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【縁の木】10周年のご挨拶〜白羽玲子〜

縁の木を立ち上げたきっかけ

縁の木の立ち上げは、当時勤めていた翔泳社で勤め上げる気満々だった私にとっては突然かつ必然でした。当時、次男坊が自閉症スペクトラムであると診断され、ほぼ同時期に母が急逝するという辛い出来事が重なりました。健康そのものだった母の死は突然で、準備もできないまま見送ることになり、深い喪失感とともに「私自身や夫が突然いなくなったら、この子はどうなるのか?」という答えのない不安に駆られました。

縁の木の白羽玲子です

そこで、障害を持つ人々が安心して働ける場所を作りたい、彼らが地域の中で自活できるような社会に少しずつでもしたいという想いが芽生えました。次男坊が進学する中で、フルタイムで働き続けるイメージが持てず、会社にも迷惑をかけるだろうと考え、柔軟な働き方ができる場として縁の木を立ち上げる決意をしました。初めは福祉事業所と連携し、彼らの商品を販売することから始め、次第に双方向でのビジネス展開を目指していきました。

次男坊が自閉症だと診断されたのは、まだ3歳の頃でしたから、当時は将来どんな障害特性が現れるか分からず。でも、子供が安心して成長し、暮らすことができる環境を作りたい、そのためには今から何か行動しよう、と感じました。なにが正解かは、いまだに分かっていませんが、後悔はしていないかな、という感じです。

その一環として、私は全国の福祉事業所と連携することにしました。障害を持つ人々が作るお菓子やグッズを販売するビジネスを立ち上げ、縁の木として活動を始めました。各地の事業所と協力し、彼らの商品を販売するだけでなく、コラボの商品も一緒に作り上げるという双方向のビジネスモデルをとれる仕組みにしました。

この活動を通じて、さまざまな障害特性を持つ人々と、彼らを支援する施設とつながることができました。例えば、知的障害や発達障害、身体障害など、多種多様な障害を持つ人々が通う福祉事業所と連携しました。それぞれの事業所が持つ独自の技術や強みを活かし、仕入れたり、一緒にお菓子を作るプロジェクトを進めていきました。

さまざまな福祉事業所とのつながりを築くことで、多くの支えと希望を見つけることができました。障害を持つ人々が活躍できる場を探し創り出すことで、彼ら自身が自信を持って働き、社会にも貢献できることを実感しました。

縁の木10周年にて高1になった次男坊と

使いこなせないけとSNSすごい、というお話

日々の活動の中で、多くの人々とのご縁が縁の木を支えています。特に印象に残っているのは、ツイッターでのつながりから新しいプロジェクトが生まれたことです。

当初、ツイッターを使いこなしていたわけではありませんでしたが、試行錯誤しながらも多くの人々と繋がることができました。例えば、ある日のツイートがきっかけで、プロジェクトが始まりました。その後、このプロジェクトを通じて多くの協力者が現れ、新しい商品開発や販路拡大に繋がりました。人とのご縁が新しい可能性を広げ、縁の木の成長に大きく貢献してくれたのです。
 振り返れば、アサヒユウアスさん、シモジマさん、岡田屋布施さんとのプロジェクトも最初はTwitterからスタートしました。

最初の1年間のチャレンジと支え

縁の木の最初の1年間は、本当に試行錯誤の連続でした。初めての小売業、初めての通販サイト運営、すべてが新しい挑戦でした。しかし、前職の翔泳社が手を差し伸べてくれました。特に最初の1年間、翔泳社から業務委託を受けることで、安定した収入を確保しつつ、自分のビジネスに集中することができました。この支えがあったからこそ、怖がらずに新しいことに挑戦し続けることができたのです。
縁の木の生みの親の1人が、親の急死や相続、障害者の子を育てる試行錯誤を見守り、助けてくれた翔泳社の仲間だと考えています。

コミュニティの在り方について

私たちはKURAMAEモデルや縁の木を特定のコミュニティと考えたことはありません。さまざまなコラボやイベントで多様なコミュニティとの連携を重視してきました。例えば、地域を超えたスタンプラリーを開催し、商店街やお寺、大企業さんまで規模も業種も多様なスポットが同じ仲間として参加できる仕組みを作りました。このような取り組みを通じて、多くの人々と交流し、地域全体の連携や協力に繋がっていくことを夢見ています。

