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最悪な年だった2012年を振り返る。

相変わらずなコロナ禍、閉塞感、乱高下する株式相場のなかですが、ふと、これまでどん底だったといえる2012年を思い出したので、勝手に振り返ってみる。

振り返るきっかけ

きっかけは、朝散歩中にグラドルの杉原さんが、株式投資で5年で1000万円、16年後の今は1億円の資産を運用しているという記事を読んだこと

そういえば自分、5年前、10年前は何してたっけ?と思った時に、「そういえば10年前は本当に辛かったなぁ。」というところがら、今まで忘れていた色々を、かなり久しぶりに思い出したこと。

2012年をひとことでまとめると、「メンタル最悪な状態で司法試験を受けて落ち、企業内定は取れたけどまたメンタル最悪なまま年の瀬を迎えた」という最初と最後が最悪な1年でした😅

今何かで辛い方、こんな感じの1年を過ごしても、生きていればいいことあるよ、という励み(?)になればと思います。。

さて1ヶ月ごとに振り返ってみますか!とはいえ、正直辛すぎて「記憶がない」月があるので、数ヶ月まとめて記載することもあります笑

1月:いよいよ司法試験受験受験Year

この頃は、ロースクールの授業があったのどうかの記憶はもはやないですが、おそらく朝7時に大学院の自習室に着席し、授業があれば出席し、夜22時か23時に帰宅するという生活だったと思います。日付が変わる前に帰るというのを目標にしていましたが、恐ろしいことに何時に自習室にいっても、勉強している人がいましたね。。

そんななか私は正直、司法試験受かるか受からないかギリギリの成績だったこともあり、だんだんと追い詰められていくことになります。

2月:授業もなくなり、自習室にも行けなくなる

いよいよヤバくなってきたのはこの頃です。

自習室に行けなくなりました。

その前から、夜眠れない、昼間眠くなる、食欲がない、涙もろくなる、ちょっとしたことが我慢できないなどの諸症状は出ていました。それがとうとう、土日も含めて毎日通っていたアパートから徒歩5分の自習室に行けなくなりました。

朝行きたくない気持ちを鼓舞して席に座っても、まぁ何もできない。動悸がしたり不安感がやばく、「酒を飲んだら落ち着くのでは?」というやばい思考をしだしたので、行くのをやめました。

その後は、大学の別の自習室で勉強をしたり、わざわざバスに乗って自習室が割と広い図書館の自習室に行ってみたりしながら、毎日騙し騙し過ごしていました。

3月4月:ほぼ記憶なし。

試験前に一番おかしかったのはこの頃です。

ロースクールを3月に終了し、実家に戻ることも考えましたが、急に環境を変えるのもと思い、そのまま東京で1人暮らし続行。

眠れないのが辛くて、睡眠導入剤を処方してもらったのですが、全く効かず。(絶対ダメなのに)数回分を一気に飲み、それでも効かずに1缶80円のチューハイを飲むという、完全にODな感じでした。

自習室に行けないので、アパートの自室で勉強することも増えたのですが、タイミング悪く、隣の部屋が学部1年のテニサーの男の子だったのですよね。。毎日楽しいですよね。。飲み会もしますわな。当時の私も「彼は今が一番楽しい時期なのだから、水を刺しては行けない。」と思っていたものの、24時を過ぎても隣から複数人の騒ぐ声が聞こえると(涙)堪えきれずに苦情を直接言いに行ってしまいました。彼、怖かっただろうなぁ。。ごめんね。

