけれど。

 仕方ないから、天気の良い日に散歩することにした。面倒だけれど。それで気分転換になればいいが。父は言った。

「内臓の検査もしたほうがいいんじゃないか?」
「なんで?」
「そんなに太ってたら糖尿病や高血圧、脂肪肝になってるんじゃないか?」
 脂肪肝にはなっていると思う。でも、糖尿病は痩せていてもかかるらしいから、一概には言えない。
「そうかもしれないけど、検査するお金ないよ」
「俺が出してやるよ、仕方ない」
「そんな言い方しなくたっていいしょ、仕方ないだなんて」
「だってそうだろ、自分の体のことなんだから。他人なら出してくれないぞ」
「そりゃそうだよ、そんなの言われなくてもわかってるよ」
「なかなかおまえも辛口きくようになってきたな」
「まあね」
 そう言うと父は笑っていた。

 あれから約1ヶ月が経過した。薬も変えず、入院もしなくても調子はまあまあ良くなった。こんなこと初めてだ。これには父も驚いていた。そこで父は言った。
「おまえ、もしかしたら、薬に頼り過ぎかもな」
 うーん、そうだろうか?
「そう? みんなそうじゃない?」
「俺が言いたいのは、これ以上、薬を増やすなということだ」
「それは、調子次第じゃない? 具合悪かったら、薬を増やしてもいいと思うけど」
 父は黙っていた。
「それと、たまには、友達と遊んで来い」
 えー! と思い、
「僕は家にいたいんだ、友達はいるけどさ」
 父は呆れた顔をしていた。

 たしかに太陽の光に浴びたほうがいいと医師も言っていた。友達かぁ、誘ってみるか。たまには女友だちと遊ぶかな。スマートフォンの電話帳を見ると何人か出てきた。こいつにしよう。岸口早苗きしぐちさなえ、47歳。幼馴染。なにをして遊ぼうかな、彼女にも訊いてみよう。
<こんばんはー! 久しぶり! 明日、遊べる?>
 彼女にメールを送ったが今夜は返ってこなかった。もしかして、結婚した? 去年までは独身だったけど。

 翌日――。
 7時ころにスマートフォンが鳴った。メールだ。きっと、早苗からだろう。メールを開いてみると、やはり彼女からだった。本文を見てみた。
<おはよー! ホント久しぶりね。元気してた? 実はさ、今年の1月に結婚したのよ。だから昨日の夜もメールできなかった。結構、束縛の強い人でさぁ>
<そうなんだ、遅くなったけど、おめでとう!>
<ありがとう!>
<てことは、僕と遊ぶのも無理だよね?>
<そうねえ、ごめん!>

 僕は謝られて気分を害した。でも、仕方がない。早苗の結婚生活を邪魔するわけにいかない。僕はいつになったら結婚できるんだろう。相手さえいないというのに。病気も抱えているからなかなか一般の女性とは巡り会えない。出逢いがあるとしたら、病院の喫煙所かな。以前、そこで知り合った女性と付き合ったことがある。でも、半年くらいで別れてしまった。原因は金銭的なトラブル。

 あるとき、元カノはお金を貸して欲しいと言ってきた。翌月には返すというし、生活費が足りないというので、可哀想に思ったから2万円貸した。元カノは生活保護受給者だ。シングルマザーで子どもは3人いる。翌月になって、保護費をおろしたと聞いたので返してくれるのを待っていると、9千円だけ返してきた。全額じゃないのか、と思ったのでそう言ってみると「分割にして」と言う。仕方ないなと思って更に翌月になり請求してみると、
「生活保護をもらってるあたしからお金取るの?」
 と言ってきた。僕は頭にきたので、
「お金を返すのと、生活保護は別だろ!」
 怒鳴りつけた。すると、
「器のちいさい男はいやだわ。別れましょ。お金も返せないから」
 と言ってきた。
 僕はこんな女ともう関わりたくないと思ったので、
「ああ、お前みたいな女とはこれっきりだ! 帰れ!」
 と言って僕の部屋から追い出した。

