見出し画像

瀬戸内の被差別民(1):讃岐高松

全国部落史研究交流会編『部落史研究6 瀬戸内領国賤民制の構造と特質』に,山下隆章氏と頭士倫典氏,吉田栄治郎氏の報告論文が掲載されている。第7回全国部落史研究交流会で報告された要旨をまとめたものだ。

友人である山下氏の論文は,高松藩における被差別民支配に論究したもので,讃岐高松藩独自の「非人」制度である「籠守」「籠守下派」の存在を明らかにしている。

山下氏の論文も含め,本書に収録されている広島藩領の頭支配を論じた片岡智氏,津山藩の穢多・非人の役務を論じた頭士氏の論文をあらためて読むとき,各地方における被差別民の存在形態や支配体制の独自性がわかる。

山下氏によれば,高松藩には「非人」という身分呼称は見られないという。

讃岐は,近世初期に仙石氏,のちに生駒氏による一藩支配を受けていた。寛永17(1640)年に生駒氏が改易され,翌年,丸亀藩(山崎氏,のち京極氏),翌々年に高松藩(松平氏)に分藩される。その両藩における被差別民は「穢多」・「猿牽」身分の存在は共通するものの,他は大きく異なっている。

高松藩には,「穢多」「乞喰」「茶筅扱」「櫛挽」「ささらすり」「癩人」などの被差別民が存在した。これの書出は宗門人別改をもとにしているため,身分として確立したものである。このうち,「乞喰」「猿牽」については宗門人別改帳の存在を確認できる。丸亀藩の被差別身分が「猿引」「説教師」「おんぼう」「番人」「穢多(かわた)」からなることからをすれば,実に多様な被差別身分が存在したのである。また,「ささらすり」と「説教師」という呼称の違い,丸亀藩に見られる「穢多」と「かわた」の呼称の併用を高松藩では確認できないことは,良民支配の基底となる諸身分の再編成が分藩以後に確立したことを物語っていよう。

ところで,高松藩には「非人」という身分呼称は見られない。基本的生産手段から脱落した野非人状態の「乞食非人」を,「非人(躰之者)」「乞食遍路」「野乞食」などと表した記録はある。
山下隆章「讃岐高松藩における被差別民支配をめぐって」

各藩に存在した被差別民について,その身分呼称と実態,役務,差別的処遇の様相などを比較対照することで,地域的特色としての独自性と全国的な共通性を解明することで「近世という社会構造」が明らかにできる。

山下氏が論究している高松藩に見られる「籠守」と「籠守下派」と,和歌山藩の「牢番」とを対比して考察することも興味深いテーマである。

「籠守」の本来の役務は「牢番」であり,その手下が「籠守下派」である。つまり,「籠守下派」は牢番手下としての犯罪人警護など下級警察的な業務が主である。
しかし,それだけではなく「物真似」など雑芸能も行っているなど「物乞い渡世」を生業ともしており,近世「非人」の形態をなしていることからも,呼称は異なっているが「非人」的身分といえる。

部落史・ハンセン病問題・人権問題は終生のライフワークと思っています。埋没させてはいけない貴重な史資料を残すことは責務と思っています。そのために善意を活用させてもらい、公開していきたいと考えています。