集中力も無くなって、本も読めなくなっていましたが、唯一少し読めたのがこちら。

今もバイブルです。あまり読み返しませんが、本棚には絶対入ってます。

5月:試験は受けるも不合格を確信

全くと言っていいほど身が入らない日が続いたので、翌年に受験を持ち越す受け控えをしようかとも思いましたが、そしたら一生受けないだろうと思い、受験しました。

受験会場は五反田のTOC。結果的に翌年も同じ会場で受験しましたが、数年間、五反田はトラウマになりました。

司法試験は中1日休みで、4日間の長丁場。

まぁ、書いたは書いたけど、不合格を確信していました。

受験後は当時の彼氏の家に直行し、なぜか『悪の教典』の上下巻をノンストップで読破笑。なんでもよかったんでしょうねぇ。

久しぶりに読書をしている間に、「もう司法試験を受けるのをやめよう。」と決意し、次の日数時間散歩した後で、就活を開始しました。

それと、完全にニートだったので、司法試験予備校のバイトに申し込みました。

6月から8月:ふわふわした平和な日々

司法試験の合格発表は、2012年は9月11日だったので、それまでは暇です。

いえ、正確にいうとそれまでは執行猶予なので、とにかくバイトと就活に励みました。

また、海外に行きたいけど、単純な旅行じゃなぁと思ったので、ベトナムで海外インターンをしたり、タイの親戚を訪ねたり、結構充実していました。

ふわふわして平和な日々でしたが、ふと、「合格発表まで後●日」と思い出してひやっとするタイミングもありました。

9月:想定内の不合格と想定外の順位

就活の結果が出始め、京都の某電機メーカーの内定をもらうものの迷っていたら取り消され、東芝の最終面接で落とされ、残る1つの最終面接前日が合格発表。

まぁ、不合格でしたよね。番号はありませんでした。

ここまでは想定内だったので、次の日、「やっぱり落ちてました。てへへ。」と最終面接でも明るく言って、内定もいただけました。

幸せだったのはここまで。

不合格発表から2週間後くらい経って送られてきた1枚のハガキ。

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これ、リアルな私の成績です。

注目いただきたいのは、「得点 779.77」と「合格に必要な得点 780」

そうです。

0.23点で不合格!!!

これが私のメンタルをぶち壊しました。

人数にすると、確か、3、4人差での不合格。

法律知識0から3年間、毎日10時間以上、長ければ16時間以上勉強した日々。。。ハガキを見てから、走馬灯のようなものがざーっと見えました。

ここから数日の記憶はないですが、ベランダから見た夕日がとても綺麗だったのを覚えています。

今でも手が震えますね。

10月から12月:運転免許取得だけ考える

内定先から、翌年4月の入社までに宿題として出されたことは1つ。運転免許を取ること。

そうです、私、とってなかったのですよね。

ということで、推薦入試に合格した高校生や、授業の合間の学部生に混じって運転免許を取ることに。

池袋駅から送迎バスでスクールまで行くのですが、若い彼ら(今思うとそんなに離れてないけど)の幸せそうな会話が、すごく刺さって、でも眩しくて、という日々でした。

ちなみにロースクールの同期には私と同じように不合格だった方もいて、ゼミに誘ってくれたり、色々と気を遣ってくれました。もちろん合格した方々も。そこで、1つだけ、月に1回(?)一橋に行って、刑事訴訟法の勉強をするというゼミに出ていました。勉強はこれだけという記憶。

後で、ゼミの先生に聞いたら、「このゼミは、再チャレンジをしている修了生の生存確認だ。」とおっしゃっていました。とても重い言葉です。私もまさに、そのような命綱がなければ、ふらっとどこかに行ってしまっていたかもしれません。

結局、司法試験を受けてから合格発表までは全く勉強していませんでしたし、衝撃の成績を見てからは、月に1回のゼミくらいでした。他にも何かやっていたかな。もう、本当に覚えていないです。覚えているのは、運転免許の取得を頑張ったことと、ゼミ、そして家族や友人等が優しかったことです涙。

こんなボロボロのまま、2012年は暮れていくのでした。。

それから

今私は弁護士なので、あれだけ受けないと心に誓った司法試験に合格しています。

どん底で終わった2012年でしたが、色々あって2013年に入社2ヶ月目で司法試験を受け、合格したのです。

2013年も、本当に色々ありましたが、それはまた機会があれば。

最後まで読んでくださった方。ありがとうございました。みなさんの日々が、どうぞ安全で幸せなものでありますように。




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