 約3ヶ月後、噂で聞いたのは、交際中の男に殺されたらしい。普段の行いが悪いからだと思い、ざまあみろとも思った。

 これは数年前の出来事だ。それから僕はだれとも付き合っていない。縁があればいつかは出逢うだろうと思っていたが、誰とも出逢わない。

 このまま死を迎えるのかなぁ……。まあ、死ぬような病にはなってないけれど。マッチングアップリで相手を見つけるという手もあるけれど、そこまでしなくても、とも思う。

 ほかに友達は、と思い再度スマートフォンの電話帳を見た。男女問わず、遊べるならだれでもいいと思っている。こいつはどうかな? 同じ精神科にかかっている、

山際幸太郎やまぎわこうたろう、35歳。彼は双極性障害、いわゆる躁うつ病だ。僕とは違い感情豊かだ。逆に僕は感情がフラットだ。僕も山際君のように感情豊かになりたい。

 彼はメールを打つのが面倒だからと言うので、電話番号しか知らない。なので電話をかけた。今の時刻は午後8時ころ。電話するのに遅くはないだろう。呼び出し音が5~6回鳴って繋がった。
『もしもし、山際です』
 低音の声が響く。
「おー、山際君。元気? 明日、ひま?」
『こんばんは、筒井さん。明日は休みだからひまですよ』
「そうなんだ。たまに遊ばない?」
『いいですよ、何して遊びます?』
「それを考えてなくて。漫画喫茶にでも行く?」
『いいですね、行きますか。車で迎えに来てくれるんですか?』
「ああ、行くよ。相変わらずだな、山際君は」
『なにがですか?』
「いやいや、何でもないよ」
 僕は思わず笑ってしまった。
『なんで笑うんですか! 気になるじゃないですか』
「まあ、そう怒るなよ。正直に言うよ。相変わらず自分に甘いなぁと思っただけだよ」
 一瞬、間が空いた。
『筒井さんは失礼な人ですね。別に自分に甘くないっスよ』
「そうかあ? まあ、いいけどさ。それで明日のことだけど、何時なら行ける?」
『午後からにしませんか? 午後1時とか』
「わかった。じゃあ、そうしよう。一応、行くとき電話するわ」
『わかりました。待ってます』
 ここで、通話は終わった。
 僕の家は晩御飯は父が作る。僕が2階で通話している声が聴こえたのだろう。電話を終えたタイミングで、
「壮太! 晩飯だぞ」
 と呼ばれた。
「わかったー!」
 僕も大きな声で返事をした。今日の夕食は何かな。肉とサラダがいいな。とりあえず階下に行こう。
 良い匂いがしてきた。これは、カレーかな? キッチンに行ってみるとやはりそれだった。
「今日は俺、仕事で疲れているからカレーだけな」
 いつもなら唐揚げや、サラダがついているのに。それより父さん大丈夫かな。
「具合い悪いの?」
 僕が訊くと、
「ちょっとな、どうやら風邪ひいたみたいだ」
「大丈夫? 熱はあるの?」
「ご飯食べたら計るよ」
 心配だ。
「熱あるようなら病院に行ったほうがいいよ。僕か、それとも京子が休みだったら病院まで乗せてもらってさ」
「いいよ、自分で行くから。それに、京子に風邪うつしても悪いし」
 そうかぁ、と思いだまっていた。ちなみに京子は僕の妹だ。彼女は43歳で、障がい者の支援員の仕事をしている。結婚していて苗字は筒井から田中に変わっている。性格はやさしい。僕と同様に細身で女性にしては身長は高いほうだ。今の仕事が好きなようで、子どもはいないからというのもあって仕事に打ち込んでいるようだ。パートではなく正社員。ボーナスが出たら、僕だけに小遣いをくれる。ありがたいことだ。
 僕もそろそろ働きたいな、そして少しでも家にお金を入れたら父だけの負担が軽減するはずだから。このことを父に話した。すると、
「その気持ちは嬉しいし、偉いが、また調子崩すんじゃないのか?」
 やっぱりそう言われた。自分でもどうなるかわからない。
「主治医に相談してみろ、仕事していいかどうかを」
「そうだね」
 僕は次の受信日に相談してみることにした。確か来週だったかな? スマートフォンのカレンダーを見てみるとやはり来週。来週の火曜日、9時に予約してある。

