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村上春樹と部落問題

20数年前、愛媛県新居浜市に講演を依頼されて訪ねた際、ある高校の先生から紹介されたのが『週刊朝日』(「朝日ジャーナル」と思い込んでいたが)に連載されていた村上春樹さんのエッセイでした。そこには、自分の高校時代の苦い思い出を正直に書き綴った一文があった。

「こんな差別を私はした」と、彼は書いている。今は『村上朝日堂はいかに鍛えられたか』(新潮文庫)というエッセイ集に収録されて、一番最後のエッセイにある。

簡単に内容を記しておく。
彼が兵庫県の高校に通っていたある日、教室に入っていくと、友だち同士がある女の子のことについて話をしていた。聞き慣れない言葉が耳に入ってくる。「何だろうか。彼女のことを言っているのかな」と漠然と思った彼は黒板に先ほど聞いた言葉を書いた。
その女の子が教室に入ってきて、黒板を見てびっくりして教室から飛び出していった。彼は何のことかさっぱりわからない。何日かしたある日、二人の女の子が彼のところにやって来る。
「村上君、黒板に書いたの、あんたやろ。あれがどんなことか知っとる」「知らない」と答えた彼に「あのな」と、その意味を彼女たちは教えてくれた。
彼が書いたのは被差別部落の俗称だった。彼は兵庫県にある被差別部落の名を黒板に書いた。
彼は同和教育を一切受けていない。部落のことも知らなかった。その言葉の意味も知らずに黒板に書いた。二人の女の子は彼に兵庫の部落の歴史を語って聞かせる。
そして彼は、「ああ、そうか。俺が彼女を傷つけてしまったのか」と、初めて気づく。

このエッセイの最後に、彼はこう書いています。

その時の私にはそんなことで人が人を差別するという事実がよく飲み込めなかったからだ。でも、ただそれだけではない。私にとってそれよりももっとショッキングだったのは、この世界では人は誰でも無自覚のうちに誰かに対する無意識の加害者になりうるのだという、残酷で冷厳な事実だった。私は今でも一人の作家としてそのことを深く深く怯えている。

私は今までこのエッセイを教材に使って授業をしてきた。社会啓発にも使っている。テーマは「寝た子を起こす」である。

人間は知らなくても人を傷つけてしまうことがある。「部落差別なんか、部落問題なんか勉強しなくてもいい。寝た子は起こさなくていいんだ。知らなければ、部落差別なんて起こらない」と言われる方が今もたくさんいる。
20数年経っても、同和教育から人権教育にかわり、部落問題が学校で語られることが少なくなり、また同和問題に関連した法律が失効し、同和対策事業も他の事業に統合されて久しいにもかかわらず、未だに部落問題は根強く残り、暗黙の了解であるかのように伝わっている。

村上春樹はその後、作家となり、中上健次と知り合い、亡くなった中上健次と親しくなって部落について学んだという。ただ、実際はどうであったかについて私は詳しくはない。
(このことに関しては、「くろまっく」さんのブログに詳しい)

私は、村上春樹さんの正直で素直な「告白」と、その体験から学んだ「事実」を心にしっかりと刻んで生きていることに感銘を受けている。
誰もが「無自覚のうちに誰かに対する無意識の加害者」となりうるのだ。この「事実」を自らの意識として自戒するならば、東京オリンピックに関係して騒がせた問題も、ネット上に流れる「誹謗中傷・罵詈雑言」も少しは減っていくのではないかと思っている。

部落史・ハンセン病問題・人権問題は終生のライフワークと思っています。埋没させてはいけない貴重な史資料を残すことは責務と思っています。そのために善意を活用させてもらい、公開していきたいと考えています。