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11. 見るたのしみ

額装のたのしみとして、作るたのしみ、それから(材料を)探すたのしみを紹介しました。額装にはそうした作ったり探したりするたのしみ方以外にもうひとつたのしみ方があります。それは見るたのしみ(もちろんほかにもあるかもしれませんが)。

見ると一言でいっても幅が広いのですが、少なくともぼくは額装を始めたことで視座と言いますか世界を見る視点に変化が起こりました。といっても見るものが変わったわけではなく、普段何気なく見ているもののなかで見過ごしていたもの、目に入っていたはずなのに見えていなかったもの、そういったものに対して注意深く視線を向けることができるようになりました。まあこれはどのような分野でも興味を持つことで見るべきものが変わって以前までとちがうものの見方をするようになるのと同じで、よくあることだと思います。それでは具体的にどのような変化が起きたのかお話ししたいと思います。

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これはあまりよい例ではないですが、昔MOMAで撮ったスナップ写真です。デザイン家具のコーナーで、当時のぼくは適当に散策しながら(あまり興味もなかったので)流して見るだけでした。ちょっと素敵だなと興味を惹かれる作品があったら作家の名前と作品名が書かれているパネルを見る程度。

それは興味のあった絵画や現代アートでも同じで、作品それ自体しか見ていませんでした。いまなら背後にかかっているポスターにも目が行くし、ポスターにどんな額装が施されているか、ポスターにつけられたフレームは?とか全体のバランス、作品の配置の仕方、壁面と作品のバランスなどなど、気になるところがいっぱいあります。簡単にいうと少し引いた視点になったのです。

額装を自分でも作るようになるとさらに一歩踏み込むようになり、作品の内部の構造や、額の形状、使われている技法などディテールも気にするように変わりました。作品よりもそのまわりに目がいくようになったのです。以前なら作品を見て、ときどき少し離れて全体像を眺める程度だったものが額のおさまりかただとかマットの余白の使い方など参考になる部分にも注意を払うように変わりました。いまでは作品それ自体よりも、まわりばかりに目がいくのでそれもどうなのかな?と思いますけれど。

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いま思い返してみても有名な作品にどんな額がついていたかなんてほとんど記憶していなかったりします。これは同じとき見たデイヴィッド・ホックニーの作品だったと思いますが、作者の繊細さを表しているのか細いフレームがついています。

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たとえばマグリットのこの作品、不思議な絵の印象はとても残っていて頭のなかにしっかりと残っていましたが、当時の写真を見返してこんな金色の額縁がついていたのだとあらためて気づかされました。頭の中に残っているのは図録に掲載されてるみたいな絵の記憶でしかなくて、絵の細部は覚えていてもどんなフレームがついていたかなんて覚えていないものなんですね。

額装を始めるようになってからそのような部分に着目するようになって軽いショックを受けたのを覚えています。これまで美術館や美術展、あるいはギャラリーなんかに足繁く通って作品だってたくさん目にしてきたのに、実際はぜんぜん見えてなかったんじゃないのかな、と。サッカーで例えるならゴールだけ見ていて敵陣の空いたスペースがぜんぜん見えていないようなことで、絶妙なパスが出されても気づかずに得点を入れられなかったかもしれない、それくらい注意を払ってこなかったのではないかと思えたのです。

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いまだと、こんな感じで後ろに飾られているポスターも一点一点きちんと額に入っていて、どんな感じの額と合わせているのだろう、とかどんな風に飾っているんだろう、あるいはマットの余白はどれくらい作るときれいに見えるんだろう?みたいな疑問を考える余裕があります。この感覚が正しいかはわかりかねますけど、美術館に行ったときただ有名な作品や好きな作品を目で追うだけでなく、額縁やまわりの空間も含めた配置の仕方なんかも目を向けるとぐっとたのしさが広がると個人的には思っています。

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