明日へ

 四月七日、新学期を明日に控えた日。職員室の前に、知らない名前の青年が佇んでいる。

 担当の先生が言っていた転校生だろうか、僕以外にも多くの生徒が転校生を観察している。

 体型は筋肉質で背は平均ぐらいだろうか、なかなか綺麗な顔立ちをしている。通信用デバイスを立ち上げると、クラスメイトの女子達が早くも転校生の顔立ちについて黄色い声援を挙げている。

 転校生は旧式の通信用デバイスをズボンのポケットから取り出す。

レトロ趣味なのだろうか、政府によって出生時にマイクロチップ

を脳に埋め込むことを義務付けられてから、手にもって使用するタイプの通信用デバイスはめっきりと数を減らした。現在も旧式の通信用デバイスを使用しているのは、法改正前に生まれた老人か、レトロ趣味の人間のみだろう。

時間を確認したのか、一度電源を入れ画面を見た後にすぐポケットにしまう。転校生は一度ためらった後に、職員室の扉をノックする。

 しばしの間が空く。職員室の中からドタバタと何か物が倒れるような音がした後、職員室の扉が勢いよく開かれる。

 僕のクラスを担当している福山先生だ。昼寝をしていたのだろう。頬に何かの跡が付き、寝癖で髪がぼさぼさになっている。先生とはなんと気楽なのか。

 福山先生は大げさに転校生と挨拶を交わし、職員室の中へと招き入れる。


 「やあ、よく来たね。君が谷口亮君だね、外は暑かったでしょ、さあ入って入って」

 私は谷口君を職員室の中へと招き入れる。

 「は、はい。失礼いたします」

 谷口君は緊張しているのか、教室にどちらの足で入るか考えたり、私の顔色を伺ったりと思考がめまぐるしく変わっている。

谷口君は明日からの新学期に合わせ編入してきた。少々面倒な事情を抱えているため、生徒たちに説明しなければならず、正直に言ってめんどくさい。

 私は、職員室端にある昼寝用のスペースへと案内する。昼寝用のスペースと言っているが、それは仮称である。その一角のみ一段高くなっており、前任が持ち込んだのだろう畳が敷かれている。普段は来客が無いため、私は自宅からブランケットを持ち込み、そこでよく昼寝をしている。

 先ほどもまで使用していたため、ほのかに温かいブランケットを隅へと追いやり、昼寝スペースの隅に積んであった座布団を敷き、つい先日買った払い下げのちゃぶ台を置く。

 「さあ、ここに座りたまえ」

 私は、職員室を珍しそうに見渡す谷口君にそう声を掛ける。谷口君ははっとして、靴を脱ぎ昼寝スペースへと上がり、座布団の上に腰掛ける。

 「じゃあ、改めまして、私の名前は福山鈴と言います。一応明日から君が所属するクラスの担当教員になります。これから二年間宜しくね」

 「は、はい。僕はえっと…、谷口亮と言います、よろしくお願いします」

 「そんなに緊張しなくていいよ。今日も面談とっても、明日から始まる学校生活のために、谷口君の心配を緩和するのが目的だからさ」

 谷口君は少し安堵し、肩の力を抜く。こう見れば、他の生徒と何ら変わらない少年だ。でも、少し遠慮がある。まあ仕方のない境遇だ、周囲に自分を知るものが一人もいない。浦島太郎もきっとこんな気持ちだったのだろう。


 僕は平凡な家庭に生まれた。

市役所職員の父と専業主婦の母、そして僕の三人家族。特別貧乏でも特別裕福でもない。贅沢しなければ特に苦労することない家庭。

 平凡と言っても、僕は恵まれている。教育を十分に受けられ、夢がありその夢に向かって努力ができる環境にある。欲しい物があれば、誕生日や正月に買ってもらうことができる。今の時代、この平凡がどれだけ恵まれているのか。