 こんな不治の病にかからなければ今頃バリバリ働いていただろうに。仕方ないとしか言いようがない。でも、医学は着々と進歩しているから、もしかしたら統合失調症が完治する新薬が出るかもしれない。できればそうなって欲しい。

 今日は金曜日、華金。とは言っても、無職の僕には関係ないことだけれど。でも、仕事をするようになったら関係あると思う。多分。正社員になりたいが、いきなりは無理だろう。主治医が働いてもいい、と言えばまずはアルバイトから始めよう。もしかしたらスーパーマーケットならアルバイトから始めさせてくれて、その次はパート、それから準社員、正社員となるのかもしれない。僕はそういう職場を望んでいる。

 翌日の土曜日。今日は週末だから父の意向で、
「飯でも食いに行くか!」
 と言った。でも、感情が平板(フラット)な僕は別に嬉しいわけでもなかった。父には言えないが、それよりも仕事で成功するほうが嬉しさを感じるかもしれない。飯はありがたく食いに行くが。時刻は18時過ぎ。
「何が食べたい?」
 父が僕に尋ねた。
「うーん、ラーメン食べたいなぁ。角煮の入った白味噌の」
 父は表情がさらに明るくなった。
「それは旨そうだな。この辺には……あ! あるな! あのラーメン屋」
 僕は、うんうん、と頷きそこのラーメンのことを言った。
「最近行ったのか?」
 父が訊いた。
「いや、最近は行ってないよ」
「だよな、家でばかり食べてるもんな」
 僕はまた頷いた。そして、
「支度するわ」
 と僕は言った。
「ああ、俺も」
 父も言った。
 僕は洗髪し、ブルージーンズを履き、黒いTシャツに着替えた。父は白いポロシャツを着て紺色のスラックスを履いていた。父は、
「お! カッコいいじゃないか!」
 と言うので僕は、
「いや、前から持っていて着てなかっただけだよ」
 そう言った。
「そっか、おまえも具合悪い日が続いたからどこにも出かけなかったもんな」
「そうなのさ」

 父・筒井宗彦は78歳になるが、車の運転もしっかりしているし、まだまだボケていない。ボケられても困るが。もし、認知症にでもなったら僕だけじゃ介護はむずかしいから、施設に入ってもらおうと考えている。本人には言ってないけれど。
「よし! じゃあ、行くか!」
「うん」
 父は元気だ。いつまでも元気でいてほしい。
 翌朝――。
 父が青ざめた顔で僕を呼んだ。
「壮太……俺、やっちまったよ……」
 不思議に思った僕は、
「どうしたんだよ?」
 尋ねると、
「寝小便してしまった」
「え! マジか!」
「悪いが布団を物干し竿に干してくれないか? 小便で濡れたら重くなって……」
 父を見ているとみじめな表情をしていて可哀想に思えた。
「いいよ。布団カバーとシーツ、洗濯するから」
「すまんな」
「仕方ないさ。年取ってくれば、そういうときもあるかもしれない」
 父は黙っていた。そして、
「俺も年だな……」
「まあ、後期高齢者だからな」
 父の表情は暗い。
「尿取りパッド買ってくるか?」
「そんなもんいらん!」
 急に怒鳴ってきた。
「なんで怒るんだよ! 寝小便の始末だってしてやったのに!」
「そうだな、すまん……」
「まったく、勘弁してくれよ。僕だって寝小便の始末なんかしたくないんだから!」
「じゃあしなくていい!!」
「また怒るし」
 僕は呆れた。父はこんなんだったか?
「今度、寝小便したらおまえの世話にはならん。自分でやる!」
「まあ、そう怒るなって。僕も言い過ぎたよ」
 フンっと父は鼻を鳴らしている。
「別に無理しなくていい!」
「そうかいそうかい、じゃあ、自分でしてくれ。この頑固親父!」
「なにが頑固親父だ!」
「だってそうじゃないか!」
「ああ! もういい! こんな話ししてても埒があかない! この話は終わりだ!」
 僕は(勝った)と思った。でも、僕は大人げないかな? とも思った。相手は父だけれど老人だし。言い過ぎたと思い、反省もしている。でも、父は自分で始末すると言ってきかない。だから仕方ない、事の始まりが僕だったとしても。

