親が死ぬかもしれないと気がついて考えたこと

衆生誰しもいつか死ぬのだけれどそれはあまりにも近いところにいるようだとようやっと気がついた。
少し前まではコロナコロナうるさいなと思っていた。買い占めもロックダウンも別に困ることはなくて、一度トイレットペーペーがなくなりかけてちょっと動揺したけれど、3日くらい朝一で近所のスーパーを回ったら見つかった。オンライン授業最高じゃんって思ってた。そりゃ自分が辛くなるのはもちろんのこと他人に感染させたら嫌だなあとは思ってた。無駄に出歩いたりパーティとかしてたわけでもない。それでもわりと楽観視してた。死ぬひとは死ぬけどまあそりゃ仕方ないよねって、どこか他人事だった。

母親は介護施設で働いている。父親は糖尿病持ちだ。
死ぬ可能性が、十分にある。冗談でも考えすぎでもなんでもない。月末には身寄りがなくなっていてもおかしくない。一ヶ月ほど前だろうか、ベルギーやその辺で10代の子が死んでいた。だから、誰だって死ぬっぽいな、他人事じゃないな、私も死ぬのかな、まあそれはそれでいいけど、と思った。そりゃやり残したことはあるし、せっかく生きようと足掻き始めたのになとかはあるけどさ。けど、自分が死ぬのはまあ受け入れられるじゃん。そうじゃない、わたしにとって問題なのは、わたしじゃなくて、親だった。

四年前のまさに今頃、私は入院していた。家がつらくて生きる意味がなくて、つらくてつらくてつらくて何度も死のうとした、その学生生活が幕をおろしてすぐ、やっぱり家も生きるのも自分の存在も全部つらくて苦しくて、嫌で、嫌いで、逃げたくて、ゴールデンウィーク明けに死のうとした。そしたら措置入院になった。措置入院っていうのは、なんか自傷他害の恐れがあるとかいう、つまり強制的にさせられる入院。
実に四年ぶりの入院だったあれはちょうど二ヶ月続いた。五月半ばはまだ三度も厳重にロックされた保護室にいたはずだ。4階北病棟の右から二つ目。何もない、薄暗い部屋。Netflixでみる独房となにも変わらないような、いや入院中に首吊って死のうとしてからはベッドが撤去されてマットレスだけが床に置かれた。シーツもなし。持ち込めたのは時計とティッシュだけ。ペンは、腕に線をいっぱい書いたら取り上げられた。税金で入院してるし、自傷他害の恐れってつまり逮捕なんだな、と知った。お馴染みの隔離をまさにされていた。
入院中、初期は親が揃って見舞いにきた。見舞いというかあるいは調査みたいなものだった。医療者が私だけでなく親も調べた。医者、看護師、福祉士、みんながみんな異口同音に「お母さんやばいね」って言った。もちろん言葉は選んだけど。何人かは、お父さんもやばいねって言った。やばいっていうのは、お母さんこそちょっと普通じゃない症状があるよねっていうようなことで、医者も困ってたんだけど、それでも彼女は自傷他害の恐れがないからって普通に出歩いていた。病識がないと誰も何もできない。他害ってなに?私はここでこうして泣いてるのに?なんで誰も彼女に何もしてくれないの?って憤った。父親に一番憤って、でも私が頼れるのは父親しかいなかった。定収入があって、意思疎通ができて、時間に多少の融通がきいて、何より私の世話をする気のある人は、父親以外にいなかった。
だから、まあお母さんと連絡取るのはやめなよ、お父さんも嫌なら電話番号変えちゃいなよ、離れた方がいいよって、まあまあ言われても、できなかった。父親のすることを全部自分でやるのは無理だって思ったし、お金くれたし。
けど、母親はもうすぐにブロックした。面会にこられても怖くてたまらなかった。何を言っていいかわからないし、何も通じないし、なんか、もう。わかんない。わかんないけど、ただただ怖かった。両親揃ってベッドの向かいの椅子に座られるといたたまれなさでなんで死ねなかったんだろうってそればっかり思った。なんで死ねなかったんだろう。
二人でも無理だけど一人でも無理で、父親はまだかろうじて喋れたけど、それでも本当は結構無理で、で、無理したから母親がもっと無理になった。何言ってるかわかんないんだもん。こわいよ。そんな調子だったから、程なくして母親とは面会禁止になった。ありがとうあの時の主治医。看護師。みんな元気にしてますか。そんなわけないね。大変だと思う。けど、どうか、あなたとあなたとあなたは無事でいて。
それから、今に至るまで、母親とは一度も会話をしていない。連絡もとっていない。ドイツに来る前はキャリアメールが何度か届いて、その度に具合が悪くなって、まじやっぱ死のうかなって死ぬ場所とか死に方とか探した。
実家に荷物を取りに行った時に、二回くらい見かけたりすれ違ったりしたことがある。その時もなんとも形容しがたい悲しみと憎しみと苦しみ、あとごめんなさいという気持ちに襲われた。ごめんなさい、何がかわからないけど、ちゃんとしてないこと、逃げてること、働いてないこと、被害者ぶってること、楽しそうにしてること、あなたができなかったことしてること、わかんないけど、ごめんなさい。

それは、親が元気だからできたことだった。単純に逃げて避けて自分の行く末だけ考えていられたけれど、今、急に、親死ぬんじゃないかって思った。ら、怖くなった。ドイツに来る前からわかってた。親が死ぬ前に自分の中の親を殺さねばならないということ、それには現実の親が必要だということ、いつかは対峙せねばならないということ。それを怠ると私は生涯苦しむだろうということ。わかってたというか、全て憶測だけれど。だってまだみんな生きてるから。彼ら、わたしも。
こっちに来て一年目の秋、母親の誕生日、小さな小さな荷物を送った。ひとことふたことのメッセージを添えて。それが限界だった。それからはやっぱり何かしようとしても怖くてつらくて何もできなかった。下書きばかりが溜まった。恨まれてるのはわかってるから。なんでだろう。勝手に産んだくせに。なんなら産みたくもなかったくせに。

仮に、親が、特に母親が、一週間後に死ぬとして、私は今、彼女に電話をかけるべきなのか?なにか、ねぎらいの言葉なんかじゃなくても、何かしら伝えるべきなのか?何か、なにか、すべきなのか?わからない。何もわからない。泣いている。一人で、もう4時間も泣いている。夜中だ。明日は朝からオンラインで授業を率いるほうなのに。先生するのに。一人になるって、親が死んだら一人になるって、怯えて泣いてる。何もできないまま、何者にもなれないまま、何の解決もできず、恨み、恨まれ、憎まれ、憎しみ、苦しみながら、死なれて一人になったら、どうしよう。けど、電話なんてできない。こわい。何が待っているのだろう。こわい、見たくない、知りたくない。残されたくない。一人になるってだけでこわいのに、彼らとの、彼女とのあれやこれやを、何も解けないまま生きていくなんて、末恐ろしい。でもやっぱり連絡なんてできない。私は彼女が、母親が、自分のお母さんが、すごくこわい。お母さんなんて呼んだことない。こわい。嫌いだ。嫌いだ嫌いだ大嫌いだ。でも死なないで、絶対に死なないで。私は一人になりたくないから。このままの関係性で死なれたら困るから。だから、お願い、気をつけて。どうか気をつけて、手を洗って、マスクして、栄養のあるもの食べて、ちゃんと寝て。お願いだから、まだ死なないで。私があなたに連絡できるようになるまで、まだまだ時間がかかりそうだから。お願いします。わたしを産んだ責任だと思って、生きて。

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