暖簾心と蒟蒻刀
言葉は時に暴力となる。
というのは小学生から言われ続けてきた。
ぶっきらぼうな中山少年は学生時代、数多の女の子を泣かせてきた。
とはいえ、悪口言ってきたり、友達に対して最低なことを言ったから反論できないくらい言葉でコテンパンにするだけ。
ハムラビ法典というものを覚えてしまったがゆえ、そういうことをしてしまった。
言われたことに対して我慢できる限界はある。
こちらが我慢しているのを見透かして際限なく言ってくるセコい女もいた。
100言われて1言い返すと泣いて先生に告げ口。
なんてことはザラであった。
時に手が出ることは一回くらいだったかな。
その時は父親にめちゃくちゃ怒られた。
とはいえ、言ってきかない人間にどうするかなんて子どもは理解できない。
暖簾のように受け流す心も、こんにゃくのように柔らかい言葉の刃もない。
本を読めば多少なり人の語彙力を簡易的に勉強も出来るし、言い回しが素敵であればそれを日常で使うも良し。
言葉はアクセサリーだ。