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部落史学習の実践的視点

-賤視の歴史的形成と克服過程を視座として-

(1) <人権拡大の歴史>の構築

①「差別される姿」を描くのではなく,差別が克服されてきた過程を描く,差別と闘う姿を描くことで,<人権が拡大されてきた歴史>を構築していくのが部落史学習である。 

確かに「差別された人々」はいたし,現在もいる。しかし,差別を克服しようとしてきた人々もいる。被差別民だけが差別をなくそうとしたわけではない。差別の不合理さと非人間性に気づき,差別をなくそうと立ち上がった人々は多い。

従来の部落史学習においては,厳しく悲惨な被差別の状態や状況のみが語られてきた。差別の悲惨さを提示して「だから差別はいけないんですよ」という論理からは,マイナスイメージと過去のことであるという認識だけが残り,他人事の判断から「きれい事」が語られるだけだった。差別はいけないことという道徳的訓辞に終始する結論で部落問題学習をした気になっている。それは「差別の学習」でしかない。

我々が目的とするのは「差別を解消していくこと」であり,その「主体者を育成すること」である以上,歴史の中に,差別解消の主体者であった先人を見いだして,彼らの生きた方・あり方を学ぶべきである。

「差別を受けても負けない」ではなく「差別を能動的に解消していく」人間を育成する部落史・部落問題学習が必要である。「差別に負けない」は受動的である。「差別を受けたときの対処や心構え」を説諭するべきではない。

②現在の「人権」は突然に生まれたものではない。長い間の人々の努力が「人権」を生みだし,それを社会が認め,確立し,拡大させてきたのである。

「人権」はつくられた理念であり,人々が生きやすい生存の状況をつくるための基本理念とした概念である。

『フランス人権宣言』にある「すべての人は生まれながらにして自由であり平等である…」の一文で,「すべての人」とは誰を指しているのか。
このとき,女性は含まれていなかった。
当時,オランプ・グージュという女性が『女性の権利宣言』を出版し,女性の権利を主張したが,彼女は「人民主権を侵害した」という理由で処刑されている。

『アメリカ独立宣言』において「すべての人」に黒人は含まれていなかった。彼らは人口数の計算上では「5分の3人」と計算されていた。
リンカーンの『奴隷解放宣言』は黒人を含む「奴隷制度」を廃止したに過ぎない。キング牧師による公民権法の制定によって初めて黒人と白人の権利が同等であると法的に認められたのである。

「解放令」(賤民廃止令)によって「被差別身分」は廃止された。しかし,日本におけるすべての権利上の同等は『日本国憲法』においてようやく保障されたのである。

③被差別民による身分解放の努力(平人化・脱賤化)が「解放令」を生み,「解放令」後に各地で立ち上がった被差別部落民による平民化行動の努力が「部落改善運動「融和運動」を生み,その延長上に「水平社」が生まれたのである。

「水平社」の思想と精神には,長い間の被差別民の願いと努力が結実している。

中世においては,未熟な科学的認識(迷信)を根拠にした賤視観が社会的慣習化することによって被差別民は位置づけられていた。被差別民のもつ独自の技能や技術を一方で必要としながらも他方で賤視を当然とした社会は,彼らに対して特別の「枠組み・扱い」をすることで共存関係を作り上げた。
その延長上にあった江戸時代においては,身分制度という支配を目的とした社会構造に彼らを組み込んだのである。被差別民から被差別身分へと社会的カテゴリーが変わったのである。制度として「被差別身分」がつくられたのである。

江戸時代における被差別身分の人々にとっての「解放」とは「身分解放」であった。百姓や町人,すなわち「平人」と同等の存在であることを社会的に位置づけることを目指したのである。そのための努力は彼らの社会的・経済的な面における生活向上であった。
その志向と努力が原動力として「渋染一揆」などの闘いを生み出していったのである。そして明治となり,解放令へと結実していったのである。

「解放令」以後は,解放令によって認められた社会的・法的権利を実体化・具現化させようとした動きが各地でおこる。
しかし反面で,江戸時代の認識のままであった民衆にとっては彼らの言動は「増長」以外の何ものでもなかった。身分制度という法的・制度的な絶対の「枠組み」において「別存在」として彼らを賤視することを当然とした民衆が明治になってもその見方を変えるはずはなかった。
被差別部落の人々にとって,もはや自らが被差別身分ではなく,江戸時代に叶わなかった「平人化」が実現した以上,「平民」と同じ扱いを要求するのは当然である。
この両者の対立が「部落差別」の根底となったのである。

④「水平社」の思想や運動が,「日本国憲法」の中の「基本的人権の尊重」や「平等権」(第14条)の条項につながったのである。

「水平社」の理念とは「えた」の存在理由を社会に認めさせることである。「えた」であることは恥ずかしいことでも卑屈になることでもない。
「えた」と呼んで賤視してきた民衆や社会自体の認識を変革することが「水平社」の目的であった。そして「すべての人間」を賤視すること,差別することを否定すること,人間を人間として完全に平等の存在として互いを認め合うことを「宣言」したのである。この理念に立ち,すべての差別を否定する運動が「糾弾」であった。