みなさんがそれぞれ大切にしているコミュニティに属したまま参加できる横串の活動を作ることで、多くの人々が気軽に関わりを持てる環境を意識してきました。

思い出のプロジェクト

縁の木の活動の中で、特に自慢したい思い出のプロジェクトはクラウドファンディングで成功させたネパールの豆の販売です。ネパールから取り寄せたコーヒー豆を販売するプロジェクトでは、当初の予定よりも多い豆をお預かりすることになり、大きな驚きとともにどうやって売り切り、継続してネパールの豆を仕入れる体制をつくれるか、という課題に直面しました。

しかし、多くの支援者の協力を得て、最終的には全ての豆を売り切ることができました。当時ikiEspressoの焙煎士だった野村さんが声をかけてくれて、一緒にアイスコーヒーボトルを作るようになったのもこのプロジェクトがきっかけでした。このクラウドファンディングの成功は、とにかくうれしかったです。今でも大切にしているご縁が、このプロジェクトからたくさん生まれました。
また、アサヒユウアスさんがKURAMAEモデルの趣旨に賛同してくださって、蔵前BLACKの商品化を通じて回収と加工を担当した福祉事業所に原材料の仕入れ値としてお金を払って頂けた時は、初めてのKURAMAEモデルの成立の記念すべき日となりました。


縁の木を支えるための工夫と努力

縁の木の日々は常に「雑談」を大切にしてきました。忙しい時でも、人と話す時間を優先し、相談や助け合いの場を提供することが、昔も今も縁の木の支えとなっています。

10周年イベントのシーン

この雑談から多くのアイデアや協力関係が生まれ、活動を支える大きな力となっています。雑談の中で生まれたアイデアが実際のプロジェクトに発展し、多くの人々に喜ばれる成果が生まれると、雑談万歳、と叫びたくなります。
10周年のイベントをしようと思い立った時、パーティやレセプションをどれほど考えてもピンとこず、最も縁の木らしいイベントを考えた時、核は「雑談」だった、と思い出しました。そんなわけでイベント当日は「12時間耐久大雑談会」。入れ替わり立ち替わり、80名以上の方が雑談していってくださいました。

10周年イベントでの中小企業診断士のプチ講演会も!

縁の木ふりかえり=雑談力

縁の木の活動を通じて学んだ最も重要な教訓は、やはり雑談や日々の小さな交流が大きな力を生むことです。

「ここでなら話していいよね」とか「笑われないよね」といった心理的安全性を確保しながら、自由な発想と連携を大切にすることで、それこそが縁の木の成長につながっています。雑談から生まれるアイデアや協力関係は、縁の木の活動にとって不可欠な要素であり、これからも最も大切にしていきたい営みです。

やりたいのにできないこと。を話せる弱さ

台東区には農地がなく、広大な田畑を持つ地域ではありません。それでも、私たちが堆肥の活用に取り組んだのには理由があります。

2021年、生分解性紙器のedishを扱い始め、「燃えるごみに捨てたらただのゴミの生分解紙器を使ったり販売しているだけで、地球にやさしいとか言ってていいのかな?」と思ったのが、コンポストマシンを設置したきっかけでした。堆肥プロジェクトを始めた頃、台東区は農地ゼロでも、堆肥を使って何か新しいことができないかと考えていました。最初は「農地もないのに堆肥を作ってどうするの?」という疑問の声も多くありました。ここでも重要だったのは、「やりたいことと、できないこと。」をダダもれに雑談できる私の弱さでした。

堆肥は実は、農地だけでなく、都市部でも有効活用できる資源です。台東区のような都市部でも、住民がプランターを置けば、自宅や店先で簡単に野菜やハーブを育てられるはずです。そこでさっそく、堆肥を使った土づくりをして、プランター栽培を開始。大仕掛けではありませんが、ベランダ、軒先、店先、屋上、壁面・・・たくさんのエディブルヤードを生みだすポテンシャルが都会にはあるのです。
「オーガニックの母」といわれるシェ・パニースの創設者、アリス・ウォータースが提唱するエディブルスクールヤードの考え方で育つ小さな畑が、都会にあっても作れること。これからも目指していきたいと思っています。

