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江戸社会(1):江戸時代の見方

「長い間,江戸時代の史料を読んでいると,その時代の雰囲気に染まってしまう。江戸時代の武士の発想法が,手に取るようにわかるようになり,史料の裏まで読めてしまう」とは,山本博文さんの言葉(『バカ殿様こそ名君主』「あとがき」)であるが,確かにさもあらん。

現代の価値観や社会観,常識から江戸時代を見ると,とんでもない落とし穴にはまってしまう。教科書にも,そのようなまちがった発想をさらに強調した記述が見られることがある。
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山本博文さんも書いているが,参勤交代の目的を幕府が大名に莫大なお金を使わせて財力を疲弊させるためだという定説もまた,どうやら間違いのようである。加賀藩は現代の金額で3~6億円ほど参勤交代に費やしたが,加賀藩の収入は約300~400億円である。家臣の知行や給金,藩の運営費用を差し引いても,それほどの負担(出費)ではない。小大名であれば負担もそれなりの比率であっただろうが,財力の疲弊の要因とまではならなかったと思う。

何より,幕府の意図が当初より財力の削減にあったとは考えられない。そもそも「参勤」は大名の方からの行為で,要するに「ご機嫌伺い」に過ぎなかった。家康の前は秀吉に参勤していたのだ。それを家光が武家諸法度で制度化しただけだ。

参勤交代の問題の一つは,大名行列による交通渋滞であった。そこで,幕府は諸大名に「人数を少なくしろ」と命じるが,大名は威厳を示すために家臣を減らさない。要するに「見栄」が優先しているのだ。

財政上の負担になっていったのは,他の出費が大きくなり,しかも借金返済が藩財政を圧迫するようになってからである。これは,現在の国家財政状況と非常によく似ている。膨大な国債発行額と歳出に占める公債金の比率を考えれば,また地方自治体の財政状況など,江戸時代の幕府と諸藩の状況に酷似している。
一面のみから歴史を考察することは危険なことである。また,史資料から推察していくとき,特定の歴史観や価値観からの憶測が先行してはいけない。特に独断と思い込みが強いと,多面的な考察を妨げてしまう。

あらためて歴史の長さを痛感している。江戸時代もそうだが,実に270年間の「長さ」は,実態の変化(変遷)を意味していることを忘れてはいけない。幕府や藩の財政もそうだし,庶民の生活も変化・変容しているのだ。

「倹約令」もまた同様に,多面的な変化・変容から考察していかなければならない。綱吉の貨幣改鋳もインフレを招いた悪政という面だけで判断すべきではない。インフレになった反面,経済は活発になり元禄文化を生み出した。バブル期を考えればわかるだろう。新井白石による貨幣の質を元に戻す政策は,デフレ状態を引き起こし,経済は沈滞した。その結果,吉宗の代には家臣への給金さえなくなり,「倹約令」などの政策を出さざるを得なかった。

田沼意次の賄賂政治も別の見方をすれば,家格による幕府職制を「賄賂」によって打破したとも考えることができる。

「倹約令」についても,その歴史的背景と政策の意図・方策・結果などを多面的・多角的に考察する必要がある。「渋染一揆」においても,他の衣服統制や身分統制についても,歴史の流れ,諸藩の財政・社会状況,庶民の意識などを多面的・多角的に考察しなければならないと考える。

部落史・ハンセン病問題・人権問題は終生のライフワークと思っています。埋没させてはいけない貴重な史資料を残すことは責務と思っています。そのために善意を活用させてもらい、公開していきたいと考えています。