 だから、僕はこの平凡ができるだけ長く続くように努力していこうと思っていた矢先だった。

 あの日は、晴れだった。雲も少なく、程よく日差しが照る過ごしやすい日。僕は学校に向かって自転車を漕いでいた。

 二年生の僕は、クリスマスが目前に控えた今日も、大学受験を否が応でも意識せざるをえない時期になった。

 高校に入学したばかりの自分を思いだし、少し感慨深い気持ちになる。自転車の操縦になんら差しさわりのないはずだった。ほんの一瞬、意識を内へと向けただけだった。

 しかし、その一瞬が仇となったのだ。曲がり角から直進してくる間に気が付くのが遅れた。

 車のクラクションが僕の耳を裂く。そこで僕の記憶が途切れた。次に目が覚めたときには、周囲は近代的な機器が僕を取り囲む、SFチックな研究室の中だった。


 谷口は約一五〇年前に事故によって植物人間となった。本来であれば、死んでいるはずだった。しかし、事故を起こした相手が悪かった。

 野上雄二。

当時から現代まで存続している、大企業である野上グループの社長である野上隆貴の一人息子であり、谷口と事故を起こした男である。

事故とはいえ、上場したての大企業を取り仕切っている時の人である野上隆貴の一人息子が人を殺したとなれば、スキャンダルは免れないだろう。そうすればグループに傷がつく。これから更に事業を拡大していきたい野上グループにとって人死には絶対に避けなければいけない事柄であった。

しかし、事故が起こってしまった事は否定しようがない。いくら金を積もうがSNS全盛である当時では隠し通す事は出来ない。そこで野上グループは苦肉の策をとった。死んでさえいなければいいのだ。死んでいなければどうとでもなるのだ。

多額の金を積んで谷口亮をコールドスリープした。若者を助けるためだと耳障りのいい言葉をはき、口八丁で周囲を騙し、青年を独りきりで、未来という先の見えない暗闇の中へ無理やり背を押し出したのだった。

 

 教師という職業が専門的な職業でなくなってから久しく経った。具体的には百二十九年ほど前だったか、二〇四五年に学者が予想していたシンギュラリティに到達した。まさしくあの年は、技術的な特異点だと言えるだろう。あの年以前を旧時代、あの年以後を新時代と呼ぶ者もいる。

ちなみに私は新時代、旧時代と呼ぶのはカッコ悪いから嫌いだ。まあ、そんなことはどうでもいい、話を戻そう。

 去年まで新時代の技術だともてはやされた物たちは、たった一年で淘汰された。まさに加速度的に世の中が進化し続けていったらしい。そんな中で、教育もあるべき姿が変革されたのだった。

 具体的には教育格差の撤廃だった。

 これまでは、教員が生徒に授業をするため、どうしても教員の質によって授業の質が左右されてしまう。それに、場所によって教育の格差が産まれればせっかくの才能が埋もれてしまうだろう。

 そこで、教育を統一するため、古い教員という職業は消えた。授業は全てAIが全国で一斉管理を行うことになったのだ。

AIが一斉に管理するため、場所によっての教育格差が無くなり全ての子どもが最高峰の教育を受けることができることになった。

しかし、生身の生徒を相手にするためAIでは手の届かない箇所があるだろう。そこで、教師や先生といった名前だけを被った職業が産まれた。主に生徒のメンタルや物理的生活の手伝いを行う者。それが私のような者達だ。

 まあ、このように先生と言っても、谷口君が想像している先生とは大きく異なるだろう。

 そうだな、まあ私たち先生は年上の友達や近所のお兄さんぐらいに思ってくれればいいよ。

 さっきから驚きっぱなしで大丈夫か…。ごめんね、説明するより実演した方が分かりやすいと思ってさ。あとはあんまりみんなに知られたくないと思ってさ。

こんな感じで私は心を読んだり、テレパシーが使えたりする。心を読む方は、ぶっちゃけ結構深くまで分かる。何なら考えてない事でも記憶をたどったりすることもできる。

だから、谷口君の事情は知ってるよ。資料も読んだし。

まあ、これらの能力はそう珍しいものでもない。シンギュラリティに到達した以後に流行ったデザイナーベイビーの影響だろう。まあ、今は法によって規制されているけど…。新生児がそこそこの割合で些細な超能力ともいえるものを有している。

