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祖母

宮崎に帰ってきた。家を出るとき、東京は雲一つない晴天だったので、自信満々に傘を置いてきた。宮崎は雨だった。うかつ〜。天気予報は見るべきだ。

祖母が亡くなってもうすぐ1年、日曜に法事があるというので帰ってきた。何の法事なのかは正直よくわかっていない。ごめんばあちゃん。

私が小3の時に両親が離婚して、我々3人兄妹は母についていくことにした。母方のばあちゃん家で一緒に住まわせてもらうようになった。

離婚する際、両親は1人ずつに「どっちについていく?」と選ばせてくれた。私が一番最初に質問された気がする。私が「お母さん」と答え、姉も兄も「お母さん」と答えた。

父、その晩に、我々が寝る部屋に来て泣きながら「ごめんな」と謝った。逆光で顔は見えなかったけど、父も泣くんだなと思った。これで父とはお別れなのだと実感してちょっと泣いた。
でも離婚の直接的な原因は父がつくったものだったので、「そんな泣くなら悪いことしなきゃ良かったのに」とも思った。ドンマイ父。

そんなこんなあって、小3の夏から祖母との暮らしが始まった。

祖母はテレビが好きで、私が友達を連れてきて、家のテレビで長時間ぷよぷよをしていたら、無言で私たちとテレビの間を通って妨害してきた。

祖母はテレビとイケメンが好きだった。SMAPはもちろん、TOKIOのメンバー名は全員言えた。
嵐がデビューして、嵐はさすがに無理だろうと思っていたら、嵐も全員言えるようになっていた。V6も5人くらいは言えたんじゃないだろうか。
今30代の私でも若い男の子グループの名前を覚えられないから、よほど興味と関心があったのではないかと思う。祖母よ。かわいいやつめ。

ヨン様のことも好きだった。繰り返し繰り返し冬ソナの円盤を見ていたし、ヨン様が出てる他の作品もチェックしていた。

私が進学のために宮崎を離れて、短大を卒業したら一気に祖母の認知症が進んだと母が言っていた。私が育ち上がって気が抜けたのかもね、と言っていた。

それからは年に2〜3回帰省するくらいだった。そんな頻度だし、認知症だし、いつか祖母に忘れられる日が来るんだろうなと思っていたけど、結局、私が会えたうちは忘れられることはなかった。ありがとうな祖母。

昨年12月、祖母が亡くなってお葬式があった。
いろんな親戚が集まったけれど、祖母と暮らした時間が長い者ほどよく泣いていた。棺桶に花を入れる際、ばあちゃんが好きだった百合の花を入れようとして、「ばあちゃんが百合の花を好きだったことを知っている自分」を知って、まあ泣いた。

祖母は庭の手入れがちゃんとできる人で、庭の百合を毎年ちゃんと咲かせては、摘んできて家の中に生けていた。文化的〜。私には真似できない。

そんなばあちゃんの法事である。何するのかよくわかってないけど、顔を見せに帰ってきた孫なのであった。

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