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ゲースロと露悪趣味と露悪主義

 ゲームオブスローンズ、コンテンツとしては既に周回遅れというか言い方悪いので「熟れた」という感じだが、俺はぽちぽち気に入っている話を見返したりしていたので俺の中では古びていないのだが、昨今、コンテンツの消費速度は速く無数の後続が控えている。前日譚(つっても100年以上前の話だが)の「ハウスオブザドラゴン」のシーズン1も始まってしまったので尚更なのだが。

 見始めたきっかけは俺の大好きな「落とし子の戦い」(シーズン6第9話)をまた見てしまったからなのだが。この回は何回見ても面白い。ゲースロ内である戦争シーンの中でも屈指というか一番好きかもしれない。もう何回も見たので「一番」なのかどうかは分からなくなっているが。
 とにかく戦場の見せ方が巧い。陣形から戦術、戦場の流れ、彼我の優勢劣勢などが分かりやすい。とかくごちゃごちゃして何が起きてんだか分からなくなりがちなとこキレイに描いている。
 もの凄い乱戦、となるとホントに何してんのか分からない絵ヅラになりがちで(なので個別の視点を切り替えて描くことが多い)落ち着かないのだが、「落とし子の戦い」はラムジー・ボルトンとジョン・スノウそれぞれのやりたいこと、軍の進め方なんかがちゃんと伝わってくる。
 それでいて絵ヅラも全然大人しくない。騎兵が投入されてからの戦場は圧巻で、馬がとにかく危ない。当たり前のことなのだが馬は突っ込んでくるだけで怖い。その馬同士がドカドカドカドカ玉突き衝突する重量感で興奮する。歩兵同士が戦ってると横から馬に跳ね飛ばされる。仕留められて転がってきた馬に押しつぶされる。馬は危険。重くて大きいからね。

 騎兵と歩兵の地獄みたいなもみ合いの中、寡兵のジョンに対してラムジーが敵味方関係無しに矢をバンバン撃ち込むのも単に残虐な性格だからではなく、消耗戦に持ち込めば相手はどんどんすり潰されて力負けするから、現状打破で吶喊してくるしかないので正しい。残虐な性格だからでも間違いはないが。
 戦場に溢れる死体がまた、クッソ邪魔。
 そりゃそうだよね邪魔だよね、という感じだ。その辺は戦争関連の「知識」があればそれほど目鱗な展開ではないとも思うが、知識をどう見せるか思いついたアイデアをどういう絵にして伝えるかという話で、その伝え方が抜群に巧い。
 寡兵を全員引っ張り出して大盾装備の長槍歩兵で包囲、死体が邪魔で後退出来ないなか、グイグイ槍が迫ってきて味方同士で満員電車状態になって呼吸すらままならない有様になる絶望感とかとても良い。突進力に優れた野人も隊列組んだ大盾は突破出来ない。突進力というか、暴れてるだけだけど野人は。あと巨人二体とマンモスいたら違ったかもしれないが。

 そもそもこの「相手を引っ張り込んで三方から包囲しよう」はジョンとダヴォスがやろうとしていたのだが、完全にラムジーに同じことされてる。理由はジョンが単純な人間だから弟(リコン・スターク)殺されて激怒して吶喊したからみんな突っ込まざるを得なかった。
 迫り来る敵の騎馬隊を前にして鞘捨てて孤剣で戦おうとするジョン、なんかスローモーションかかっててヒロイックっぽいけど、そういうのは撤退戦のしんがりとかでやる演出だぞ。勝手に突っ込んでった先鋒でやってどうんだよ。
 この辺もちゃんとサンサが「お前そうなる、そういう性格」ぐらいのことを事前に言っていたので、仕方ないか、って見ている方は思ってしまうのだが。そういうシナリオの組み立てなんかも丁寧。

 んでもって、その殺されたリコンなんですけど。
 ラムジーに戦場のど真ん中で撃ち殺されたあと、死体を回収するヒマがなかったから放っておかれっぱなしで、死体に流れ矢がこれでもかってくらい突き刺さってくる。ネームドキャラの死体に対して容赦がない。それをわざわざ描写してくる。
 ネームドキャラの上スターク家の兄弟に対する容赦のなさ、最初見たときは好きだったんですけどね、容赦ないから。
 ただこう何回も見直してると、ちょっと疑問が湧いてくる。そこまでする必要ある? というか、極端な話「そのシーン、いる?」という気持ちにまで到達する。
 非常にその辺、ゲームオブスローンズという作品は意図的に露悪に寄せている作品なのは間違いないと思う。趣味であり主義であると思う。趣味くらいなら時々出てくるもんだけど、それにプラスして「露悪に攻めるぞ」という主義を感じる。