 その翌日。
 僕は父に訊いた、
「おねしょしなかった?」と。
 父は黙っていた。やはりしたのか。
「父さん。おねしょしたんだろ。布団干して、シーツ洗濯してあげるから」
「すまんな」
 昨日は感情的になって自分でする、と言っていたが、いざ、そのときになると怖気づいたようだ。まあ、たった一人の肉親だし、放っておけない。一応、父の近況を伝えないと。妹の田中京子にメールを送った。

 時刻は7時30分過ぎ。妹の京子からメールがきた。妹は仕事をしている。障がい者の支援員。この仕事は京子から訊く限りでは、精神障害、知的障害、身体障害の3障害を受け入れているらしい。仕事を一緒にしたり、メンバーさんに教育したり、ときには叱ったり。飴と鞭と言っていた。さすが、僕の妹。出来が違う。父のことは、

<仕方ないね、年のせいよ>という。実にあっさりしたメールだった。続けて僕もメールを送信した。
<施設に入れることも視野に入れたほうがいいよな?>
<そうねえ、要介護が5にならないうちに入ってもらったほうがいいかもねぇ>
 父は最近お腹の調子がよくないという。今日も下痢だったみたいで、父に訊いてみた。
「病院に行くか?」と。すると、
「病院なんか嫌だ! 行きたくない! どうせ、つらい検査するんだろ?」
 よっぽど嫌なんだな、と思った。でも、まだ年齢が80歳にもなっていないんだから治療しないと。そう思っているけれど、本人は僕の気持ちをわかってもらえない。長生きして欲しいのに。頻繁に口喧嘩はするけれど。でも、それは一時であって大したことではない。

 無理矢理、病院に連れて行くわけにいかないし、どうしよう。娘の京子なら言う事きいてくれるかな? わからないけれど。夜にでも京子に訊いてみよう。 昼間、僕は昼寝を1時間くらいした。最近、昼寝するようになった。妹の田中京子は僕にこんなことを言った。
「お兄ちゃんも作業所に通ったらは? 私から見ても、今のお兄ちゃんは働けると思う。そこで体を慣らして、障がい者枠の一般就労で働くのはどう?」
「たしかにそうだな」
 と僕は言った。
「でもなぁ……」
「どうしたの?」
「訊いた話しによると一日働いて700円くらいしかならないらしい」
 そう言うと、京子の表情が曇った。
「お兄ちゃん! 病気があっても働ける場所があるんだから感謝しないと! お金のことは2の次だよ! それに、昼間ずっと家にいるより外にいるほうがいいじゃん」

 僕は妹の言葉に納得した。でも、少しまえに仕事をしていいかどうかを主治医に訊いてからにする。
 父の腹痛について京子に相談するためメールを送った。
<父さんの話しだけど、最近、お腹の調子がよくないらしいんだ。病院にいこう? と言ってもつらい検査をするから行かないと言ってるんだ。どうしよう?>
 今は20時ころ。メールがきた、見てみると妹からだった。
<そうなんだ。私のほうからも言ってみるよ>
<ああ、頼むわ>
<明日の夜にでも行くから>
<わかった>
 翌日の夜。妹からメールがきた。
<今から行くから>と。
 時刻は19時30分くらい。京子が来たのはあれから15分くらい経ってから。父はソファで横になっている。お腹の調子が良くないのだろう。
「お父さん! 明日病院いこ! 私も行くから」
 京子が言う。
「嫌だ! 検査苦しいだろ!」
「何、子どもみたいなこと言ってるの!」
 そう言われて父は黙った。
「だってそうだろ! 胃カメラとか大腸検査とか嫌だ!」
「悪化して手遅れになるよりマシじゃない! 検査が苦しいのは仕方ないの!」
 また父は黙った。言い返せなくなると黙る。それにしても妹は正論で説得している。
「まだ、死にたくないでしょ!」
 父は京子を睨んだ。
「そんなの当たり前だ!」
「じゃあ、病院行って診てもらおう!?」
「わかった! おまえなら本当、口うるさいなぁ」
「明日になって気が変わったとか、無しだからね!」
「わかったわかった!」
 さすがは、わが妹。見事に説得した。
「保険証と病院の診察券忘れないでね。かかりつけの病院の」
「わかってる」