⑤「人間でありながら人間と見なされなかった(人間扱いされなかった)」人々こそが,そのように見られ扱われてきたからこそ,誰よりも「人間とは何か,人間とはどうあるべきか」を追い求めてきた。

このことから,「被差別民の歴史」とは,「人間の範囲」=「人間観」を拡大してきた過程であり,人権の適用範囲を拡大してきた歴史であった。

差別とは差別する者によって生み出され,継承されていく。自由とは「不自由」を感じることで認識できる。不平等の扱いを受け,不平等な思いをしてきた者であるからこそ,平等の本質がわかるのである。
差別された人々を考察するのではなく,差別した人々を考察すべきである。その時代の社会意識が彼らにどのような認識をあたえていたかを考えることである。

⑥わずかであっても先へと歩む一歩が,次世代に受け継がれていき,時代を切り開いていった。先人の思い・願い,そして努力は,「せめて子には,孫には…」の一念であった。「生命の流れ」が「人権の拡大」を生みだしたのである。

歴史も社会も人間が作り出してきたものである。社会意識は人間の意識の集積である。その人間の究極の願いとは幸福である。そして子供や孫への限りない愛情である。「人権の発展(成長)過程」とは人間の幸福追求の歴史である。

「人権」とは「すべての人間」にとっての「幸福実現」の基盤であり,理念である。

⑦我々は,今,その流れの途上に生きている自覚をもつべきであり,受け継ぎ,拡大していく歴史過程の中に存在していることを知るべきである。

未だ不十分である「人権」だからこそ,さらなる発展と拡大,充実が求められている。その役割が現代に生きる我々の使命である。過去からの人権発展の歴史を受け継ぎ,拡大・深化させていく「人権の継承者」の自覚を伝えていくことが人権教育を実践する教師の目的である。

その視点に立った私の「渋染一揆」の授業に寄せた生徒の感想を紹介しておく。

【私たちは,渋染一揆を起こして,差別を強めるような法令をなくしてくれた人たちにすごく感謝しなければいけないと思う。
もし差別がどんどん強まっていくままだったら,今の私たちの豊かな暮らしはできてないかもしれない。それに差別はどんなに悲しいものか,それを生命をかけてでもなくしていかないといけないほど,大変なものかを教えてくれたからだ。私たちはいじめや差別にこれから必ず出会うと思う。その時「それはいけない」ときちんと言えるようになっていかなければならない。だから,今のこの学習を大切にしたい。(A・O)】

【差別されることが,それがずっと自分の子孫に残っていくのはすごくいやです。でも,それを「いや」というだけにしておかないで,行動していく力があることがすごいと思った。牢屋から出た人が,自分たちのやってきたことを残そうと本を書いたことがすごい。その人たちが本を書いてくれたから,今私たちが差別について「いけない」「だめだ」という考えに変わるために勉強できているのだ。この人たちの将来を考えた行動が,今につながっていると思う。感謝しなければいけない。(N・O)】

(2) 中世(江戸時代以前)の被差別民

〇「賤視と排除」の時代を,いかに生きたか。

・「職能の分化」の中で,自らの社会的位置をどのように受け入れていったか。

(3) 近世(江戸時代)の被差別身分の人々

〇「差別が当然」の時代を,いかに生きたか。

・ 「枠組み」(身分制度)の中で,何を求めたか。
・人々が身分制度に束縛されていた時代に,どのようにして「人権の考え」が生まれてきたのか。

(4) 近代(「解放令」後)の被差別部落民

〇「不自由と不平等」の時代を,いかに生きたか。

①「部落改善運動」「融和運動」の考え

・ 自分たちの側(被差別部落)に「差別される」原因がある。

「復権同盟」は,明治12~14年にかけての自由民権運動の影響を受け,権利を回復するの意味で「復権」を使用するが,職業と身分をセットとする江戸時代の身分意識の延長上に「差別」を考えている。
つまり,自分たちが差別を受けるのは皮革業という賤業に従事しているからだ。皮革業から脱却しなければいけないと主張する。

・ 「差別される」のは,自分たち(被差別部落)の努力が足りないからだ。

「九州平民会」(明治24年)…社会進化論の影響を受け,競争の中で「出世」すれば差別から抜け出せると考え,その人間の気概,奮進の気象に富むかどうか,自尊自重の精神をもつかどうかに起因するとしている。

②「水平社」の考え

・「われわれがえたであることを誇り得るときが来たのだ」

・ 差別を受け続ける歴史,差別を受け続けたことが,自分たちにとって価値がある。つまり,差別する側が問題であり,原因である。

(5) 現代(「日本国憲法」後)の被差別部落民

〇「人権の確立」の時代を,いかに生きるか。

・ 「基本的人権の尊重」を日常生活で確立していくために,我々には何ができるか。

部落史・ハンセン病問題・人権問題は終生のライフワークと思っています。埋没させてはいけない貴重な史資料を残すことは責務と思っています。そのために善意を活用させてもらい、公開していきたいと考えています。