 これはハウスオブザドラゴン見てからだとよく分かるんですが、かなり意図的にやってる、ゲームオブスローンズ。ハウスオブザドラゴンが丸くなったとかゲームオブスローンズが尖ってるとかそういうことではなく。主義を変えた印象がある。
 歴史の残酷面や下品な部分を積極的に取り込もうとしている。
 歴史は歴史なので時間が長いのである。
 歴史は長いので倫理とか常識とか法律とか全然違うので今からするとおかしいんじゃねえのきみたち? ということを平気でする。日本だって打ち首とか切腹とか意味わからんことしてた。それは分かる。あとそういう文化の違いを確認するのも歴史の面白さだと思う。
 ただゲームオブスローンズは別に歴史物ではない。
 歴史物なら「そういうことをしてたので」という話になるが、創作物なのでどういう要素をピックアップして連結するかには作り手のセンスや考え方が影響してくる。
 「名誉を重んじて打ち首ではなく切腹」「ありがとう」って意味わかんないでしょ、今にしてみたら。ただそういう風習だったし、ちょっと調べればどういう意図なのかも分かるが、じゃあ完全異世界の創作物にそれ採用するかどうかというと、そこには恣意的なチョイスの上で採用されているという話になる。

 そこにリアリティはあると思う。特に異世界を描く上でなら、どれだけ意表を突きつつ文化的な裏付けのある風習をインパクトも込めて(インパク智)採用出来るかは大切だと思うし、仮に歴史的な知識に頼らず一から十まで文化を設定してオリジナル処刑とかオリジナル拷問とか考えている人がいたらちょっと怖い。というかかなり怖い。あと別にそこまでする必要ない。

 生皮剥ぐとか骨が開放骨折するとか頭蓋骨潰れるとかまあまあたくさんあって、わざわざそういう死体映す。多分「やったんぞ~」って前向きな気持ちで描いていると思う。
 全裸もたくさん出てくる。
 俺はかねてより申し上げている通り、中途半端な裸でリアリティを損なうぐらいなら全裸にしろ、しないなら脱ぐな、という意見を散々に申し上げているが、ゲームオブスローンズはボロンボロン裸が出てくる。
 それはいいんだが、無造作に全裸なもんだからボカシが入りまくってる。
 一気に見直したのは久しぶりなのでそんな印象なかったが、一気に見ると全裸の数珠つなぎぐらい全裸。あとセックス。あと全裸。そしてセックス。お腹いっぱいな上にボカシが鬱陶しい。
 性的な描写に関してはハウスオブザドラゴンの方が上手で、ボカシのいらない角度と動きを多用してくる。その分おとなしいが、絵ヅラを考えたらそっちの方が妥当なのだが、ゲームオブスローンズという作品は何より露悪が採用されるので男も女も無作為に全裸である。
 そういうのはたまにでいいのだが? と思ってしまう。
 なんで連打されるかというと、趣味ではなく主義が混ざってるから。趣味ならこんなにやんないよ。飽きちゃうじゃん。

 趣味と主義の違いで言えば、趣味の方がメリハリはある。主義になると「やったるぞ」という意思が強すぎて若干、引く。というか初見はいいのだが、俺も嫌いではないし。何度も見てると「余分だな」という感想が湧いてくる場面は多々ある。

 露悪趣味・主義的な作品というのはたくさんあるが、これは映画ではないが「殺し屋1」ぐらい「やったるぞ」という気分が制作側に込められている。なのでリコン・スタークの死体には流れ矢が刺さり続けるし、ペットのワンちゃんには覚醒剤が与えられ続ける。
 たまにならいいよたまになら。
 全編それじゃん! というのが殺し屋1だが、ゲームオブスローンズはさすがに全編とは言わない。ただ似たようなモノはある。

 この辺のさじ加減はそこそこ難しい。主義のみならまだ調整出来ると思うが趣味も混ざってくるので難しい。趣味を否定されるとたいていの人は怒るのである。めんどくさ。
 あと何せ残酷描写はエロと両輪を為す惹句なのだ。
 エログロナンセンスというではないか。ナンセンスなのは問題があるが。
 ゲームオブスローンズはエロもグロも泥臭いので、そこは抑制が効いているとは思う。それが自然、という描き方にはなっているから、気にならない人はあんま気にならないとは思う。
 俺も気にしてなかった。
 単に食傷気味なのと、その辺の抑制と調整はハウスオブザドラゴンの方がバランスが良かったのもあって気になってきたのかもしれない。

