雛妓
「雛妓」初出1939年 岡本かの子
「家霊」これは岡本かの子が作った造語であろう。
代々続く地主の家や、伝統工芸の担い手が育まれる家、何世代にも渡り営む飲食店の家、名家と呼ばれる由緒正しき家。
そんな風に昔は今よりもずっと、家そのものがその中に住む人たちを翻弄しうる様な力を持っていたような気がする。
暮らしを営む箱という役目以上の、なにかおどろおどろしたものを背負うた家という魂の固まり。
この重圧は平凡な家に生まれた私になぞ到底理解できないだろう。
主人公のかの子の家の家霊は、彼女の父が亡くなった瞬間から色を帯び、たゆまぬ形状を成し、彼女と彼女の夫の逸作に迫り来るのである。
彼女の父が、歴代続く血筋の一人として表現せねばならなかったその家の魂は、どうやら死ぬ間際まで上手く世の中に発露せず、彼女の父の人生を激しく揺り動かして、流れ星のしっぽみたいにきれいに消えるようなことを願うも虚しく、未だにその魂を表現してくれとせがんでいる。
私が家霊を少なからず意識できるのは、唯一葬儀の場である。
血を分けた者は同じ根っこで繋がってはいるが、地上に顔を出した蕾たちは普段、それぞれに単独の顔をして、花開いたりしおれたりしているのである。
葬儀に集う親族の血筋が、家霊の魂よろしく先祖代々の家の形を表明し、蜘蛛の巣のように四方八方にその根を露出する。
私の夫の祖父が亡くなり、葬儀が行われた。
祖父が焼かれたあと、私たちはまあるくその周りを囲んで、灰になった祖父の白くてりっぱな骨を眺めた。
ふと目を上げると祖父の枯骨を取り囲む丸の外側で一人、猛然と涙を流している義父をみつけた。
片腕で両目を覆ってざあざあぶりの雨の滴を拭うがごとく泣いている。
あっけにとられた私はすかさず夫に報告したけれど、夫は例のごとく落ち着き払って、お酒に飲まれたからだと澄まし顔だった。
もしかしたら義父は、家霊にとりつかれてしまったのではないか。
ふと、かの子の夫の逸作とこの日の義父が重なった。
かの子の父の葬儀で慟哭した逸作。
家霊が父から彼女へと矛先を変えて向かってくる、その大きなうねりへのおののきと恐怖と覚悟と、一族の家霊をあやすことも静めることもできない無力への抵抗とが、逸作にはどうしても涙を溢れさせた。
家霊を背負うということ、その切実さを一緒に担うという逸作。
かの子は幸せ者だなあと思う。
そして私たちが過ごすこの時代に、はて、本物の家霊はまだ存在しうるのだろうか。という深淵なるクエスチョンを残して本を閉じた。
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