 父は10年くらい前から、この町にある総合病院の循環器科にかかっている。若いころ不整脈を放っておいたせいで悪化し、心房細動という心臓の病気になってしまったのだ。そこの病院にかかるのだ。

 京子と父で病院に行った結果、明日、胃カメラを飲むことになった。なので、今夜8時以降は何も食べてはいけなくて、飲み物は、水かお茶を少しならいいらしい。父の表情は険しい。相当、検査が嫌なのだろう。でも、こればかりは仕方がない。父は、
「ハァー」
 とため息をついた。
「父さん」
「……なんだ?」
「胃カメラ飲むしかないんだから、いい加減、元気出してよ」
「お前に俺の気持ちの何が分かる?」
「また、そういうことを言うし」
「だってそうだろ!」
 僕は呆れた。これじゃ丸で子どもの駄々っ子だ。そう言うと、
「うるさい! 黙れ!」
 フッと僕は笑った。
「そういう笑い方やめろ! 気味悪いぞ」
 黙って聞いており、反論はしなかった。こんなことで喧嘩しても下らないだけだから。
 翌日になり、父は諦めがついたのか、大人しい。父の要望で僕が病院まで乗せて行く事にした。総合病院に着いてみると結構混んでいた。予約の時間は10時。9時半くらいに来たので待合室で少し待った。
「筒井さーん、筒井宗彦さーん」
 父は、「はい」と返事をし、内科外来の窓口に父1人で向かった。僕は敢えて何も言わなかった。
 30分位経過して、父は内視鏡室から出てきた。僕は声を掛けた。
「どうだった?」
 父の表情は暗い。そして、おもむろに、
「胃潰瘍らしい」
「そうなんだ。帰れるんでしょ?」
 父はまた溜息をついた。
「それがな……入院なんだわ」
「え! マジで? どれくらい?」
 僕は驚いた。
「1、 2週間位らしい」
「……そうなんだ。でも、治らない訳じゃないから良かったよ」
 僕と父の間に沈黙が訪れた。
「まあ、そんなに落ち込む事無いよ。入院の準備しないとね」
「書類に書き入れる所だけ書いてくれたら、後は大丈夫なようだ。業者が準備してくれるらしい。まあ、自分達で用意するよりかは若干お金がかかるけど、それでも良い」
「そうなんだ、わかった」
 父は胃の辺りを撫でている。
「痛むの?」
「ああ……」
 僕は心配になって、
「横になると良いよ」
 と言った。
「そうだな」
 父がベッドに横たわっていると、寝息が聴こえてきた。起こすのも悪いので僕はそのまま帰宅した。

 家に着いて居間に行くと、いつも居る父が居ないので、寂しいようなとにかく静か。友達を呼ぼうかとも思ったくらい。いや、誰も居ないから呼ぼうかな。その前に妹の田中京子に父の事を話しておかないと。まずは、メールをした。
<父さんが胃潰瘍で入院したから。1~2週間で退院できるらしい>
 するとすぐさま妹から電話がかかってきた。
『もしもし、おにいちゃん?』
「京子。最近、父さん胃の調子が悪かったらしくて僕にも言わなかったんだ。我慢の限界だったんだろうな、今日入院したよ」
『そうなんだ、明日、様子を見に行って来るわ』
「ああ、そうしてやってくれ。僕も時間を見付けて行くから」
 これで、電話は終わった。

