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小説「ごろん」

 ごろんと落ちてきた。なので拾おうとした。どこを持つべきかを仔細に観察。
ぽっかりと空いた口には黄ばんだ歯が並んで腐臭を放っている。鼻をつまんで奥を覗いてみれば舌はすっかり奥にひっこんでいる。濡れている感じはないが噛まれても良いことは何もない。
 眼球がないのでちょっと怖気づいた。口のように開いてはいないが、瞼が内側へ窪んでいるので眼球をどこかに落としたのは明確だ。もしくは潰されて内側に入りこんだのだろうか? しかし瞼はまじまじ見てみれば細く透明な糸で綺麗に縫い閉じられているし、血も出ていない。やっぱりすっかり眼球をどこかに落としたような感じだ。
 次には両耳を覗く。右耳は苔がびっしり群生している。左耳は穴の奥まで入りこんだような海藻が耳の形をすっかりと隠している。耳かきを探したが、僕のいるここにはない。指でこそぐことも考えたがどうにも気が乗らない。
しかたなく頭皮を眺めてみればつるつる頭。掴みようにも油が浮き、どんなに乾いた指先も瞬く間にぬめる模様。わが天頂に触れられる者あらじ、といった感じ。

 ……
 ……
 ……

 ごろんと落ちてきた。ものをどう掴もうか悩んでいたが、結局は口の下にある顎に指をひっかけて無難な持ち方。拾われる方もこんな結末にうんざりしている様子だが、本当のところ落ちてきた。ものの表情は変わらないのだから、これは僕の心の写し鏡。みたいなものだ。赦せよ、と顎に指をかけて拾いあげると、その顎はおそろしくシャープでありひっかかるところなど、まるでなかった。まるで整形したみたいだと感心してる間に落ちてきたものが僕の手から転がり落ちた。
 ごろん
 ごろん
 ごろん
 手から零れ落ちたものを、すぐさま追えばよいものをその時の僕ときたら、そのごろんのリズムに心をやられて落ちてきたものの転がる様を眺めるばかり。
阿呆みたいに口を空けていると背後から誰かが僕の肛門に手をねじこむ。その腕は大腸と小腸を乱暴に突き破り、かと思えば胃と食道を通るときは爪の鋭さも感じさせないほどに優しくぬめりこみ、口蓋扁桃を人差し指でちょいちょいいじれば舌の付け根を乱暴に引っ張った。僕は身体への異物を意識しながら、ごろんごろんの行く先を見ている。間もなく落ちてきた。ものは僕のいた部屋の扉の影に隠れる。もうそれでおさらばか否か。視線をめぐらすための眼球も動かすことができない。集中という意味でなく強制という意味で。つまりは気づけば、鮮やかに抜かれている。視神経だけはまだ繋がっている。あ、こちらへ向けた。
落ちてきていなかった。
ものが背後で。
僕を落とそうとしている。
 いやすでに。
 落ちている。

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