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善良な一般市民

昔は、何かを成し遂げないと死ねないと思っていた。

多くに人にとってそれはキャリアであったり子であったりするけれど、そんなの大したことねえな、画一的でレールに乗っていてつまんねえな、と見下しながら、後世に何かを残さないと、子は産まない代わりになにか名前を残すようなこと、作品とか何かを残さないと、死ぬに死にきれない、と考えていた。

それが難しければ少なくとも俺はすごいんだぞと示せるようななにか、結果とか富とか名声とか資格とか、わからないけど何かを成し遂げて名を残してからじゃないと死ねないと思っていた。

あれだけ毎日死にたかったのにねえ。

今は、毎日のほほんと暮らしていけたらそれでいいような気もする。
美味しいパスタ作って、職場でサッカーみて、ニュース読んで世を悲観して、旅行して、笑ってアイス食べながらデスパレートな妻たちを観たりして、毎日なんとなく過ぎていっても、それでいいかなという気もしている。

はやく全てから解放されたいと思っていたあれやこれらが消えてなくなったわけではないけれど、生きるも死ぬも積極的には選ばない中でいかに健康かつ幸福でいられるか、というところだろうか。

それでも死ぬ間際にまだ暇で堪らなければ、あるいは名を馳せたくて疼くようであれば、何かを書いたり何かに貢献したりして、少しでも他人の記憶に残れるように試みようと思う。

いつからはわたしは死ぬことを諦め、よりよく死ぬことを考える善良な一般市民になっていた

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