りはびり

日記という体裁をとるから毎日続けなければと思ってしまうのだ。もっと自由に、書きたいことを書いていいんだ。


今『ペンギン・ブックスが選んだ日本の名短篇29』を読んでいる。まずこの読んでいる本の読んだ短篇の感想を記すことで書くことのリハビリとしようと思う。

監獄署の裏/永井荷風

永井荷風は『布団』しか読んだ事がなかった。『布団』を読んだだけで、そんな雰囲気の小説家だと認知していた。しかし一作品だけで作風は判断は出来ないはずだ。比較対象がないから。実際ここでいう「そんな雰囲気」を具体的に言語できていない。

しかし今も言語化できるとは言えない。さっくりと「暗い」としか言えない。もう少し読書経験を重ねなければ、言語化に明るくならなければいけない。

※ここで一つの反論が生まれるだろう。それではもう一度あるいは何回でも読み直し、感想をこしらえればいいだろうと。しかしそれは既に読み終えた自分αともう一度読んで感想をこしらえたα‘はノットイコールではないか、という自らの読書の中の少ないながらに得た、考え方めいたものがあるためここでは紹介しない。


興津弥五右衛門の遺書/森鴎外


森鴎外は『高瀬舟』を読んだことがあり、こちらはなるほどと楽しめた印象だった。『興津弥五右衛門の遺書』はしかし、何の話をしているのかと言うレベルでわからなかった。これは読んでいる途中から繰り返し「候」が語尾についていて、そのことが気になってやまったからである。恥ずかしい限りだ。

言い訳をしようとしてやめた。その言い訳しようとした痕跡は残しておく。


憂国/三島由紀夫


三島由紀夫は『金閣寺』を読んだことがあり、こちらはちゃんと文章になる程度には感想が書けるはずなので、ここまで辿り着いている読者がいる事を願う。

個人的に三島由紀夫は計算され尽くされた文章と、句点の打ち方の評価が非常に高い。
計算され尽くされた文章とは、あえて自分の言葉で言い換えさせてもらうならば

来るべき時に来るべき文字が来る

ということだ。物語の展開に無理がない。a→b→c(→d…)の中の矢印に、まるでジグソーパズルの最後の1ピースがはまるような快感を自分は味わう。またそれぞれa、b、c、(d…)、も圧倒的な骨格を持ったがっしりとした文章で、しっかりと読者を離さない。

次に句点の打ち方であるが、句点が単なる通読の際の呼吸の目安、という効果を越えている。先ほど骨格という言葉を出したが句点が文章を鍛え上げられた頑丈なものにしていると感じている。来るべき時に来るべき文字が来る、の文字の部分には句点も含まれている、と後から思った。

もちろん骨格を彩る美しい表現も三島由紀夫の特徴ではあるのだが『金閣寺』初読の時はとにかく最初に挙げた二点に感嘆した。

さて『憂国』だが、短篇ということも手伝ってか、がっしりとした文章でありながら緊迫した状況がますます物語へと引き込んでいく。そして引き込まれた先にあるのは美麗な表現。ラストへ向かう度痛烈すぎる文字達が整然と並んでいるのはとても心地よい体験だった。


今回は3つでやめにする。実際はもう少しストックがあるのだが、眠りたいのでやめておく。




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