トラウマを克服した瞬間

これまでずっと自分で何かを決めることが怖かったのだけれど、とてもふんわりとトラウマを克服することができた。

トラウマの原因ははっきりしていて、自分で決めたことがことごとく失敗してきたからだ。もう自分で決めたくなかったので、決断を人に委ねたらうまくいった。

具体的には、進路や就職先を自分で決めたら散々な目にあったけど、人に誘われるがままに仕事を手伝ってみたら結構うまくいった、みたいな話である。

あるいは、みんなでご飯を食べに行こうというとき、わたしは「自分が食べたい物」をなかなか言い出せず、言い出せたとしても自分が食べたい物が選ばれることよりも「みんな」が納得できるものが選ばれることのほうが安心する。そんな風に生きてきた。

その反動か、自分でばしっと方針を決めてみんなを導くリーダーシップに憧れていた。そしてリーダーシップとは程遠い自分の考え方を、情けないと感じていた。自分で何かを決断するとろくなことがない、何かを選ぶ力のない人間なのだと。

これが自分のなかではまあまあ根が深い呪縛だったのだけれど、ところがどっこい昨晩の妻とのすれ違いの延長でこの話をしたところ、「わたしは素敵だと思うけど」と言われ、悩みが氷解してしまった。

自分では「他人の顔色ばかり窺う情けない奴」とか「自信がない奴」なんて認識していたところを、妻は「他人のことを考えられる優しい人」と形容してくれたのだ。

そう言われて振り返ると、自分がやってきたことは部分最適よりも全体最適を目指すものであり、関係者全員の利益を追求した結果であり、もっと言えば失敗した過去は「自分ひとりのことしか考えなかったから失敗したのだ」と思える。

あるいは、失敗したと感じたときは、前もって失敗を覚悟していなかったから失敗と感じたのだと納得できる。

自分ひとりの問題は検討が浅くなるから失敗することが多く、人を巻き込む問題は検討が十分になされるから失敗しにくいだけなのかもしれない。

まだうまくまとめられないけれど、心のつかえのようなものが取れた実感だけがある。

人は人と話をすることでしか癒されないのだと思う。

トラウマを克服する瞬間は思ったより劇的ではなかった。

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