「ブルシット・ジョブ」関連での感想をいくつか(エニア話ではなく)

『「ブルシット・ジョブ」を読んで、多くの仕事は「低賃金でも重要」か「高給でもクソ」の2択なのだと知った。 | Books&Apps』

新聞の読書欄で推されていたから知ってはいたのだけど、『ブルシット・ジョブ――クソどうでもいい仕事の理論』(デヴィッド・グレーバー)に関しての雑感を書きます(実際の本は未読です)。

著者は、自らの造語である「ブルシット・ジョブ」の定義について、さまざまな角度からの検討の末、こう述べています。

「最終的な実用的定義=ブルシット・ジョブとは、被雇用者本人でさえ、その存在を正当化しがたいほど、完璧に無意味で、不必要で、有害でもある有償の雇用の形態である。とはいえ、その雇用条件の一環として、本人は、そうではないと取り繕わなければならないように感じている。」
実際に「ブルシット・ジョブ」をやっていた人たちの生の声も収められていて、読んでいると

「いくら高いサラリーをもらっていても、ちゃんと働きたい人、自分がこれまで積み重ねてきた努力や資格、能力を示したい人にとっては、つらいだろうな」

と思わずにはいられません。

このかたは自身が高学歴なので、そういう視点で語られているように思えます。
日本なら、官僚なんかが、政治家のために「クソどうでもいい仕事」をさせられているように想像してしまいます。

こういう「なんでこれが仕事として成り立っているのか理解困難」な事例が多数出てくるのです。

 ゲルテ:わたしは、2010年にオランダの出版社で、受付嬢として働いていました。そこの電話が鳴るのは、たぶん日に一度あるかどうかでした。なので、わたしには別の仕事が二つ三つあてがわれていました。

・キャンディのお皿にミントキャンディを補充すること(ミントキャンディは、会社にいるだれかほかの方々が買い置きしてくれています。わたしはただ、引出しからキャンディをひっつかんで、隣の皿に放るだけでした)。

・週に一度、会議室に行って柱時計のネジを巻くこと(この仕事は、実はけっこう苦痛でした。なんでかというと、もしわたしが忘れたり遅れたりしておもりが落ちようものなら、わたしがその柱時計を修理しろといわれていたからです)。

・いちばん時間を費やした仕事といえば、もうひとりの受付嬢からの化粧品のセールスをなんとかしてあしらうことでした。 


これ、新聞の読者相談コーナーで昨年似たような話を読みました。
相談者は障碍(しょうがい)者で、障碍者枠で仕事をしているそうなのですが、その仕事に意味を見いだせず苦しいという内容だったと思います。
学歴や能力に関係無く「クソどうでもいい仕事」はあるようです。

ただ、これからは「やりがいのある仕事は、お金を払ってやらせてもらう時代」になっていくのかもしれません。

大部分の仕事が「コンピューターにやらせたほうが速いし正確」になっていく世界では、「ベーシックインカム(すべての国民に最低限の生活ができるくらいのお金を基礎収入として配る政策)」を導入したほうが、効率的になっていくはずです。

生産性が低い大部分の人間は、むしろ、働かないほうがいい。

ドイツの軍人ハンス・フォン・ゼークトの言うところの「無能な働き者」なんて、本当にいらなくなってしまうのでしょうね。そういう人には無難な娯楽が与えられるのでしょう。


読んでいて、そんな感想を持ちました。


2021/09/17追記
少し関連した話がありましたので、紹介します。
「無能な働き者」の娯楽はあるようです。ただし、その人の人生を溶かす娯楽です。

『なんでパチンコに人が群がるのかがわかって、いろいろと切なくなってしまった | Books&Apps』

では、
「デザインされたギャンブル依存症」という本のことが書かれています。


かつてのギャンブルはお金を欲しがる人の為のものだった。
しかし現代におけるマシンギャンブルが提供するものはお金ではない。”無”だ。ゾーンに入り込む事で人は「ほかの一切がどうでもよくなる」状態に居続ける事が可能となり、それがある種の人達にはお金以上に求められているのである。

「マシンを一度まわせば…没頭して、トランス状態が永続する」


南カリフォルニアのボウリングチャンピオンだった男の話。

人生がうまくいっていた頃は、ボウリングや友人といった”社会的によいとされる対象”を通じて何かに夢中になり、嫌な現実から目を一時的に離すことができた。
それが大人になって、そういう”社会的によいとされる対象”が手の中から離れた人に残った気晴らしの対象は、お金を入れれば絶対に動くスロットマシンしかなかったのである。ギャンブルが生み出す”ゾーン”は弱い人の為の心の鎮痛薬だったのだ。

彼はスロットマシンについてこう語る。

「 いわば俺にとってマシンは恋人であり、友人であり、デートの相手ともいえる」

「だけど本当はそんなもんじゃない。 掃除機だよ。俺から人生を吸い込む、 人生から俺を吸い込むものなんだ」


何かに夢中になれるというのは大変に尊い事だ。
世の中は本当に難しい。誰もが尊敬される形でゾーンに入れるような社会が、くればいいんですけどねぇ…。


はてな でのコメント。

パチンコは"超簡単に”ゾーン”に入れる"、と。これは同意。スポーツなり芸術なり学問なり、前準備が必要なものでゾーンに入れない、教養弱者に向けた癒しなのではないかと思っている。
おれはお馬さんだが、穴場券を当てて世界の王様になったような愉悦は、普通に低賃金労働していては決して味わえない。人生などゴミ地獄だ。

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