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引きこもりでも、本を通じて大海へ。“ルーマニア語の小説家”を形づくったもの

『千葉からほとんど出ない引きこもりの俺が、一度も海外に行ったことがないままルーマニア語の小説家になった話』(左右社)という本がある。2023年2月の発売以降着々と売上を伸ばし、現在第6刷(2023年5月15日現在)。俵万智さんや読書猿さんなどの著名人からも評判の一冊だ。
そのタイトルの通り、済東さんがルーマニア語を学び作家となる過程が書かれている本書は、語学学習者にとって非常にためになる内容であり、その行動力に元気をもらえる一冊だ。

だがそのこと以上に私の心に引っかかったのは、随所に感じられる外国人やLGBTに対する差別やフェミニズムに対する真摯な姿勢と偏りのない視点、そして言葉に対する非常に鋭敏な感覚だ。彼のこうした部分はどのように築かれたのか、そしてその感性をもってどんな想いを込めて小説を書いているのか。それをどうしても知りたくなった私は、彼に取材を依頼した。

済東鉄腸さいとうてっちょうさん
1992年、千葉県に生まれる。
『ジョジョの奇妙な冒険』をきっかけにイタリア語に興味を持ち語学の楽しさに目覚める。その後もフランス語、ドイツ語、インドネシア語、ルーマニア語など数々の言語を学ぶ。ルーマニア語学習を進めるうちに自身で書いた小説をルーマニア語に翻訳するようになる。その作品が編集者の目に留まり、2019年4月にルーマニアのネット文芸誌に小説が掲載された。その後も文芸誌に数々の作品が掲載されている。2023年2月に『千葉からほとんど出ない引きこもりの俺が、一度も海外に行ったことがないままルーマニア語の小説家になった話』を出版する。現在ハマっているのはルクセンブルク語。

日本語を外国語として見る

大学では日本文学を専攻していた済東さんは、これまで文学や哲学、歴史といった人文学によく触れてきた。そのなかで、人文学の世界にいた自分が「資本主義」や「新自由主義」などの社会科学の言葉をなんとなくの感覚で使ってしまっていたことに気づく。

「もともと俺は『資本主義が芸術と結託したらクソッタレになる』と思っていて、資本主義があまり好きじゃないんですよ。でもあるとき、資本主義とはどんなものかをよく知らないで嫌っていたことに気付きました。それでどうせならちゃんと知った上で、嫌いな理由を話せるようになってやろうと思ったんです。そこから社会科学を学び始めましたが、自分で学んでみると今までいかにふわっとした理解で社会科学用語を使っていたかを感じますね」

アカデミックな用語以外にも済東さんが言葉の扱い方に問題や疑問を感じるポイントは多い。たとえば「愚の骨頂」という言葉だ。「この骨頂ってなんのことだろう?」って何気なく使っている言葉のことが気になる。また、もう少し深い話だと外来語を使うことの功罪について考えることもあるという。

「最近ちょうどNewsPicksさんで『ビジネス用語新訳宣言』という連載を始めたんです。ビジネス用語は『EC』とか『パーパス』とか外来語がとても多いじゃないですか。外来語だと一度覚えても『これ意味なんだっけ?』って思うことがよくあるんですよね。外来語の悪いところはそこなんです。日本語であれば漢字のおかげでなんとなく意味がわかるのに、外来語だとわからない。それをどうにかしたいなという問題意識からはじまった企画です。この問題意識は一度、脳髄を外国語に埋めたからこそだと思いますね。そこで精神的に日本から離れたことで、日本のいいところと悪いところを中立的に見れるようになった気がします」

彼のバランス感覚に寄与しているもうひとつの要素が、経済学や法学などの社会科学だ。「駄目なものはとにかく駄目で、いいものはとにかくいい」と極端になりがちな人文学に対して、社会科学は「ここはいいけど、ここは悪い」と折衷していく性質があるように彼は感じた。そんな社会科学に触れるうちに、本質的に悪いと考えるのではなく、いい面も悪い面も見られるようになった。「そのなかで生まれた問題意識を社会科学側であるNewsPicksの方が見てくれていて、連載に繋がったのは面白い巡り合わせだなと感じています」

