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つるつる剥けるかな。

私が娘を産んだのは、私が41歳の時。
その数ヶ月後には42歳の誕生日を迎えた。
世間的にもれっきとした高齢母だし、否が応でも自覚せざるを得ないほど、子育てには若さと体力が必要だと感じでいる。

不妊治療もしていたし、大量のホルモン剤も飲んだ。赤ちゃんを授かれるかすらわからず、不安だらけで神頼みをしていたあの頃を思えば、今は自分で自分の時間を自由にできないもどかしさはあるものの、子育てというものを、その大変さも含めて堪能している方だと思っている。

最近お店に知り合いのRちゃんがやってきた。久々にやってきた彼女は、生まれたばかりの真綿みたいに柔らかそうで頼りない、小さな小さな赤ん坊を胸に抱えて入ってきた。

清々しいほどバッサリと短いショートヘアは、横を刈り上げていてとても潔い。
すっぴんのお顔は洗いたてのように清潔な明るさを宿していて、彼女の皮膚の毛穴という毛穴から、みずみずしい水分が水蒸気のように放散しその薄皮を湿らせ、彼女の顔の素朴な造作を一層艶やかに縁取っているかのように見えた。
以前はどちらかと言えば、声質の高くて
キャッキャした茶髪のおねぇちゃんという風だったのに、目の前に現れた彼女は剥きたてのゆで卵のようだった。
まったくもって、つやんつやんのピッカピカだ。
前までの彼女の面影はそこにはなくて、彼女が新たに生まれたかのようだった。
Rちゃんは赤ん坊を抱きながらとても幸福に、けれどたおやかに逞しく見えた。
パンを買い込み、年の離れた優しい旦那さんと一緒に帰っていった。

私はなんだか考えてしまった。
自分は高齢出産のなんたるかをわかっていなかった。とにかく自分のこの人生に赤ちゃんを授かる未来を願い、母親になる人生に焦がれていた。
治療を始め、他人が思うほどには自分を痛めつけずに、無事に赤ちゃんを授かることができた。
なんとか娘を出産して育児が始まった。
そこから先は想像もできなかった日々だ。
赤ちゃんを授かるのが今までのゴールなら、子育ては、当たり前だけれど、毎日を子と伴走していく競技に近い。そこにはゴールなんて明確なものはなくて、母親としての役割と責任が一生涯つきまとう。
気力体力共に、いくらでも湧いてくる年齢はとうに過ぎ去ってしまったのだと、40過ぎになり身をもって実感した。

産後の身体や心の変化に戸惑いつつ過ごしていた私の目の前に現れた、つやつやの剥き卵みたいなRちゃんの、地に足がついた神々しさに私は感心してしまった。
彼女はまだ30をちょっと超えた年の頃。
「若さ」というものの凄さを、まざまざと見せつけられたようで、私はホルモン変化でカサカサになって、水分が蒸発しきった自分の身体の内と外に、少しだけガッカリしたのだった。

卵の殻を剥くようにつるんと生まれてくる新しい自分というものに、一体いつまで出会えるんだろう。

「若さ」は、あでやかに私の前にやってきた。
綺麗に剥ける皮を幾重にも被っているから、七変化みたいな華麗さで、どんな場面でもつるつる剥けて新しい自分に出会える。
脱皮したように透明な抜け殻を美しく残して。

歳を取った私は赤ん坊を産み落とし、新たな私に出会えたのだろうか。

カーテンを開いて、眩しい世界に目を細めるような新しい朝は訪れなかった。

歳を取ると美しく脱皮できなくなる。
ジタバタともがきながら、あちこちに傷を作り必死に変化を遂げようとするけど、つるんと剥けることが難しくなる。

目の前に現れる「若さ」の塊は、
私がある程度歳を重ねてしまったことを、はっきりと自覚させる。

それなりの価値観を持ち、人生のなんたるかをある程度自分なりに考えて生きているということは、自分の外側を頑丈な殻で固めて自分を守ることでもある。

歳を重ねて新たな体験をしても、固い殻がひび割れてパラパラと落ちる程度にしか自分を変化させられなくなるのかもしれない。

若さゆえの柔軟な身体と心が、あの美しい脱皮を可能にするのかもしれない。

つるつるのゆで卵みたいなRちゃんの、
この世界に赤子と共に新しく生まれ出た!みたいな、さっぱりとした笑顔を見送りながら、私は自分自身に張り付いた分厚くて固い殻を破りたくて仕方がなくなったのだった。

まだ1歳になったばかりの娘を抱いた時のずっしり重たいふくよかさは、わたしを骨ごと柔らかくしてくれる。
少しづつ、ほんのちょびっとだけでも、
私は私なりに、自分に張り付いている殻を落として、その下にあるつやぴかの自分を撫で回したいと思う。








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