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「部落問題」再考(3):近世から近代へ

現在の私の最大の関心事は,江戸時代までの「賤民制」が明治以後にどのように変貌したのか,である。
日本の歴史上もっとも大きな変化である近世から近代への大転換に際して身分制・賤民制が解体されたことにより身分差別がどのように変容・変質し,どのように新たな部落差別が創出されたかの過程を解明したいと考えている。
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『日本近代化と部落問題』に興味深い2つの論文が所収されている。
安保則夫「日本近代化と部落問題」と領家穣「部落差別の三層構造と部落解放への視座」である。

安保氏の論文は,序章と題して,本書に所収された各論文を簡潔に整理しながら各論文の関連に言及することで,近代以降の部落差別の変遷を考察している。

安保氏は,領家氏が論じている「部落差別の三層構造」から「明治以降の状況を整理」して「部落差別の存在形態」を三つの次元において捉える。

1つは「解放令反対一揆」に見られるような「暴力的差別の形態」であり,2つは「五万日の日延べ」に見られる「解放令を骨抜きにするための部落差別の形態」であり,3つは差別観念が「民衆心理の深層に深く根ざしていて,その深層領域から発現してくる」「明示的な言動よりも,暗示的な隠喩のことばやしぐさといった形をとる」「隠微で内向的となる傾向」の差別の形態(内なる差別観念)である。

これら3つの「部落差別の存在形態」は,個別に存在する場合も,複合して存在する場合もあるが,相互に深く関連している。

布告は,これまでの近世的な賤民制度の下で「社会外」に置かれていた「穢多非人等」の被差別民を,「近代的身分として臣民一般のなかへ制度的に統合し」,その結果として,彼らを「国家を頂点とした社会の最底辺に移し換える役割を果たした」といえよう。…今は「身分職業共平民同様タルヘキ事」とされた部落民が「身の程」をわきまえずに「増長」して「傲慢」な言動をとるようになるのではないかと恐れたからである。それは,一般民衆にとっては,自らの経済的基盤と共同体秩序が脅かされる深刻な危機と映ったことであろう。先のいわゆる「解放令」反対一揆は,そうした形で自らの生活圏に「侵入」してくる部落民への恐怖心が背景にあり,それが明治政府の一連の近代化政策に反発する民衆の心情と共鳴・増幅する形で暴発したものといえよう。

上杉聡氏の論考をベースにしながら,解放令以後の民衆心理が解放令反対一揆に至る背景を端的にまとめている。

「身の程をわきまえず」の表現は,被差別民に対する「差別観念」が前提である。つまり,単に「社会外の存在」ではなく,「社会外の存在」として排除・排斥し続けてきた「差別観念」があったのである。これは,近代における「部落差別」の前提として近世の「身分差別」,そして民衆の中に被差別民に対する「内なる差別観念」があったという証左である。

部落が差別されるのは部落に要因があるとする「部落責任論」も,この前提があるから成立する。
…近世賤民制度はあたかも「悪魔のひき臼」にかけられたかのように解体され,そこから粉々に砕かれて吐き出される形で,今や部落民が新たな社会的差別の対象として社会の最底辺に組み入れられていったのである。
…この(「悪魔のひき臼」の)作動過程において可視化されたのは被差別者たる部落民自身の存在のうちにあらわにされたその劣価値的属性であって,差別者の側での強権的な抑圧行為はほとんど不可視にされたままであった。いわく,部落民は「不潔」で「穢れて」いて,言動「粗暴」で態度「傲慢」だから云々というわけで,彼ら自身にこうした問題があるゆえに,彼らは一般社会から忌避・排除されて当然だとみなされたのである。

この「劣価値的属性」は,明治以降に新たに付与されたものなのか。解放令以後の被差別民の(差別解消・同等同一の権利要求)立ち上がりに対する拒絶を正当化するために生み出した(理由づけた)ものなのか。
それとも,近世賤民制度において認められていたものなのか。