済東さんならではの外国語との向き合い方

「脳髄を外国語に埋めた」そう語った彼だが、実はルーマニア語を話すことはあまりできないのだという。詳しくは『千葉からほとんど出ない引きこもりの俺が、一度も海外に行ったことがないままルーマニア語の小説家になった話』を読んでいただきたいが、彼はSNSや辞書を使って、ほぼテキスト上だけでルーマニア語を学んできた。しかし、外国語を話す能力と書く能力はまったく別物だ。書く際には時間がかかったとしても適切な言葉を選び取ることが求められるが、話す場合は意味が正確であることよりも、瞬発的な対応力の方が重要である。「前者の力ばかりが鍛えられて、後者はまだまだなのが課題だ」と話してくれた。

執筆活動は、最初からルーマニア語で書くのではなく、一度日本語で書いた文章をルーマニア語で書き直す形で行っている。日本語だとあいまいな表現で通じるところが、ルーマニア語ではもっと明確な描写がないと伝わらなかったり、日本語では短い文が良いとされるが、ルーマニア語では短い文章は子どもっぽいと思われたりと違いを感じることも多い。

ただ外国語を学んだだけでなく、こうして日々日本語とルーマニア語を行き来していること、そうしてふたつの国の言葉に真摯に向き合っていることが、済東さんの鋭敏な言語感覚を作ってるのではないかと感じた。

母の本棚が育てた読書体験

彼は、語学に取り組むだけでなく、毎日2〜3冊の本を読んできた。読書量もさることながら、文学や社会科学書はもちろん、科学書にも手を伸ばしており、その読書の幅はユーラシア大陸のように広い。

小さい頃から読書は好きだった。最初に読んでいたのは『帰ってきたウルトラマン』や『ウルトラマンA(エース)』の子供向けの本だった。その次に夢中になったのが、ゲームの攻略本だった。『ポケットモンスター』や『真・女神転生デビルチルドレン 光の書・闇の書』、そしてもっとも好きなゲームである『ウルトラマン Fighting Evolution3』などたくさんのゲームの攻略本を読んだ。とはいえゲームをするのが好きだったわけではない。それよりもゲームを見るのが好きだった。だが当時は現在のようにゲーム実況というコンテンツはなく、ゲームを見るためには自分でするしかなかったため、攻略本を読んではゲームに励んでいた。

漫画もたくさん読んだ。特に好きだったのは『BLEACH』や『NARUTO』といった“ジャンプ系”の漫画だ。『涼宮ハルヒの憂鬱』や『デュラララ!!』などのライトノベルもよく読んだ。本好きの母親からも大きく影響を受けた。

「家に大きな本棚があって、そのなかに俺が読んでいたウルトラマンの薄い本、古語辞典、桐野夏生さんの『グロテスク』、ニーチェの『ツァラトゥストラはかく語りき』と、とにかく無秩序に本が入っていたんです。そのなかにもっとも多く並んでいたのが、母親が買ってきたスリラー小説でした。特によく読んでいたのが新津きよみさんの作品です。女性心理の描き方が印象的でした。あと母は女性自身と週刊女性を昔から毎週買っていて、俺も自然とこの2誌を読んで育ちました。家にあるから女性向け漫画を読むこともありましたし、女性の読む本に触れる機会は多かったように思います。男性だとフェミニズムを学ぶのを躊躇う人も多い印象ですが、その経験のおかげか俺は全然抵抗なかったですね」

そして中高生になると、夏目漱石や谷崎潤一郎などの日本文学を読みはじめた。通っていた図書館で谷崎潤一郎の『蓼食ふ虫』を読んだものの「マジ意味わかんなかった」。

こうして本をいつも手元に置きながら歩んできた人生だったが、大学入学後しばらくして鬱状態になり、読書から少し離れた。心のエネルギーが落ちているため、能動的な営みである読書ができなくなったのだ。そこで夢中になったのが受動的に楽しめる映画だ。映画に夢中になり、それをきっかけにルーマニア語に夢中になった。それでも小説は一般的な人よりも多く読んではいたが、以前に比べると読書量は明らかに減っていた。そんななかで発症したのがクローン病だった。原因不明の消化器系の病で、1976年に現厚生労働省の指定難病となっている。