 私の心が読める能力もその範疇にある。まあ、別に無くとも先生にはなれるが、生徒のメンタルケア担当のため割と重宝している。

そんなに恥ずかしがらなくていいよ。他の人たちに谷口君の頭の中を教えたりはしないからさ。

 まあ、そんなわけだ。これからよろしく頼むよ。

 「お前らから後で挨拶しとけよ」

 私は今も見ているであろう、生徒たちに声を掛けた。


 考えが及ばない。意味が分からない。どう表現していいかわからない。目が覚める前の僕に話せば滑稽無形の与太話だと思われるだろう。


 数日前僕は研究室で目覚めた。そこの職員たちは、そこを人類保護研究所だと言っていた。要は僕のようにコールドスリープされた人間を管理している研究所のようだ。

 そこで、ここが僕の生まれた時代から百五十年後の未来だと聞いたときは自分の耳を疑った。凝ったドッキリだと思ったが。職員に案内され街に出てそれが真実だと否が応でも認識させられた。

 膝の力が抜け、その場に膝から崩れ落ちる。膝が熱く、大きく脈動しているのが分かる。目から次から次へと涙が落ち頬を伝い地面に落ちる。

 百五十年後の未来は、美しく輝いていた。創作にあるようなディストピアなどではない。僕が生まれた時代よりも輝いて見える。

 僕の知識や想像が及ばない世界。ここに僕の居場所はないのだ。

 それから怒涛のように時間が進んでいった。いつの間にか、生活基盤と学校に通う手はずまでもが整えられていた。そうして、僕は今日言われるままに学校へとやってきた。

 僕は職員室と書かれた教室の前へとやってきていた。研究所から支給された、スマホで時間を確認する。約束の時間だ。僕は意を決し扉をノックする。

 数秒後、ドタバタと大きな物音を立て長身の男性が息を切らせ扉から姿を現す。

 僕の担任だと自分の紹介した先生は僕の中にある先生像とは大きく異なっていた。服も所々ほつれ、髪にも寝癖が付き、染めているのか金髪に近い色合いをしている。ほんとにこんな人が先生なのか僕は不安に感じた。

 話してみると不思議な人だった。僕の中身を見透かしたように返答をし、話を振る。なんと表現すればよいのだろうか…。…少し気持ちが悪い。今だって、なぜか口角を上げ眉毛を下げ、困った表情を浮かべている。

 また、しばらく先生と話していると、いきなり黙り少し考えたそぶりを見せる。しばし悩んだのちいきなり、何かを思いついた表情を浮かべ僕に目を見つめるように言ってくる。

 言われるがままに先生の目をのぞき込む。何かのイメージが流れてきた。あの日の朝の出来事だ。あの日の朝起こったことから僕が眠っている間の出来事、僕が知っていることも知ら居なかったことも映像として流れてくる。

 僕は先生の目から急いで視線を外す。何が起こったのか分からない、考えようにも考えがまとまらず右から左へ流れて行ってしまう。

 はあ。テレパシー、心が読める。意味が分からない。僕の思考が動き出すか出さないかのうちに、今度はイメージではなく言葉が聞こえてくる。

 ああ、初めて外を見たときから目を背けてきた。こう突きつけられると、僕と彼らとの違いを突きつけられるようだ。

 時間とは残酷なものだ。言葉が同じでも、時間によって意味が変化していく。僕と彼らの繋がりがまた一つ絶たれたような気がした。


 「ちっ、テレパシーか…。」

 職員室で福山先生と転校生が話している。最初は軽快に雑談していたが、途中から何やら見つめ合っている。

 福山先生は確か、テレパシーと心を読む能力を持っていたはずだ。何やら興味深い話をしていた。どうやら転校生は複雑な事情を抱えているみたいだ。

 シンギュラリティへの到達によって、世界はよりよい方へと進歩した。教育も誰もが平等に受けられるようになった。しかし、それは健全な少年少女にとって退屈だった。刺激のない生活に飽き飽きしていた所へ、新しい刺激が投げ込まれたのだ。皆が新しいクラスメイトを歓迎している。

 「まあ、明日になったらわかるか」

 学校監視用のカメラを閉じる。通信用デバイスには立て続けに通知が送られてきている。

 相互監視社会。誰もがいつでもどこでも監視カメラを見ることができるようになった社会。

 時代を経て、世の中はシンギュラリティに到達し、加速度的に進歩する。しかし、根っこは変わらない物である。

皆は明日から始まる学校へ三者三様に思いを馳せるのだった。

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