領家氏の論文で注目するべきは「社会的差別の三層構造」である。

領家氏は「部落差別とは『部落』という社会的範疇が日本社会の基本的構造とどのような排除関係にあるかという問題」と定義する。領家氏は「日本社会の構造的特質とその下での社会的範疇分けと評価体系のあり方」から「社会的差別」を次のように体系(構造)化する。

…日本人の意識構造に内在している「内」「周辺」「外」という三層構造は,小規模な地域共同体からあらゆる集団・組織を網羅した大規模な社会制度にいたるまで,その各々の社会構造のなかに組み込まれた「中核」「周辺」「外部」という差別構造と連動して機能する一方,そうした差別構造の下で種々に区分された社会的範疇のなかで,何がその中心部に位置し,何が内部に入ることが許されないかといったことが決定されてきたのである。「部落」に関していえば,「日本社会」という普遍的な社会の構成要素としては受け入れられなかったのであり,いわゆる部落起源論などといった取り扱い方が生まれてきた理由の一端もそこにあるといえよう。「部落」が一種の「異界」として受け取られ,一般社会から隔絶されてきたものとしてタブー視されてきたことも,この受け入れようとしない一般の側の心性と結びついている。そして,この心性は一定の政治権力のあり方をとおして長い期間にわたって民衆のあいだに制度的に浸透していったのであるが,社会的範疇分けと内部への受け入れ拒否は,一方では,小規模な地域共同体内部の習俗として存在するとともに,大規模な組織社会のなかで制度化されることによって,社会生活面での「自明」の領域として,棲み分け的な作用効果をもたらしたといえるのではなかろうか。
…「部落差別」とは,このような構造的な力関係のなかで「内」,「中核」へ受け入れない関係を意味しているのである。

少し複雑な言い回しなので,安保氏の要約を引用しておく。

…日本社会の構造的特質として,日本社会を「中核」「周辺」「外部」の三層に範疇分けして,それらのあいだに価値の序列化を持ち込もうとする評価体系が内在化していることが指摘される。これは,社会的差別ということでいえば,さまざまな集団や組織において,中核として受け入れる対象,周辺としてしか受け入れない対象,さらにそのいずれにも受け入れられない対象,といった三分割法がとられていて,この三分割法に対してそれぞれどのような社会的範疇が対応するかということが社会的に決定されるという構造である。そして,このような社会的差別の構造の下に,部落・部落民であることを理由に,特定の個人または集団に対して社会参加が拒否されるという形で部落差別が発現してくるのである。

「社会的に決定される」とは,国家・権力が決定する場合もあるが,その社会を構成している集団・組織の場合もあれば,民衆・個人が決定する場合もある。
また,部落・部落民が常に「外部」として「受け入れられない対象」であったわけではない。時(時代)と場合(政治制度,社会情況など)に対応した差別する側と差別される側との関係にさまざまな様相が発現したと考えられる。

領家氏の部落差別を日本社会の構造的特質との関係で把握しようとする視点は重要である。
ただ,なぜ受け入れないのか,なぜ受け入れなかったのか,なぜ「社会参加が拒否」されたのかという「部落差別」が発現する理由・背景についての考察は弱い。

なぜ「部落」は「差別」されたのか。なぜ「部落民」は民衆から排除・排斥されたのか。

…「部落」が存在するというのは,なによりもまず「部落差別」の存在によって,「部落」の存在が実体化され,維持されているのであって,決してその逆ではないからである。その意味で,「部落」を実体として捉えようとする見方は,「部落差別」によって作り出された「部落」と「部落外」の関係性の確立を前提としているということになる。
…「部落」と「部落外」の関係性を問うことを通じて部落差別を温存している社会的差別の構造そのものの解体へと迫っていくこと…安保則夫「序章 日本近代化と部落問題」

領家穣氏は「『部落』が存在しているということは,差別が人びとの意識のなかにあるということだ」と言う。

部落史・ハンセン病問題・人権問題は終生のライフワークと思っています。埋没させてはいけない貴重な史資料を残すことは責務と思っています。そのために善意を活用させてもらい、公開していきたいと考えています。