夕食後の梨

小さい頃、実家では母がよく夕食後にフルーツをむいて出してくれた。

ウチはちょっと変わった家で(別にスタンダードを知っている訳ではないのだけれど、とにかく[普通]ではないと思うし、そう思うことで色々と消化している。この件についてはいずれどこかでまた)
家族が揃ってご飯を食べる場所はテレビのあるリビングで、夕食を作ってくれる母のキッチンは玄関前の廊下を一回経由して計3枚のドアを抜けないと辿り着けない構造になっている。
それはつまり、何枚ものお盆で食器や料理を運ぶ必要があり、大声で話しかけてもリビングからキッチンには到底声は届かないし、なんせ距離がある。
冬は暖房、夏は冷房の効きを良くするためにいったりきたりする度にドアを閉めることをしつけられた。

だからご飯を作ってくれている母と、夕方のニュースや明日の天気予報をテレビで見ているその他の家族は、遮断された空間に存在していた。

料理が出来上がった頃には色々と運ぶのを手伝ったりしたが、結局食べ終わってまた食器をキッチンに戻したら、後片付けをする母と引き続きテレビを見るその他の家族に分断された。

つまるところ、私や他の家族がもっと料理や片付けを手伝えば良かったのだが、冷房や暖房が効いていないキッチンは基本的に適温ではなく、居心地が悪かったし、ウチはテレビ至上主義的なところがあり、[良い番組]を観る為なら他のことはしなくて良い、というような風潮があった為、ゴールデンの面白い番組がたくさんやっている時間帯はみんな良くテレビを観ていた。母以外は。

今思えば、母はいつも寂しい思いをしていたのではないかと思う。

そんな母がテレビの流れるリビングに戻ってくるタイミングは、夕食後にフルーツを切って出してくれる時だった。本日のフルーツ、取り分け用の小皿数枚と皮や種を入れる為のボウル、小さいナイフをお盆に乗せてリビングにやってくる母。母の実家が農家でりんごや梨を作っていたこともあり、父の仕事関係の方々から頂くお中元やお歳暮の高級フルーツなど、なにかしらいつも季節のフルーツを用意してくれていた。

私は、リビングでフルーツをむいたり切ったりして出してくれる母が大好きだった。いつも旬で食べごろの美味しいフルーツだったし、器用に小さいナイフで素早くフルーツを取り分けてくれていたのを良く覚えている。何より母が明るいリビングに戻ってきて、座って、暖かい(または涼しい)みんながいる場所で作業しているのを見るのが好きだった。
自分で母をひとりぼっちにすることにしっかりと加担しておきながら何を今更、という話なのだが。

いつもお皿はガラスのボウルだった。ウチにはたくさんの食器があったが、フルーツは絶対ガラスだった。なんでだか聞いたことはない。

だから家を離れて、自分用のお皿を揃える時、どこかのタイミングでガラスの小皿も買っていた。そして今は自分で夕食後にフルーツをむいて食べている。母がしていてくれた頻度では全然ないけれど。そしてその日食べると決めたフルーツがたとえりんご一個やいちご数個など1人分だったとしても、なんだか相方にも少し出してあげないと変な気がしてくるのが不思議なところ。一緒に住む相方がそれこそリビングでテレビを見ていたり、書斎でなにか作業をしていたりするところに、欲しいかも聞かず、ちょっとだけフルーツを持っていってあげる。いつも喜ばれる。

秋分の日前日、今晩は前に買っておいた梨が食べごろだったので、夕食後皮を剥いて切り分けて、母を思いながらそれを食べた。相方には3切れお裾分けした。


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