つなぐハーブガーデン
たいとう福祉作業所でハーブを育てる利用者さん

このプロジェクトを通じて、台東区でも可能性を広げることができることを実感しました。広大な農地がなくても、私たちの手で新しく、ささやかな緑を育てることができるのです。このような取り組みが、さまざまな地域に広がり、さらなる連携と協力を生み出していくことを夢見ています。

縁の木のこれから

今後の縁の木については、コーヒー事業についてはこれからもさまざまな原産国の役に立てる仕入れを続けながら、福祉事業所との連携を深めていきたいと思っています。美味しい豆を焙煎し、ていねいに手作りされたお菓子とともにお届けする。それにつきます。
そして・・・KURAMAEモデルについては、実は具体的な目標はありません。地域資源を最大限に生かし、より多くの人々が少しずつでも受益者になれるプラットフォームを目指します。

地域資源てなんだろう、と考えた時に、従来廃棄していたモノだけではなく、人のつながりやその地域の歴史、店舗や学校、寺社も。ハードとソフトの別なく「地域資源」という名の基盤なのだと想いが至りました。これからも常に創業の想いを捨てず、一歩ずつ進んでいこうと思います。

縁の木と関わってくれるみなさまへ

縁の木は小さな成果をささやかに喜び、細かい挑戦を続けて積み重ねてきました。今までもこれからも、そんなささやかなご縁つなぎや商品開発を続けていきます。
もしも、縁の木の活動に興味を持っていただけたなら、ぜひ一緒に雑談で、新しいアイデアを出してみましょう。そして、今後も縁の木の小さな活動を応援してくださったら嬉しいです。
この10年間の歩みを振り返り、多くのご支援に心から感謝いたします。
縁の木はこれまで紡いてきた「ゆるくて切れないご縁」をこれからも大切にしていきます。今後ともよろしくお願いいたします。

縁の木はクラウドファンディングにもチャレンジをしています。

蔵前のような小さな街からでも創り出せる地域資源循環を発信したい

私たちは今、クラフトビール「蔵前エールbotanical」の製造に向けたプロジェクトに取り組んでいます。このプロジェクトでは、地元のカフェや学校から集めたコーヒーやカカオの焙煎残渣や抽出かす、食材の端材を資源として使用してたい肥を作り、それを使ってハーブを栽培し、原材料としたビールを醸造することを目指しています。

この活動には、2ヶ所の福祉事業所が関わっています。地域のカフェや焙煎店からコーヒーの抽出かすや給食の端材を集め、コンポストマシンに投入します。たい肥を作る重要な役割を担っていただいています。そして、その堆肥で三ノ輪の屋上でハーブを育てるのも、福祉作業所さんが担当してくれています。
この仕事を通じて、彼らは地域のお店や学校との顔が見える新しいつながりを持ち、工賃を得ています。

また、このプロジェクトは地元の蔵前小学校とも連携しており、サンドイッチ屋さんのパンの耳をコンポストマシンに投入し、できたたい肥で植物の栽培を行う子供たちの委員会活動として取り入れられています。

 最近は修学旅行や探究学習のための訪問や出張授業も増え、若い世代に身近から考える地域資源の再利用の重要性に気づいてもらう機会を創り出しています。「KURAMAEモデル」は、蔵前という地域だけでなく、多様な社会の中で誰もが関与し、支え合うことを可能にするモデルになることを目標にしています。このコンポストマシンの運営費には地元を大切にする台東区の代表的な企業であるシモジマさんコバヤシさん、そして珈琲を愛する味の素AGFさんのご協賛をいただいています。

おかげさまで、開店10周年の本日(5月23日)に目標を達成することができました。ここからは2回目に醸造する正式ラベルでの発売に向けてネクストゴールへ挑戦します。販売を共にしてくださるお店さんも募集中です。ぜひお声掛け下さい。

これからも楽しみながら小さなつながりをたくさん創っていきましょう。
よろしくお願いします♪

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