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刺(とげ)


    鋭角的な坂道の両サイドに、小さな店や民家や会社であろうか有限会社なんとかの看板をあげた建物もある。

この日本海に面した海辺の小さな町に来たのは2回目のはずだった。数年前に土地の契約で来た記憶がある。

この三松坂を登りきると崖になると記憶している。崖の下は海。僕はこの町の30%近い土地を安く買い叩いた。

あまりに急な坂道故か車は少ない。冬は雪も多い土地故、坂道は難儀だろう。

花屋、ビーズ屋、喫茶店、魚屋、総菜屋、蕎麦屋、薬屋、生活の匂いがする店が軒を連ねている。全てが個人商店だ。アパートやマンションなど高層階の建物はない。
岩盤が弱いのだ。だから安く叩けた。

2つ目の信号で、右に。その路地の少し先に、深い緑色の暖簾の店「刺」がある、そこで待つ。

そこで待つとは、先方が言ってきたことで、こちらとしては、なぜに外れの町まで行かなければならないのかと、内心は不満であった。

暖簾の色が良い。なかなかに珍しい色で、よく手入れもされている。小料理屋か。
ガラガラと引き戸を開けると、和であった。まさしく完璧な純和風の赴き。

「いらっしゃいませ!」

奥から出てきたのは、和とはかけはなれたド派手な女性だった。

田舎とはこのようなもの。アンバランスが通常なのだろう。店構えがひどく洒落て、しっとり和の佇まいだったので、漫画の世界のような化粧をした女性の出現に、言葉を失ってしまった。

「あら、、まあ、、よくお出で下さいました、、下村様ではございませんか?」

名前まで店に告げてあったのかと、多少気分を害したのだが、

「渡部様から仰せつかっております。奥へどうぞ、、」

背の高い女性である。

腰あたりまで開いている、洋服というのか、つまりはスペインの踊り子のような服を着ている。今まさにフラメンコでも踊り出しそうな雰囲気であった。

女性の後ろを行くと、ごく自然に背中に目がゆく。
きめの細かい美しい肌だが、小麦色であって、色白とは程遠い。浅黒い肌か。

しかし、背丈があり、重心が高く手足が長い。
そして、この女性に会った記憶があるようなないような。蜘蛛のような長く細い手足を覚えている。

豊かな黒髪を後ろに無造作に束ねている。

廊下も磨かれている。気持ちが良くなるくらいに手入れされている。

奥から2番目の襖を開けて、

「こちらでお待ち下さいませ。」

部屋に入り、座卓に向かって座ろうとしていると、

「下村様、あなたは、こちらの方ではありませんね。」

こちらとは?

「あなたは、1度この町に来られていますね。」

なぜ知るのか、この女性は。

「あなたは、こちらの人ではありません。」

ここの人間ではないが、それがどうしたのか。

不敵な笑みを一瞬浮かべて、派手な女性は廊下に消えた。
座卓すら、相当に高価であろうと思われる塗りのものだった。とにかく手入れが行き届いている。一点の曇りもない。

床の間に、薔薇が一輪。

掛軸は野太い書で「刺」。

奇妙なセンスだ。

和洋折衷とは違う匂いがする。

障子の格子戸を開けて、広がるのは海。
なぜ海なのだ?ここは坂道の中腹あたり、位置としておかしい。
家々が見えるはずだから。

硝子戸も開けて下をのぞくと、やはり海、汐の匂いがわぁーと室内に入る。

こちらとあちら?

こちら?

胸騒ぎに襲われ胸ポケットからスマホを取り出し、渡部に電話をしようとしていたと同時に渡部からの着信だった。

「どこにいらっしゃいます?」

「あなたが指定した店ですが。」

「30分待っています、峠ですよね、」

「とうげ?刺では? 2つ目の信号を右、、」

「大変だ、、出て下さい、そこを、すぐ、、命が危ない、すぐ、」

「でも、、どうやって、下は海、、どうなってるのですか?」

「坂の上から見た右、、あなたは、坂の下から見た右、刺は、死者の館、、正規には出られないはずです、海に飛び込んで下さい、すぐです、、助けに行きます、すぐ!
すぐ!」

渡部の狼狽しつつも、焦り、年長者に対して命令的とも受け取れる物言いに、冗談?ゲーム?などと悠長に考える暇なく、
窓から、ズッボンと海に飛び込んだ。
泳ぎには自信がある。

しかし、晩秋の日本海の水温は想像を絶する冷たさだった。覚えているのはそこまでである。

気がついた時は病院のベッドだった。

渡部の心配そうな顔が見えた。

フラメンコダンサーの女性は、安く買い叩いた土地の跡取り娘だったとか。スペインから戻った女性は住みかを失い、まもなく発狂して亡くなったらしい。

刺に深緑の暖簾、赤い薔薇に書の刺の掛軸、家具調度品は若狭塗と輪島塗のもののみ。刺に誘われた男は2度とこの世には戻らないらしい。

男にしては色白の渡部は言う。
刺の店などないのです、あそこは市民墓地への入り口です。市民墓地の裏手は海です。

見えたのですか?あなたは話したのですか?と、気味悪がる渡部こそ、僕はあの世への案内人ではないかと、密かに考えている。なぜなら、、彼の周りで亡くなる人が多いらしいので。