学習するとは何か。

文武両道。

この言葉を聞くと部活も勉強も頑張っている人のことをイメージされると思います。

けれど、本来の意味は違うっぽいのです。

本来インプットとアウトプットは同じ一つの流れの中にいないといけない。

けれど、現代人が思い描く文武両道はインプットとアウトプットが分離している。

例えば、掛け算を覚えたとして、掛け算は日常的に使うから

入力→脳→出力

この繰り返しが起きて

 →入力→脳→出力 →入力→脳→出力

人の身に付く。

けれど、因数分解は使わないから

入力→脳→

で止まってしまったり、繰り返すことがなくなって大人になると忘れている

学習は日常の中にたくさんあって、

感覚からの情報が脳に入力され、運動をして出力される。そして繰り返す。

運動は筋肉が動くことだから、常に起きている。

僕が今考えている山に社会を作ることは

なぜ山なのかというと、

山には

ゆらぎ

癒し・恐ろし

自然啓示

そして学習がある。

今日は学習だけ話します。

山に行くと道が常に凸凹していて、変化していく。

すると、道から、木々から、鳥のさえずりから

感覚が脳に入力される。

そして、頭で自発的に考え、歩くと運動がおき、目で障害物を認識し、耳で危機を察知したり、癒しを得るために運動する。

すると人は学ぶ。

生きる

ということを。

コロナが始まり、オンラインが一般化され、地方に住む方、田舎に住む方。

遠い場所にいる人と話す機会が増えた。

そんな人と話していると都会で暮らしてきた僕ら(元高校の友達)と少し違うという印象を抱く。

自然との因果関係は定かではないが、自然は人間のいる場所である気がしている。


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