「なんで○○したの?」の繰り返し

戦中世代が、その子、その孫に言われて答えに窮した質問に、
「なんで、あんな戦争なんかしたの?」
があった。

・・なんてことを聞いたことがある。

でも、その質問した子や孫にあたる世代も、
次の世代から、
「なんで、原発で2つも事故を起こしたの?」
と言われる可能性がある。

あれから原発は、天災やテロ、他国からのミサイルに対する想定を厳しくして見つめ直しているのであろうか?
軽く考えてはいないか?
現に、再稼働の原発で問題が発生しているが大目に見てはいないだろうか?

現状維持。何も変えられない。それを止められない。
今、天災やテロと共に、原発事故が起きないと誰が胸を張って言える?

「1つ目だって、危険性は言われていたんでしょ?なぜ、1つ目から止められなかったの?」
「ドイツは、1つ目を受けて止めたよ」
「なんで、日本は止められなかったの?」

2つ目の事故が起きなくとも、
子や孫から、
「なんで、原発事故を起こしたの?」
と言われるようになるかも知れない。
近い将来、福島の原発事故処理が国民の負担になってきて、終わらぬ戦いに逃げ出したくなったときに、親や祖父母の世代に対し、「なぜ、こんな負の遺産を残しやがったの!?」「何してたの!?」となじってくる可能性はある。

これ、別に原発だけじゃ無い。
いろいろな○○が日本にはあふれている。

最近だと、工業製品(車や鉄鋼)を作る企業に対して、
「なんで、また、そんな不正をしたの?」
と我々は聞いている。

だから「なんで○○したの?」は、現在の日本なら、どこでだって起こり得る。
起きた後に関心を持ち、あやまちが明白になっている中で、子供や我々はその間違いをなじる。

「なんで年金を放っておいたの?」
「なんで少子高齢化を放っておいたの?」

「これ、僕たちのせいじゃないよね?」
「親の世代が無能無策だったから僕たちが苦労しているんだよね?」
「いったい、何をやってきたの?言ってみてよ」

でも実は、でも実は、まだ起きていない問題には無関心。無関心であることにすら気が付かない。

それで、そんなことを聞いた子供も、また大人になって・・・、
その次の世代から・・・。


※昨日「うなぎ」の話を書いたので、今日はこんな話を書いてみました。
※今夏だと「なんで炎天下でスポーツさせたの?」「なんで炎天下でスポーツなんかしたの?周りに流されてあなたは死にたいの?(これを言う人はタイプ6っぽくは無いけど)」が加わりそう。

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