さよならだけが人生だ


※個人の考えと推測が含まれた文章です。公に出ている情報で、事実ど間違っているものがあれば教えていただけたら嬉しいです。


『嵐』という言葉は、気が付けば5人のアイドルグループを指す言葉になっていた。気象現象でも、激しい様を表す言葉でもない。ファンになって10余年。人生の半分近くを共に過ごした嵐が、活動を休止した。


●ゴールテープが張られた2年前

2019年1月、活動の休止が発表された。ファンの数だけ心情も受け止める速度も違う。ファンとそうでない人の思い入れの差に、無意識に傷つけられることもあった。休止の会見以降、船に乗り込む人もたくさんいた。

あまりにラフなスタイルでの会見に、正直拍子抜けしたのを覚えている。和やかな雰囲気に、いやでも我々が嵐を好きな理由を見せつけられて、逆に残酷だった。素晴らしくよくできた会見だったし、嵐5人が団体行動をするうえで素晴らしくよくできた人たちだったんだなと改めて感じさせられた。

昨日で終わりを迎えた、「リミットのある2年」は本当によく考えて企画された2年だったと思う。中止になってしまった企画、世に出ることができなかったアイデアもきっと、いや必ずたくさんあったんだろう。それを見届けられなかったのはファンとしてとてもさみしいと感じることが多々ある。


●夢を叶えるための2年

設けられた2年というタイムリミットは、ファンが心の整理をするための2年であると同時に、嵐が夢を叶えるため2年だった。

嵐の夢、それは紛れもなく「トップになる」「世界中に嵐を巻き起こす」。“Turning Up”と、Rebornシリーズをはじめとするこの2年で発表された楽曲は紛れもなく世界に向けて発信したものだ。

嵐が歌うJpopが好きな私は、正直戸惑っていた。普段聞かない曲調、言語の違い。好みという主観が入る以上仕方がないことだけれど、それをこれまでと同じように受け入れられない自分にもさみしくなった。

でもある日、嵐の夢をふと思い出したらその思いはなくなっていた。周りの人にも最近の嵐の楽曲の方向性について聞かれることが多かったが、自信をもって自分の考えを入れるようになった。

「世界中に嵐を巻き起こす。」この夢を達成するための時間も限られているのだと。胸を張って、世界中に嵐を巻き起こしたといえるように、そのための行動を起こしているのだと。

これまでの20年、ファンのために活動してきた嵐。リミットが決まった2年くらい、自分たちの夢のために動いてほしい。その思いで新曲たちを聞いていた。

それと同時に、Jpopは世界の曲のほんの一部で、海を越えたら全然違う文化があることや、国によって好まれる曲は違うんだと身をもって実感し、気づきを得ることができた。

特にTurning Upは、「世界に向けたJpop」というテーマを感じられてとても好きになった。専門的なことはわからないけれど、英語詞と日本語詞を織り交ぜて、Jpopに近い曲調で、でもどこか未来や世界を感じることができる。アラフェスの最後、「Turning up with the J-pop!」という詩が国立競技場の空の見えるステージで高らかに響いている様子は見ていてとても気持ちがよかった。欲を言えば、この曲のダンス動画が世界的に大流行して、世界がPV通りになる未来は見たかったな。その力になりたくて、ビデオの撮影まではしたんだけどいかんせんダンスが難しすぎてできなかったんだごめんね…。


●失敗

先日のNEWS ZEROで松潤と翔さんの対談が行われた。その中で「普段だったら合ってなきゃ合ってなかったで『失敗か~ハハハ』って笑えるところが結構あるんだけど」という発言が特に印象に残っている。あ、嵐も失敗するんだ。嵐みたいに、たくさんの人を喜ばせている人たちも、振り返ってみて失敗だったと思うことがあるんだ。と、至極当たり前のことだけれど、5人も私たちと同じように、社会で働く人間なんだとすごく近く感じた。

嵐に限らず演出を見るのが好きな私は特に、好きな演出もそうでない演出もいろいろあるけれど、好きにならなかった演出があっても間違いじゃないのかなって、悪いことじゃないんだなって心が軽くなった。

翔さんはThis is 嵐Liveのリハしてて、ロマンチックだなって思ったのはどこのポイントだったんだろうな。気になっててももうそれを聞ける場所も発表する場ももう今はないんだ。


●嵐にとってのLove so sweet

ライブの最後の曲はLove so sweetだった。この曲は、花男の主題歌であり、嵐が世間に大きく知られるきっかけの曲。そして、新旧国立競技場で初めて披露した曲であり、5×20ツアーの軌跡を想う曲にもなった。曲は思い出を重ねて思い入れが増していくけれど、みんなそれぞれにLove so sweetへの思いがあるのではないだろうか。

「嵐からファンへのラブソング」。その最後に歌われたLove so sweetは、メンバーそれぞれにとってどんな想いが詰まっているのか。いつか言葉にして聞いてみたいと思う反面、それも野暮な質問なのかもしれないと思う。


●絶望的な虚無感は、ない

ライブが終わり、2020年12月31日が終わった。恐れていた虚無感は少なく、1月1日を迎えた。意外とダメージ少なかったのかな、なんて思いながらポストを開けても、ここ数年毎年来ていた嵐からの年賀状はない。正月は三が日までテレビを見ることに忙しくしていたけれど、何を見たらいいのかわからない。こういう今まで受け取っていた楽しみや幸せが今日から訪れなくなったことを実感するたびに、少しずつ嵐のいない生活実感していくんだろうなと感じた。

