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本に導かれて

10年ほど前の拙文であるが,埋もれた史実として知ってもらいたいと願って再掲する。
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年末から成田稔『日本の癩対策から何を学ぶか』を読んでいた。ハンセン病に関する書籍のほとんどは読んできたが,2009年6月に発刊された550ページの大著は買ったままに机の横に置いたままになっていた。

ハンセン病の歴史的考察としては,『「いのち」の近代史』など藤野豊氏一連の労作や大谷藤郎氏の『らい予防法廃止の歴史』,各ハンセン病療養所が編纂した記念誌などがあるが,本書はこれら労作以上の体系的な「ハンセン病問題史」である。もっと早くに読めば良かったと後悔さえする。

なぜこのような国家的規模の悲劇が百数十年間にもわたり続いてきたのかを,成田氏の言葉を借りれば「癩を病んで終生隔離された人に共感もせず,共存までも阻んできた施策の歴史を,書き残さなくてはならない思い」から,膨大な資料をもとに究明しようとした試みである。
特に,各療養所自治会の機関誌や記念誌,関係資料を丹念に読み込み,さらに専門医としての医学上の歴史的変遷に関する分析も含めて,実に仔細な考察を行っている。
この一冊で,我が国のハンセン病問題の歴史を概観することができると言っても過言ではないだろう。
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本の中に紹介(引用)されていた内容からその本へと,その本や著者に興味がわいて次の本へと導かれていくことは多い。

本書の一節に,1951年に山梨県の寒村で起こった「一家九人服毒心中事件」に関する記述があった。事件自体は知ってはいたが,本書に「伊波敏男のよる詳細なルポルタージュがある」と書かれていて,伊波氏の著書『夏椿,そして』が紹介されていた。

急ぎ,伊波氏の著書を古書店で探して購入し,一気に読了した。
本書は品切れ・絶版となっていたが,現在は大幅な加筆・改稿が行われ,さらに新稿を加えて書名も『ゆうなの花の季と』と改めて出版されている。本書は,伊波氏がまるで運命の糸に手繰り寄せられるように,各地で息を潜めて生きるハンセン病回復者の過去と内に深く秘めた思いを,詩情豊かな語り口で伝えていくルポルタージュである。

だが,描かれる一人一人の壮絶な半生は,思わず「もしハンセン病に罹患していなければ…」と考え込んでしまうほどに苛烈で酷い。ハンセン病に罹患したために人生を狂わされた人々だけでなく,ハンセン病はその家族や親族,友人・知人さえも容赦なく「ちがう人生」を歩ませてしまう。複雑に絡み合った「要因」を解きほぐしてみても,ただ虚しさだけが残る。誰一人として悲しみをもたない人間はいない。誰もが無情の思いをもつ。それがハンセン病問題の深刻さである。

伊波氏とはどのような人だろうか。彼の自伝ともいえる『花に逢はん』を入手して読んだ。休日の朝に届いた本書を,昼食も忘れるほどに夢中で読み耽った。

今まで療養所の中におられる入所者の方を中心にハンセン病問題を考えてきた。もちろん,社会に復帰された方が多くおられることを知らないわけではなかったが,彼らの秘した生活に思いを馳せるだけだった。しかし,それは甘い認識でしかなかったことを,伊波氏の著書から痛感させられた。

伊波氏のもとに,「ハンセン病」という運命の糸に手繰り寄せられるかのように,数奇な人生を送らざるを得なかった人々が集まっていく。彼の著書を読みながら,そんな思いを抱いてしまう。彼らの人生を翻弄させたものは一体何だろうか。考え込んでしまう。複雑に縺れ合った運命の糸の中で翻弄される彼ら自身もまた,なぜ私は…という問いを発し続けてきたことだろう。

秘して生きる。隠して生きる。知られないために細心の注意を払い,世間や周囲の目を常に気にして生きる。
ハンセン病に罹患していたことが知られたとき,彼らを襲う世間の容赦ない対応も,まだ昔のことではない。

「秘して語らず」。これは,ハンセン病と関わりを持った者が,この国で生きるための鉄則であった。しかし,その人たちの悲しみは,癒されることもなく,時の中に埋もれようとしている。
…「ハンセン病」が,いつも「死」に寄り添いながら存在していることである。その「死」とはハンセン病を病死と結びつけた懼れではない。社会から与えられる「烙印」への恐怖が,「死」へと誘うのである。それは,病人だけでなく,近親者も巻き込んで行った。
伊波敏男『ゆうなの花の季と』「時の中に埋もれて-はじめに」より

本書の中で特に胸を打つのは,一家九人の服毒心中事件を訪ねた「往路のない地図」と,父親を事故でなくし,葬儀に一時帰宅したハンセン病の母親が村に入れてもらえず,八幡神社の森陰から葬列を見送った後に縊死した娘との邂逅を綴った「散らない花弁」である。

ハンセン病に対する偏見と無知が人間の心を狂わせ,ハンセン病罹患者だけでなく近親者・関係者すべてを不幸に突き落としてしまう。悲劇は幾重にも重なって…人の心に決して癒えることのない傷を残す。

部落史・ハンセン病問題・人権問題は終生のライフワークと思っています。埋没させてはいけない貴重な史資料を残すことは責務と思っています。そのために善意を活用させてもらい、公開していきたいと考えています。