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ブッダの教えの「苦」の真理をしっかり理解する 「一切皆苦」(いっさいかいく)は「一切行苦」(いっさいぎょうく)がもともとの意味

一切皆苦(いっさいかいく)は

「苦」の真理の四法印(しほういん)のひとつです。

ブッダがみた3つの真理「三法印」は

・諸行無常(しょぎょうむじょう)
この世の一切のものは「変化してかわってしまう」事実

・諸法無我(しょうほうむが)
この世の一切のものは「縁起」で成り立ち、「単独では成り立ってない」事実

自己を形成する単独の我(が)はなく、五蘊(ごうん)から成り立つ無我(むが)の真理

・涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)
煩悩を滅した、「苦のない境地は安らか」な世界がある事実

それにもうひとつの「真理」を見ました、

それが、苦の真理の四法印のひとつが、この「一切皆苦」です。

すべてが「苦の世界」とも受け取れる一切皆苦ですが、

一切皆苦の「苦」の違い

を見てみましょう。

1.避けることができない「四苦八苦」(しくはっく)の「苦」
【四苦八苦】(しくはっく)

四苦(しく)とは、
生老病死(しょうろうびょうし)の四つの誰もさけることができない苦しみのことで、「生まれると、年をとり、病気になって、必ず死んでしまう苦しみ」です。

八苦(はっく)とは、
下の四つの誰もが必ず経験する苦しみのことで、
1.怨憎会苦(おんぞうえく)
「生きてると嫌な人に必ず会う苦しみ」

2.愛別離苦(あいべつりく)
「生きてると好きな人と必ず別れがある苦しみ」

3.求不得苦(ぐふとくく)
「生きてると手に入れられないものがある苦しみ」

4.五蘊盛苦(ごうんじょうく)
「生きてると思うようにならない苦しみ」

五蘊盛苦は、ほかの七苦を合わせた意味でもあります。

《*五蘊盛苦は、もともとは「五取蘊苦」(ごしゅうんく)が正しいみたいです。下の一切行苦で補足説明します。》

一切皆苦はほんらいは、「一切行苦」(いっさいぎょうく)

ともいわれています。

この「行」に注目してみてみましょう。

四法印の一切皆苦(いっさいかいく)は、

身体やこころが感受して苦の「煩悩」が発生してくる集諦(じったい)の真理が本来の自分から苦が発生してくる意味ですので、ものごとを形成しようとする「行」の働きが変化する意味がほんらいの「苦」の意味です。

だから、「一切行苦」がほんらい正式な言葉と言われています。

このことは、

「無明に基づく、こころの働きは苦」と僧侶様から説明を受けたことがあり、まさに十二縁起の「苦」の発生メカニズムと合点した内容になります。

大念処経の「法の観察」を読んで理解すると、五蘊盛苦は「五取蘊苦」が書かれているのも理解ができます。

《図解ではこちらをどうぞ↓》

・色(シキ・からだの肉体)
色蘊(しきうん)ともいわれます。
・色、形あるもの。認識の対象となる物質的存在の総称
・物質的要素

身体の肉体と

眼、耳、鼻、舌、身の5つの感官能力「五根・ごこん」 (意を含めて六根・ろっこん)の、

眼識・耳識、鼻識、舌識、身識の5つの知覚および認識「五識 ・ごしき」(意識を含めて六識・ろくしき)で、

色、声、香、味、触の5つの認識した対象物が「五境・ごきょう」(法を含めて六境・ろくきょう)です。

その感知する五根(六根)・五識(六識)、感知された五境(六境)の総称が「色蘊」となります。

・受(ジュ・感受するこころの作用)
受蘊(じゅうん)ともいわれます。
・感受作用
・感覚的感受

上記の色の肉体的、生理的な感覚の
根(六根)と境(六境)と識(六識)の接触から生じて、
自分の内に「苦・楽・不苦不楽」のいづれかで感受します。

・想(ソウ・思い浮かべる心理作用)
想蘊(そううん)ともよばれ
・表象作用
概念的な事柄の認識。事物の形象を心の中に思い浮かべること。

・行(ギョウ・形成しようとする意識)
行蘊(ぎょううん)ともよばれ
・意識を生じる意志作用
・意志形成力
・潜在的形成力
心がある方向に働くこと。

身体で感受して、心で想ったことを、無意識で、「なにか形成しよう、作り出そうとする」働きです。

・識(シキ・判断する識別する心理作用)
識蘊(しきうん)ともよばれ
・認識作用
・識別作用
対象を識別、区別して知ること。判断するこころ。

五蘊の対象に執着することを、「五取蘊」(ごしゅうん)といいます。

《五蘊を詳しく理解してから、大念処経を読むとわかりやすいです。》



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