 父は入院した。でも、病院にいるから家に居るより何かあっても安心だろう。仕事はどうするつもりなのか。もうすぐ80歳になるし、事故でも起こす前に年も年だから、退職してもいいと思う。その話もしないといけない。父は明日でも自分で会社に入院した旨を話すだろう。確か父の入院する総合病院は14時から20時まで面会を出来た筈。

 次の日――。僕は14時に着くように総合病院に向かった。父が入院している部屋に行ってみると、左腕に点滴をしていた。そして、眠っているようだ。10分位来客用の丸い椅子に座っていると、人影が見えた。振り向いてみると、妹の京子がいた。
「あら、お兄ちゃん。来てたの」
「お! 京子。久しぶりだな。来てたよ」
「お父さんは……寝てるみたいね」
「そうだな。父さん、仕事辞めた方が良いと思うんだ。年も年だし」
 言いながら、
「座れよ」
 僕は京子に席を譲った。
「ああ、ありがとう。仕事ね。お父さん、今は確か78?」
「そうだな。もう良いと思うんだ。事故っても困るし」
「まあね。起きたら話してみるよ」
 妹は頷いた。
 僕は京子に話し掛けた。
「最近、どうだ? 旦那さんも京子も体調はいいのか?」
「うん、元気だよ」
「そうか、なら良かった。こんな話しをここでしていいのかわからないけど、京子は43だろ? 子どもは作る気はないのか?」
 うーん、と妹は悩んでいる様子。
「遅いと思うよ、母体も危険が伴うと思うし」
「まあ、早くはないよなぁ。でも、父さん、孫の顔が見たいんじゃないかなぁ」
「それはそうかもしれないけど、私だって死にたくないよ」
 僕は言葉を返せなかった。
「まあ、子どもの事は、旦那と相談してみるよ」
 うん、と僕は頷いた。京子は、
「お父さん、胃潰瘍治るよね? 手術とかするのかな?」
「どうなんだろ? 医者や看護師からは何も言われてないから分からんなぁ。まあ、治るとは思うよ。手術するかどうかが分からないだけで」
 京子は頷いた。
「お兄ちゃんは、調子どうなの? 幻聴とか治らないの?」
「そうだなぁ、幻聴は消えないな。もう慢性化してるし、完治しない病気だって本にも書いてあって、医者にも同じ事言われているし。だから、気にはなるけど半ば諦めてるわ」
「そうなんだ、何か可哀想だね、お兄ちゃん」
「ていうか、仕方ないよ」
 妹はそれ以上何も言わなかった。
 次に話し出したのは妹の京子だった。
「お父さん、昏睡状態じゃないよね?」
「うん、違うだろ。ただ、寝てるだけだと思う」
「なら、いいけど」
 京子は息を吐いた。
「まあ、お互い体に気を付けて頑張ろう」
「そうね」
「京子はまだいるのか? 僕は父さんの眠りの邪魔しちゃ悪いから帰ろうかと思ってるんだ」
「そうだね、でも私はいるよ。お父さんと暫く話してないから。話したくて」
「そっか、わかった。じゃあ、またな」
 そう言って僕は部屋から出て病院からも出て帰宅した。
 妹の旦那は子どもを作りたいと言ったら何て言うだろう? 反対するだろうか。そもそもあいつらは何でもっと若い内に子どもを作らなかったのだろう。どちらかが、若しくは2人とも子どもが出来ない体質なのだろうか。訊いたことがなかった。