 かといってリアリティ重視かというとそうでもないのは、異世界ファンタジーなのだからそれはそうなのだが(ただ昨今の本邦では「異世界」も「ファンタジー」もちょっと印象が違う気がするがそれは措く)魔術にしろ怪物にしろなんにしろ、リアリティに押されてちょっとおざなりな印象がある。
 例えば巨人が二体とマンモスが出てくる。
 やることは城門の破壊である。
 のちに巨人が一体出てくる。
 やることは城門の破壊である。
 蛮頭大虎みたいな使い方しかしていない。マンモスと巨人がいることを前提に戦術を組んであればと思うが、実際は「従来の戦術に巨人とマンモスがいる」なのでどこで投入したらいいのか分からんかったのか、城門を破壊してそののち死ぬ。
 魔術なんかも露悪趣味の固まりだが、俺はどうしても女司祭メリサンドルの存在が何か役に立ったと思えない。少なくとも戦場ではろくなことをしない。ジョン・スノウを生き返らせたのが手柄と言えば手柄だが、そもそもの話をしてしまうと俺はあのジョンの殺害シーン、いらなかったと思う。
 シーズンを跨ぐのでクリフハンガー的に殺されただけだと思う。
 だってスゲーあっさり生き返るんだもん。ビックリしちゃったよ。
 『光の王』は人を生き返らせるのはメッチャ得意。ベリックなんか背中まで貫通してる袈裟懸けで殺されても秒で生き返る。
 その代わり戦場では全く当てにならない。
 スタニス・バラシオンがどんな目に遭ったことか。
 「ごめん、なんか俺、間違った?」みたいな展開がスゲー多い。スタニスは結局滅びるわけなのだが、光の王が色々勘違いしてしくじったからではと思ってしまいノイズになる。あと「今回の間違いはやべえ」って察してすぐいなくなるメリサンドル、あまりにも酷いと思う。子供が死んでいるんですよ。

 メリサンドルはまあ良いとして(良くはないのだが)、物語上、キーキャラクターであるブラン・スターク回りは異世界ファンタジーとしてのギミックとしてきれいに組み合っていると思う。
 一話で突き落とされて下半身不随になったブランがゲームオブスローンズという物語を締めるわけで、そこに魔術や魔法の要素が不可欠だったのは凄くいい。いいのだがあんな白目になると他人を乗っ取って暴れさせることが可能なやつが七王国の守護者でいいのだろうか。
 まあドラゴンよりマシか。
 そのドラゴンの扱いがちょっとオーバーテクノロジー感がある。何せ航空兵力な上に火力が文字通り高い。ワイルドファイアとどっちが高いかレベルの火力を「ドラカリス」の一言でぶちかませるのはかなり有利というかもうほぼ勝てない。
 ターガリエン家はドラゴンがいたから無敵だったというが、当たり前だよ、あんなもん何匹もいたら誰が勝てるんだよ。

 ファンタジー要素にも丹念に露悪がまぶされているが、ブラン周辺はそれほどでもない。でも子供の頃のホーダーをウイリスからホーダーにしてしまったのは可哀相だし趣味悪いなとは思う。だってあの人、あれからずっとホーダーだったんでしょ。お母さんの気持ちとか考えなさいよ。扉閉めて死ぬためだけの人生だったとか可哀相。
 でもホーダーはいいキャラだよ。
 俺はけなげなバカが好きだよ。
 でもけなげなバカに「させられた」のは可哀相だよ。

 斯様にゲームオブスローンズという物語は露悪趣味・主義がかなり濃いのだが、その舞台設定で幾多のキャラが人生ドラマを織りなすのは面白さに一役買っているのは間違いないと思う。過酷でエロでグロだから少年少女たちの生き様死に様が映えるのである。

 長く続いたドラマなので、俳優本人が現実で成長しているのもともなって「成長のドラマ」としては理想的な有様になっていると思う。これは長く続いた割には設定的にはそんなに歳食ってないハリー・ポッターとかより「大人になった」という感覚が自然に受け入れられると思う。
 特にサンサ。一番酷い目にさらされ続けたサンサがずんずん体格良くなって頭も良くなって世知長けた大人になっていくのは、母親のキャトリンに近づいていくようで「血筋」も感じさせるので良い。
 エロくてグロいことをされたようだが。
 レディが口にすべきではないようなことを。
 ラムジーをワンちゃんに食わせるようになるまで成長するのもそれはそうですね。レディが口にすべきではないことをされたのですからね。成長してもジョンがバカなのは仕方ないとして、サンサとの関係が完全にロブとキャトリンみたいになっているので、ジョンもバカやって死ぬのではないかと心配でした。死にませんが。何故ならジョンはスタークではなくターガリエンなので……。

 もうちょっと書きたくなってきたので、次もゲースロの話にします。
 長いからね。書きたいこといっぱい出てきたよ。

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