「クローン病にかかって医学系の本を読み始めました。そして医学の本を読みながら、治療で薬ブチ込まれてるうちに腸以外は健康になり、いろいろな本を読む気力が湧いてきたんです。そしてたくさん本を読むうちに建築学に量子物理学に経済学をはじめとする社会科学と多方面に興味が広がっていきました。振り返ってみれば昔からいつの間にかいろいろな本を読んでいた気がしますね」

過去の自分にも誠実であり続ける

クローン病発症から現在までの約2年間に、それまでの28年間で読んできた冊数を上回るほどの本を読んだ。読書記録をまとめているノートは10冊を超えたという。そんな彼にとっては難問かもしれないと思いながらも、これまでに印象に残っている本を聞いてみた。すると「ちょうど最近考えてたんですよ」と待ってましたといわんばかりにリストを見せてくれた。そこには、ミステリーから語学書、建築書、人文書と、彼の読書と同じく幅広いジャンルの書名が並んでいた。彼が幼少期より親しんでいた『帰ってきたウルトラマン超百科: 決定版』もあった。

「印象に残る本とか人生に影響を与えた本を聞かれると、わりとみんな人文書とか小説とか科学書とかを並べると思うんです。でも俺はそれだけじゃなくて、『文法から学べるイタリア語』や『帰ってきたウルトラマン超百科: 決定版』もちゃんと入れたい。だって『ニューエクスプレス ルーマニア語』なんて本当に俺の人生変えましたからね」

たとえば小説家の場合、影響を受けた本としてジェイムズ・ジョイスやフォークナー、フローベールなど著名で格のある作家ばかりを挙げることが多い。それも本当ではあるのだろうが、もっと個人的に影響を受けたことはないのか。幼少期の好きだったものを切り捨てていないかと時折感じるのだという。

「自分を高尚に見せたいからか、子どもの頃に影響を受けたものを隠したがる人っているんですよね。それは昔好きだったものを作っていた人たちにも失礼だし、それを見て楽しんでいた自分に対しても失礼だと思います。だからこそ、俺は幼少期に影響を受けたウルトラマンのこともちゃんと語っていきたいですね」

現在執筆している小説にも、特撮の影響は大きい。倫理や正義を考える上での基盤の大部分は、ウルトラマンや仮面ライダー、少年ジャンプにより作られたといっても過言ではない。

たとえば2023年1月まで放送されていたウルトラマンシリーズの作品『ウルトラマンデッカー』では、黒幕の宇宙人が地球人に復讐するために怪獣を使って襲ってくる。復讐心を抱いた理由はこうだ。宇宙開拓に取り組んでいた地球人があるとき手強い敵と出会い、その敵と全面戦争をすることになった。その戦争の際、戦闘に使われていた船が1隻黒幕の星に落ちた。当時は善良な青年だった黒幕はその船に乗っていた地球人の話を聞き、自分たちも一緒に戦うことを決意する。しかし、その戦争の末、自分の星は滅亡し恋人も殺されてしまう。そして「地球人なんかに協力したからだ、俺が正義のために動いたりしたからだ」という想いが復讐心に変わり、強大な悪として地球人を襲うようになってしまった。本作では、そんな彼に対してウルトラマンはどう戦っていくのかという倫理的葛藤が描かれている。

こうしたものに触れていると、倫理性や当事者性に対するさまざまな考えが浮かぶ。そしてそれが、創作意欲に繋がっていく。

マジョリティだからこそ書けるものは何か

そんな彼が今書きたいと思っているもの、それは「内部告発者の文学」「傷つける側の文学」だ。

「ここ数年、LGBT当事者や人種的マイノリティによって、当事者だからこそ話せる苦しさや生きづらさがやっと描かれるようになってきましたよね。では差別する側のマジョリティーは何を書いているかというと、マイノリティに寄り添うみたいな形で差別を描いていることが結構あるなと思っています。そういうものを読んでいると当事者性が感じられないというか、自分の芸術のためにマイノリティたちを搾取しているだけじゃないのかと感じることがあります」

