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「諦める」

絹彦が「離れる」を引いた直後、
わたしがひいたのは、「諦める」。

犬とメッセージカードひく女。。。。

え〜、なんか2枚ともネガティブなかんじ。
って咄嗟に思ったけど、メッセージブックを読んでみたら、
全然ネガティブじゃなかった。

まず一文目に、
「諦めることは明らかにすることです。」
って。
新しい視界が、ぴかーっと広がった。

このメッセージブックの文章の中で言われている、
わたしの「望むこと」で、「望むようにならない状態が続いている」こと。
恋愛的な意味でのパートナーが未だ現れないということかな、と咄嗟に出てきた。
そろそろ出てきてもいいはずやのに、う〜ん、遅いな…と感じている日々だった。

ふと、前日、お酒を飲んで酔っ払って、すごく大好きな男友達にLINEを送ったことを思い出した。
いっぱいお酒を飲んだ次の日特有の、じわじわ芋づる式に記憶が戻ってきて自我を取り戻す感覚…。あれ好きやねん…(笑)

なんか…やらかしてる気がする…言わんでいいこと言ったかも…😰
っていう嫌〜な「やらかし感」があって、
好意を伝えた記憶はあるけど、
どんな言葉選びをしたのか全く覚えておらず、
大事な友達やのに、変に気まずくなったらどうしよう…と
ドキドキしながらLINEのトーク画面を開いて、確認してみた。
(何度か、酔っ払っては調子にのって、恋愛的なことで失敗した経験があるので😀)

そしたら、
人生を共にしたいくらい好きだけど、あなたは犬アレルギーやから、叶わないね、仕方ないね。
って意味のことを伝えてて、
(我が家には絹彦という大犬がいる🐶)

えっ…。わたし、ストレートに好意伝えてて、かわい……😳ってなって安心した。(笑)
(てかこれ犬アレルギーとか書いたら、見る人が見たら相手バレるやん、恥ず、やめてよ)

でもさ、この送った相手の彼って、別になんか(恋愛的な意味で)いい感じなわけでもなく、
過去ふたりの間になにかあったわけでもなくて、
ただもう友達として人としてめちゃくちゃ大好きってだけで、
相手からわたしに対しての好意も分からんくらい、恋愛っ気がない関係なわけ。

そこでわたしが気づいたのは、LINE確認前の「やらかし感」の中身。
相手が自分のこと好きかどうかも不確かやのに、めちや好意伝えちゃったやん…やらかした…どう思われるかな…嫌かな…
って感じの思考で、不安になって、やば!やらかした!って思った。
相手が自分を好きかどうか、がわたしにとってとても重要やったんやな。

けど、自分が送ったLINEの、あまりのストレートさに、
え、これは、言われて嫌なわけないやん…。
てか、もし万が一相手の彼がなにか思ったとしても、
それはわたしには伺い知れぬことであって、彼の思考には干渉できないし、しなくていいやん。
わたしはただ愛を伝えただけで、そこにはわたしの愛だけが存在したらそれでいいやん。
それで成立してるやん。
と、思考が展開した。
(ま、一応もし彼に恋人がいたら話は変わってくるかもやけど、いないの知ってたからその辺は◎です。)

そこから、今までのわたしの恋愛遍歴に思いを馳せて、
ああ、ずっとずーっとわたしは、「好かれる」ことを求めて、恋愛関係を結んできただけだったな、と気づいた。
もちろん今まで付き合ってきた人たち全員、好きやったけれども、
それは愛ではなくて、あげたら減るようなものだったな、痛かったな、と。

そしてとにかくわたしは「好き」が欲しくて、それが愛じゃないと分かってても、
「好き」をもらうためだけに動いていた、言わば奴隷のようなものやったな、ということに気づいた。

ああ、わたしのやってきた恋愛、わたしの求めてきたものは、
本当にわたしが欲しかったもの、愛、とは、かけ離れてたんやなあ、と、
なぜかすごく冷静に、明らかになった。
「諦めることは明らかにすることです」
ということは、明らかにすれば、諦められる、ということでもある。

ずーっといつも、
彼はわたしのこと好きかな?
昨日は好きって言ってたけど、今日はもう好きじゃなくなったかな?
これ言ったら、したら、好きになってくれるかな?
好きって言いすぎたら嫌われるかな?
こんなに好きなんやから彼もわたしのこと好きなはず!
好きでいたら、好きでいる間は一緒に居れるから、、

って、駆け引きや取り引きのために「好き」を利用してきた。
「好き」って言われたら、不自然なくらい舞い上がって、
何も見えなくなるくらい「好き」をもらうことだけに必死になってたな。

それしか、知らなかったからね。
でも、いつもすごく不安で、不確かで、怖かったな。

もう、あの時望んだ「好き」は要らなくて、
わたしからも、あの時のような「好き」はあげたくない。痛いもん。減るし。

これに気づけるようになったのは、本当に最愛の絹彦(犬)のおかげ。
絹彦が来てから、ああわたしはただ、全力で愛したいだけやったんや。と気づいたし、
愛することで満たされることも知った。
愛は、減らないし、痛くない。
そして、愛は相手がどうあろうが関係ない。ただ在るだけ。
受け取られようが、受け取られまいが、どう思われようが関係なく、ただそこに存在する。

今回の酔っ払いLINEは、愛だった。
見返したときに、それがわかった。
丸一日くらい返事がなくて、まあ、それならそれでもよくて、
(いやちょっとは気になるけどね!!受け取ってくれた方がそりゃ嬉しいからね。)
ただわたしが、前後不覚で自我も失ってる状態で、迷うことなく全力で愛を伝えたことが、自分で嬉しかった。

もちろん、嫌な思いさせてたら悪いな、とはうっすら思ってたけど、
さっき返事が来て、彼も喜んでたから、さらに全部救われた。
わたしはこれで、「好き」を追い求める奴隷のような恋愛を「諦める」ことができた。
ああ、すっきり。ほっこり。嬉しいな、安心したな。

次に愛する人は、一体どんな人やろう。
少しずつ、着々とイメージが明確になってきている。
どこで、どうやって出会うのかな。
2匹目の子犬ちゃん🐶。
(手相占いの人に、「汚ったない子犬」みたいな人がいいよって言われた🥺)

たのしみやな。

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