無職日記2日目.

無職日記2日目.今日も俺は無職である.昨日や一昨日までの意気込んだ感じとは反転、今日は無職らしく(?)怠惰な一日を過ごしてしまった.二日落ち・三日坊主と呼ばれるようなシケた1日を過ごした.だが「今日はだめ」として悲観的に懲罰的に捉えても仕方がない.それでは今日一日にバツ印をつけるようで、明日から生活するのが窮屈になるだけだ.自分で自分の生活に首を絞めることは避けたい.俺は三日前まではもっとダメだったんだから、と今日のところは暫定的に思うことにしておく.

11時起きた.急に始めたランニングのせいで、体が悲鳴を上げていた.昨日走り終えた時に、無性に酸っぱい物を欲していたのを、サインとしてもっと取り入れておけばよかった.「始めたて」は試行錯誤ばかりだ.とはいえ、トマトや、ほうれん草、納豆などを入れた食事を摂った.それでもお腹は空いたままだったので、14時過ぎに、消費期限の切れたフランスパンを豪快にもカットせずに焼き、オムレツを挟んで食べた.これはかなり食べ応えがあった.今後パンを食べるときはとりいれていきたい.足腰の疲労もあり、走るのもなーと思ったので、今日は1時間散歩した.

・昨日、雨の中走りに行って体力が奪われた
・急に読書量や机に向かう時間が増えた
・家にばかりいた

これが今日の不調の原因だと思われる.「俺はやる」から「やり続ける」へと、継続へとなるようなやり方を試してみたい.

ウクライナ情勢の報道も続いている.ウクライナの首都キエフや第二の首都ハリコフへの一般市民を巻き込んだ上での攻撃が継続している.反面、米欧諸国から受け取った武器によって、ウクライナ軍が効果的に抗戦していること、ロシアの進軍を鈍らせていることも報じられている.米国製のジャベリンは一人で持ち歩くことができる携帯性を持ちつつも、戦車の装甲を貫く威力だ.ドイツ、イギリス、ポーランド、エストニア、ラトビア、リトアニアなどもミサイルや武器の提供をしているとのことだ.(*1)

確かに、ウクライナへの侵攻を思い浮かべるときに出てくるのは、プーチンの顔である.だが実際の戦争で功を奏しているのは、アメリカやヨーロッパによって提供された最新の武器である.ロシア兵の死者数は5300人にも上るという.次に戦死するロシア兵はどんな気持ちで死にゆくのだろう.戦争の顔をしているのは、なにもプーチンだけではない.俺は、ロシアとの距離だけでなく、欧米やそれに追従する日本との距離も適切に捉えなければならない.

昨夜は、最近ベルリン国際映画祭で金熊賞を摂ったカルラ・シモン監督のデビュー作『Estiu 1993(邦題:悲しみに、こんにちは)』を見てから眠った.自分を見て欲しいと思うこと、自分の親に会いたいと思うこと、自分の寂しさを埋めたいと思うこと.両親をうしなった6歳の少女、フリダはこういった欲求をもち、泣き叫び、大人を困らせる.大人のようにすました顔をしている.人間を窮屈にするのは何だ.人間をヒステリックにするのは何だ.映画の最後、血のつながっていない大人たちに実の娘のように、子どもとして愛されていることに、フリダは気づき、泣き叫ぶ.それは実の母親がもういないこと、その喪失に気づいた(悲しみに、今日は)からなのかもしれないし、その喪失を乗り越えたからことある涙なのかもしれない.フリダをフリダたらしめるカットが眩しいほど散りばめられている映画だ.俺は何なんだ?

(*1)今日の日経新聞朝刊第4面参照.

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