済東さんは、性自認と生まれ持った性別が一致しているシスジェンダーだ。かつ異性愛者の男性でもあり、マジョリティ側に属する。そのなかで当事者性を持って書くためには、差別する側を主人公にする必要があると考えた。どんなふうに差別が行われていて、差別する心理はどんなものなのか。それを当事者として、あえて差別する側に寄り添ってその心のうちを描いていく。それを彼は「内部告発の文学」「傷つける者たちの文学」と呼んでいる。

「加害者の文学と言うこともできなくはないんですが、あまりその言葉は使いたくないんです。あまりにも加害性や暴力性が叫ばれていて言葉が軽くなりすぎていないかと危機感を持っています。それに加害や被害って本来は法学の用語ですよね。それなのに法学を深く理解できていない俺が軽々しく使うのはよくないんじゃないかと思っていて。だからこそ俺としては専門用語じゃないもので名づけ直したいと思って、『内部告発の文学』『傷つける者たちの文学』と呼んでいます」

この文学を書くにあたって、彼が重要視する概念が「ポリティカルコレクトネス」だ。翻訳されて「政治的正しさ」と呼ばれることもあるこの言葉も、間違って受容されているように感じている。

「正しさを押し付けるな」ポリティカルコレクトネスに批判的な人がしばしば口にする言葉だ。だが、ポリティカルコレクトネスが表すのは政治的“正しさ”ではなく政治的“正確性”だと考える。

「たとえばアメリカに住んでいたら、黒人もアジア系の人も白人も職場や学校にいて、きっとそれが日常じゃないですか。でも映画には、その現実がない。映画が描く世界も、自分たちの日常をもっと正確に反映したものにしようとしてポリティカルコレクトネスが推進されているんだと思うんです」

だが日本は、アメリカのような状態ではない。その状況下でさらに“正しさ”と訳されたことで概念が正しく受容されていないと済東さんは感じている。それにより「白人の登場人物を黒人にするのが正義なのか」といった不毛な議論が生まれてしまっているのではないか。この問題は倫理や公共の哲学にも関わることであり、全員が考えるべきことだ。それを考えるにあたって重要なのが「何が正義で誰を助けるべきなのか」だと彼は考えた。そして、この難問に示唆を与えてくれるのが、済東さんが小さい頃から触れてきた、子どもたちに泥臭く正義を伝える特撮なのだ。

『寛容 読み方:かんよう』という済東さんの作品がある。これは同性愛者の息子を持つ中年男性が主人公だ。主人公は息子と息子の恋人と一緒に外食をしている。そこで主人公はこんな言葉を口にする。「同性婚が合法化されたら,お前も幹生くんと結婚するよな?」その瞬間、主人公は焦りを覚えた。「合法化」とは同性愛が違法であることが前提の言葉である。しかし違法であること自体がおかしいのだから「法制化」と言うべきだったのではと思い当たったからだ。そう配慮しながらも、一方で「こんなのポリコレ集団の言葉狩りじゃないか」とも感じてしまう。

「マジョリティの悪意がそこでフッと出てくるんですよね。表向きにガンガン差別するのではなくて、ある意味でもっと狡猾で、普段は隠れている悪意。性に関する領域でのこうした心理の当事者は、シスジェンダーやヘテロセクシャルである俺らです」

タイトルに使われている「寛容」もよく考えてみると、「マジョリティがマイノリティを受け入れてやる」姿勢が感じられる非常に上から目線の言葉だ。こうした何気ない言葉のなかにも、差別は現れる。差別する側に属してる当事者として差別を描いていくには、どうすればいいかを考えながら作品を書き続けようとしている。

今回のインタビューを通じて、小さい頃からの多様な読書、ルーマニア語学習と小説の執筆を通じて得た日本語を相対的に見る姿勢、特撮から学んだ“正義”に対する向き合い方。こうした数多くの要素が済東さんを形づくってきたことがわかった。そんな済東さんが紡ぐ物語を、彼の感性で切り取った世界の話を、これからもっと読んでみたい。


この文章は宣伝会議「編集・ライター養成講座46期」の卒業制作として執筆したものを一部変更・修正したものです。

12月からフランスに行きます!せっかくフランスに行くのでできればPCの前にはあまり座らずフランスを楽しみたいので、0.1円でもサポートいただけるとうれしいです!少しでも文章を面白いと思っていただけたらぜひ🙏🏻