 次の日、父から僕のスマートフォンに電話をしてきた。どうしたのだろう。
「もしもし、父さん?」
『ああ、昨日、京子が来てくれたわ』
「うん、僕も会ったよ」
『京子が言ってたけど、お前、子ども作らないのか? と言ったそうだな?』
「ああ、言ったよ。旦那さんに話してみると言ってたけど」
『そうなのか。あいつも40過ぎてるだろ。危険だよな、それを承知で言ったんだろ?』
「もちろんだよ、ていうか、父さん元気だな」
『ああ、まずまずだ。点滴が効いているのかもな』
「それなら良かった。で、何か用事があって電話してきたんじゃないの?」
『いやあ、暇だからだよ』
「何だ」
『何だとは何だ』
ハハハッと僕は笑ってやり過ごした。
『来ないか?』
「うーん、何だか調子良くなくて。幻聴も聞こええるし」
『そうか、じゃあ、無理だな』
「悪いね」
『全くだ』
 そう言って、今度は父がガハハハッと笑った。してやられたと思った。
「さっきの話しに戻るけど、父さんだって孫の顔見たいだろ?」
『そりゃ、そうだよ。ただ、あいつは子どもが出来ない体らしいんだ』
「あー、やっぱ、そうか。そういうことかと思っていたよ」
『だから、もうその話は京子にするな』
「わかった、あいつに悪かったかな?」
『うーん、まあ訊かれたくはなかっただろうな』
「謝ったほうがいいかな?」
『そうだな、一応言っておいたほうがいいかもしれん』
「だよね、夜にでも謝っておくわ」
 電話はそれで終わった。

 失敗した、余計な事言わなきゃ良かった。結局、謝る羽目になったから。仕方ない、自分で仕出かしたことだから。誰のせいでもない。

 帰宅して僕は読書を始めた。たまに読んでいる小説。恋愛ものだ。実際、恋愛したいとは今は思わないけれど、本の中で恋愛を体験するのは楽しい。半分位読んであったのでその続きからだ。1時間位読んだだろうか。少し疲れてきた。ちょっと横になろう。僕は自分の部屋にいたので、そこの床の上で横になった。

 どうやら僕は眠っていたようだ。本を読んで疲れたからだろう。スマートフォンの時計を見ると、17時を過ぎていた。1時間位寝たかな。

 メールの着信音が鳴った。誰だろう? と思い、見てみると妹の京子からだった。どうしたんだろう、本文を開いてみた。

<この前、お兄ちゃんが子どもの話しをしたじゃん? それで旦那と話し合ったの。そしたら子どもはいなくても2人で楽しく生活していければいいっていう話しになったの。だから子どもは作らない。年齢も年齢だしね>

 そうかぁ、と残念に思った。父からは子どもが出来ない体だからその話しはするなと言われたけれど、妹の方から言われるとショック。でも、仕方ない。僕には子どもを授からないので、せめて妹の子どもは見たいと思っていたから。でも、子どもがいなくても夫婦だけで幸せに暮らしていけるならそれはそれで良いと思う。


 父に話したいことがあるけれど、父は携帯電話を持っていないので直接病院に行った。病院に着いて父がいる病室に向かった。病室は2階。病室に着いて見てみると父はいなかった。どこにいったのだろう。デイルームにでもいるのかな。行ってみると予想通りいた。1人でテレビを観ていた。
「父さん」
「お、壮太。来たか」
「うん。話したいことがあって」
「なんだ? 金ならないぞ」
 父は笑っている。
「そんな話じゃないよ。父さんの仕事のことで来たんだ」
「仕事?」
「うん。父さんもうすぐ80になるだろ。病気もしたしそろそろ退職した方がいいんじゃないか? 何かあってからじゃ遅いし」
「何を言い出すかと思えばその話か。俺は退院したら仕事はするぞ。やめたら年金しか入ってこないだろ」
「それはそうだけど、僕も障害年金もらってるから少し家に入れるからさ」「その金は貯金しとけ! 俺だっていつまで生きるかわからないからな」
 僕は言葉に詰まった。まだまだ続けるのか。気が強くて参る。したいようにさせた方がいいかな。確かに父が退職したら今までより更に貧乏になるから。

 僕の病気(統合失調症)、父の病気(胃潰瘍)、と心配は尽きないけれど何とか健康を取り戻して生活していけたらなぁと思う。妹夫婦も子どもはいなくても2人で楽しく生活していくみたいだし。先のことばかり考えても仕方ない。その時になってから考えればいいか。そう思い直し僕は父の横に座った。こうやって父の残された人生に寄り添っていられるのもあとどれくらい残されているのだろう。今までたまに口喧嘩はしながらでも一緒に生活してきた。これからもそうやって一緒に生活していきたい。

                              (終)


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