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忘れないために

友人が共著(監修)『13歳から考える ハンセン病問題』を上梓した。早々に読了したが、中学生向けにわかりやすく「ハンセン病」について解説しているだけでなく、ハンセン病をなぜ問題としなければならないか、なぜハンセン病問題は「差別問題」であり「人権問題」なのかを<ハンセン病の歴史>から説明している。つまり、ハンセン病そしてハンセン病患者に対して周囲の人々や社会が、国家が如何なる対応をしてきたかを、なぜそのような対応をしたのかを、人権や共生の視点から、それを裏付ける当事者の証言を通して明らかにしている。
そしてハンセン病問題を学ぶ意味を、最近の「新型コロナ」問題と関連させて、<感染症などの病>と差別について提起している。

ともすれば学校現場での授業、あるいは職場や家庭での啓発は、「知識」を伝えることに終始してしまいがちである。確かに「正しい知識」を伝えることは重要であるが、それだけでは<他人事・無関心>として記憶の片隅にわずかに残り、やがて過ぎ去っていく。部落問題も障がい者問題もLGBTQの問題も、人権問題や差別問題は当事者以外にとって自分とは関わりの薄い問題と認識されやすい反面、いざ自分と関わりが生じ始めると<排斥・排除>へと容易に転化する。「感染症」であれば尚更である。

本書では、ハンセン病患者に対する<排斥・排除>が、国家の「絶対隔離政策」として実施され、それを正しいと信じた社会や人々による「無らい県運動」として実行された史実を取り上げ、ハンセン病問題の核心に迫っている。特に、<「らい予防法」違憲国家賠償請求訴訟・ハンセン病家族賠償請求訴訟>の2つの裁判、そして<検証会議>を通して「絶対隔離政策」を正当化してきた国家や社会の罪過について、二度と同じことが繰り返されないために何を教訓とすべきかを提起している。

一方で本書は、「無らい県運動」により強制連行され、「存在しないもの」として離島や隔絶された施設に「絶対隔離」された患者たちが、文化や芸術活動で自らの存在と人生を証明しようとしたり、人間として当然の権利を獲得しようと訴え続けたりした姿も描いている。

ただ、私としては、入所者の劣悪な生活環境や苛烈な園内作業を強制した園長や職員、待遇改善を求めた入所者に対して反抗的であると「監禁所(檻房)」に閉じ込めた彼ら、さらに草津の極寒地に建てた「特別病室」に送り込んだ彼らの思想を考察してもらいたかった。
残酷な行為も非人間的な扱いも、管理する側の人間には平気であったのだろう。「目的のために手段を正当化する」論理こそ人間を狂わせてしまう。この論理が、「絶対隔離」「檻房」についても、自己正当化のため使用されたのである。

本書を手にしてほしいのは、中学生ではなく、むしろ学校の教師であり、職場や家庭の大人である。教師や大人が本書を通して自分の問題として学び、自らの思いを乗せて、自らの言葉で子どもたちや周囲の大人に伝えてほしいと願っている。

部落史・ハンセン病問題・人権問題は終生のライフワークと思っています。埋没させてはいけない貴重な史資料を残すことは責務と思っています。そのために善意を活用させてもらい、公開していきたいと考えています。