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通勤電車に揺られる方へ

こんにちは。
縁のわの白羽です。

緊急事態宣言がいったん明けました。我が家も支援学校に通う次男坊は週2~3回のペースで慣らし登校が始まり、朝の連続テレビ小説が見られないだの、タブレットをもう少しやっていたいだのと文句を言い、パニックを起こしながら、少しずつ登校の練習を始めています。

ところで、我が家の長男坊は、「どうしても吹奏楽をずっと続けてやっていられるところに行きたい」という本人の希望もあり、お世辞にも勉強が好きなようにも見えず、それなら好きなことに打ち込む時間が増えた方がよいだろう、ということで中学受験を経て私立の中学校に通っています。私立は通学に電車が絡むため、再開の判断が難しく、対応はばらけていますが、長男坊の中学校は来週月曜から通常登校となり、そういう学校は何校かあるようです。

そこで。

我々が中学生・高校生だったころを想像してみてください。

リモートで多少の勉強はしたり、仲いい同士でゲームのチャットをしたりはしていたとは思いますが、3月後半以来、ひさしぶりに会う友だちと会話を禁じられて守れるでしょうか?

置き勉禁止で6時間~7時間授業の教科書やノート、お弁当が入ったカバンをスマートに網棚に乗せたり、小さくまとめられるでしょうか?

学校からは早く来すぎてもダメ、遅く来たら遅刻、と言われて、仮に満員の電車が来たらぐいぐい乗ろうとしないでしょうか?

自粛が下げた閾値

実は先週木曜日、次男坊を連れて毎週通っているLITALICOという自閉症療育の教室に行きました。都営大江戸線に乗り、次男坊がいつも好んで座る端の席に腰を下ろした瞬間、お隣に座っていたおじさまが、舌打ちをして立ち上がり、なぜここに座るのか、隣はあけておく決まりだろう、と叱られました。
私は、子供の障害については隠さないと決めているので、正直に事情をお話し、この場所が空いているときは座ってよいと約束しているんです、すみません、とお伝えすると、ならこんな人が多い時間に出てくるな、とおっしゃって電車を降りていきました。

人が多い?

辺りを見回してみました。

立っている人はいない。座っている人もだいたい1人おきの、16時過ぎです。これ、自粛期間中に人の許容範囲という閾値が下がったのだ、と気づきました。

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ちなみにこの写真、ずっと自粛期間中我慢してきた次男坊のご褒美で昨日羽田空港の展望デッキへ出かけた際のモノレール車内です。まるで異次元のようでした。

学校の決め事の中で

話を戻すと、来週以降、本格的に中高生の人数が8時近辺の電車に増えてきます。今まで朝練をやっていた部活もありますから、下手をすると今まで以上に子どもの人数が増えます。

でも、子どもたちは「会社が出社しろと言っている」通勤の方たちと同じくらい、「学校が決めたスケジュール」に従っています。学校にはフレックスも裁量労働ならぬ裁量学習制も基本はありません。遅刻すれば(多分現状は)叱られないまでも授業は進み、早く帰ればその分の授業が聞けません。

彼らも決まりの中で、時間に間に合うよう通学するしかないのだ、ということは分かってほしいのです。

すてきな理念がもう一つの懸念に

さて、私たちが中高生のころの記憶はたどってくださったかもしれませんが、もう一つ、ここに大きな要素が加わります。今は「褒めて育てる、認めて育てる時代」である、ということです。とてもすてきなこの考え方が、実はこれから日常を取り戻していく子どもたちの足を引っ張るかもしれない、という懸念を持っています。

子どもの想いや感情を認めて共有することはとても大切なことで、私も日々怒りに流れそうになるのをふうふう言いながら頑張っておりますが(笑)、以前なら「いーから学校行け」「行かないのダメといったらダメ、死んでも行け、決まりなんだから」で通った単純な時代は終わりを告げています。その中で、仮に、子どもが「電車でどなられた/嫌な扱いを受けた」から行きたくないんだ、時間をずらしたいんだ、と言い出したら、親も、学校もその想いに寄り添い、子どもの希望を聞くところから対話がスタートします。

これは、親1人が心を鬼にすればよい、という話ではなく、全体の教育現場が子どもの想いを聞き、時には保健室に登校させ、学校を休ませてきたのですから、全体で考えなくてはならないのです。

繊細な子どもたちの何割かは、どきどきしながら久しぶりの登校に臨みます。そこで友達に会って気が緩んだり、つい疲れてふらふらしてしまった子どもたちを、どうか頭ごなしに叱らないでほしいと願っています。

久しぶりの学校をつまづかせないために

小さい頃、ちょっと大きな病気をしたら、「あなたは健康に戻ったから、週明けから学校ね」と言われたときに寂しいような、名残惜しいような思いをしなかったでしょうか?学校が好きでも、もうちょっと病人として優しくしてもらいたいような気持にならなかったでしょうか?

今は、まだ経験や社会通念も乏しい子どもたちが一斉に3ヶ月の大病をして、そこから再度、学校生活という名の社会生活に慣れていこうとしている状況なのだと、私は考えています。

会社も、学校も、同じように決まりがあり、子どもたちはまだまだその決まりを守る「練習中」です。(度を越したら私だって叱りますけど(# ゚Д゚)

これからも子どもたちはたくさんつまづきます。

彼らが若く、未熟なのもありますが、勉強も短時間で集中することが求められ、長期休暇は減り、部活は制限され、大会も、発表の場もなくなって我慢の時期が続きます。そのつまづきのきっかけに、通学車内がならないように、と願ってやみません。

あたたかい目線で見守り、そして、度を越した子はたしなめてやってください。子どもは図体は大きくても、あなたよりもずっと幼く、我慢もできない生き物であることを思い出して接してやってください。

よろしくお願いいたします。

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