でもやっぱり一番悲しかったのは、ライブを一緒に見ていた母親に、「あなたとの嵐生活、楽しかったよ」と言われた時だった。親子で嵐を応援してたから。親子で遊びに出かける数少ないきっかけは嵐のコンサートだったから。私も一緒に楽しむことができてよかったよ。

嵐の活動休止発表を昇華、消化するのに時間がかかったのだから、実際の活動休止なんてなおさらである。

感情に正解なんてない。そして目には見えない。周りに嵐ファンがいる人に伝えたいのは、むやみに触れず、そっとしてほしいということ。感情は本人しかわからないから。その場をしのぐために、笑って答えていても心は泣いているかもしれないから。

●5人がまた嵐を名乗る日

嵐に対して想う気持ちはファンによって違う。当たり前のことだけれど思いの強さも、方向性も様々だ。考え方も千差万別である。「活動休止」という言葉の解釈も、メンバー本人たちと合致しているのか、私には正直自信がない。本人たちから発せられる言葉を受けて、必死に感じ取ってはいるけれど。

人を笑顔にすることをしているときが嵐と名乗れるとき。という言葉は、アイドルグループとしての責務、グループ名の重みを感じさせる言葉だった。5人で21年続けてきたことへの誇りも感じさせられた。

嵐が戻ってくるかどうか。それを望んでいいことなのか。だれも正解はわからないけれど、私が思うのはまた嵐を名乗って活動しようと5人が思う日があれば、半年後でも数年後でも、嵐を名乗ってもらいたい。それがいつであろうと、その決定を喜んで受け入れたい。逆に、その日が来ないとしても、それが5人の選んだ道であれば応援したい、それに尽きる。ファンは好きな人に幸せでいてほしいんだ。



●嵐のみなさんへ

21年間、嵐でいてくれてありがとう。アイドルという華々しい職業は、得られることや経験は並外れたものだけれど、その分得ることが難しくなってしまったものもたくさんあると思います。私たちはアイドル、芸能を娯楽として見せてもらっているけれど、パフォーマーにとっては仕事。内容は違えど同じ社会人として、21年…入所したころからカウントすればそれ以上の期間をアイドルとして続けてきたこと、本当にすごいことだと思います。

人間関係は双方が努力しなければ維持する事はできません。誰かがそれを放棄したり諦めたら、人間関係はそこで終わります。嵐の5人はそれを理解したうえで、嵐という関係を保ってきたのではないでしょうか。5人の人間力の高さはそこにあるのかなと私は感じています。それを最大限に発揮したのがあの2年前の記者会見だったし、それを演出と映像で表現されているような気がするのはPIKA★★NCHI DOUBLEです。

嵐を見ているのが好き。嵐を見て笑うのが楽しい。それだけでなく、嵐を通じて、家族や友達との思い出もたくさんできたし、行けた場所もありました。興味が沸いたものこともたくさんあります。人生が豊かになるきっかけをたくさん与えてくれてありがとう。

嵐を終わらせないでいてくれてありがとう。嵐という、5人が必死で保ってきた存在、たくさんの人に愛された名前を、消さないでいてくれてありがとう。そこに至るまで、多くの葛藤があったと思いますが、その重さが、嵐の嵐への想いの強さに見えてしまいます。ファンを大切に思っているからこその決断であると同時に、嵐自身が嵐を好きであるが故の結論だと思うから。

オルゴール箱を閉じるような。音楽は止むけれど、箱を開ければまた音を奏で動き出す、嵐はそんな存在になったんだと解釈しています。

まずはゆっくり休んでほしい。次に、嵐ではできなかったことをたくさんやってほしい。そして、もしまた嵐を名乗りたいという気持ちが5人で固まったのなら、またふらっと戻ってきてほしい。個人でやりたい道を見つけたのなら、それに向かって歩いてほしい。ファンはなにより、好きな人の幸せを願っているし、そのためにできることは協力したいと思っています。

嵐という青春を経験した5人の健康と幸せと、そしてこれからの活躍を心から祈っています。


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まずは誰もケガや病気もなく、2020年を終えられたことを心から嬉しく思う。今まで当たり前に受けていた幸せは、まったく当然のことなどではなかったと痛感した。この状況下で、当事者である嵐5人はもちろん、番組や事務所の関係者、ライブスタッフ、その家族親族など数えきれないほど多くの人が力を合わせた結果が、今まで当たり前だと思っていた幸せを支えていた。多くの人の手によって勝ち得たライブの成功。引いては2020年の終わり。1ファンとして、ちっぽけでありきたりな言葉しか思いつかないけれど「無事に2020年を走り切らせてくれてありがとう」の言葉につきる。


5人で手をつないで白い光の中に消えていく姿を見ながら、「花に嵐の例えもあるのかな」なんて考えていた。


2020年1月1日

※個人の考えと推測が含まれた文章です。公に出ている情報で、解釈が間違っているものがあれば教えてください。この文章が、読んでいるあなたの気持ちの気づきのきっかけになったとしたら、それほどうれしいことはありません。


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