見出し画像

詩「低所と高所の恐怖症」

低いところから
高いところへ
山でいえば
2合目あたりから
8合目あたりまで
歩みは行きつ戻りつ
山頂に向かうまでの会話は
楽しいお喋りだったり
笑えるおどけ話だったり
難民について訴える言葉だったり
あるいは喧々諤々の口論だったりする

たくさんの生まれた声は
僕らから離れて
でも僕らと同じように
行きつ戻りつする
思いがけず低い場所に行ってしまう
また思いがけず
軽やかに天空にまで昇ってゆくこともある

誰も分からない
そんな喧々諤々
誰も読めない
そんな声の数々に
たくさんの心がぐるぐるする

ではみなさん、
喜び過ぎず悲しみ過ぎず、
テンポ正しく、握手をしましょう。

つまり、我等に欠けてるものは、
実直なんぞと、心得まして。

ハイ、ではみなさん、ハイ、御一緒に――
テンポ正しく、握手をしましょう。

こんな風におどけて
心の平静を保つか

元は一つの陸だったけれど
やがて不理解の大河がながれて
わたしたちは離された
でも大丈夫だ
橋はかかってる
水に浸かって
融けてしまう必要はない

そんな風に希望を残して
中立を保つのか

 詩の発生する場所に正解はないだろう。つらつらと目で読む、あるいは声に出して読んでみる、書いても誰にも見せない、ネットで批評しあいたい、同人に入ってみる、雑誌へ投稿していく、朗読のために書いて、声に出す――詩の発生は、燃えるまなざしで詩に向かいあう
 その場所は、あまねく美しい。

そうやって、愚直に信じていても
時には、疑ってみたくもなる

そしていくら恐ろしいといっても
それが本当ならしかたない
さあはっきり眼をあいて 誰にも見え
明確に物理学の法則に従う
これら実在の現象のなかから
あたらしくまっすぐに起て

もうけっして寂しくはない
もうけっして憤りはない
もうけっして迷いはない
なんべん寂しくないと云ったとこで
また寂しくなるのは決まっている
憤るのも
迷うのも決まっている

けれどもここはこれでいいのだ
すべて寂しさと悲しさとを焚いて
ひとは透明な軌道をすすむ

もうけっして寂しくはない
月が満ちていても
決して満たされてはならない夜

小さな島の細い濡れた舗道に
小さく声を落としながら
塵芥を呼吸する夜

人は透明な軌道をすすむ
低いところや高いところを
行きつ戻りつしながら
わたくしは透明な軌道をすすむ

※ 中原中也「春日狂想」、宮沢賢治「小岩井農場(パート9)」より一部引用。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?