イメージの陥穽
先日、公立一般入試の引率に行ったのは、岡山部落問題研究所の大森久雄氏が長年勤務されていた高等学校であった。奇しくも、引率待機の2日間で読み込もうと持参した資料(紀要のコピー)の著者が大森氏であった。
私の出発が解放同盟系であったこともあり、全解連系の書籍・論文に関しては、ほとんど手に取ることもなかった。当時は両者の対立もかなり激しく、政治的・社会的な運動方針から学者・研究者による主義主張や歴史解釈に至るまで相互に批判し合っていた。私は学生時代にマルクス主義の洗礼を受けていたため左翼思想ではあったが、部落問題、特に解放運動に関してはまったくの初心者であり、教師という立場から同和教育を実践する中で、さまざまなことを学んでいった。しかしながら、差別解消への希求と被差別の立場への共感はありながらも、解放同盟の糾弾路線などの強硬姿勢、差別事象(事件)における加差別者への容赦ない追及と断罪には違和感と疑問を抱いていた。
封建遺制を理由にした「近世政治起源説」にも、その短絡さに疑問を持っていた頃、<部落史の見直し>が始まり、上杉聰氏を筆頭に部落史関連の書籍や紀要などを買い漁り、時間を忘れて読み耽った。社会科の教師としても、同和教育においても、部落問題の歴史的背景を明らかにする必要を痛感していた。
当時の教科書は「貧農史観」や「士農工商の身分制ピラミッド」「搾取(収奪)と抑圧」が歴史(江戸時代)の真実(実態)であったかのように書かれ、百姓(農民)の悲惨な生活が強調されていた。賤民身分の人々は、小学校では「さらに低い身分」と統一表記され、中学校では「えた」「ひにん」とひらがな表記され、百姓よりもさらに貧困・悲惨な生活を実態とし、上下の身分差別における最下層の身分として蔑まれ差別された人々であると描かれていた。
教師はそれを信じ込み、疑うこともなく、教科書や指導書、副読本の記述そのままに受け入れ、さらに貧困や差別を強調した<イメージ>を生徒にわかりやすく伝えるために、「イラスト」や「図表」「説明」を創作した。『慶安御触書』の「稗・粟」を「鳥のエサ」と思い、店で買ってきた「鳥のエサ」をレンジで調理した教師がいたそうである。「身分別に人物のイラスト(絵)」を描き、賤民身分の人々を藁の腰蓑などの見窄らしいボロボロの着衣姿で表現した教師も多くいた。私も研究授業で幾度か見た。
さすがに現在ではそのような授業を行っている教師はいないだろう。「士農工商」の身分制度が記載されていないなど、教科書記述も大きく変更されている。しかし、未だに百姓や賤民の<イメージ>が従前と変わらない人々も多いのではないだろうか。一度固定化された<イメージ>はなかなか払拭されない。
<イメージ>形成に果たす「映像」や「絵画(劇画・漫画・挿絵」の影響は大きい。当時の映像は当然のこと、明晰な絵画さえほとんど残存していない以上、それらを個人が想像によって創作するしかない。一例を挙げれば『カムイ伝』に描かれた非人や百姓の着衣や生活の様子があるが、果たしてどれだけ実像に近いのだろうか。
私は現代の価値観で過去を判断すべきではないと考えている。たとえ現代に照らして、過去の事象があくであろうと人権侵害であろうと、その時代の法律であり規範意識によって判断されるものである。同様に、現代の職業・仕事を過去に投影すべきではないとも考えている。
例えば、江戸時代の江戸町奉行と東京都知事が同業と見做す人はいないだろうが、現代の警察官と穢多・非人を「司法・警察」という同業であると論じる人間がいる。確かに、治安維持・行刑・番人などの<役>を命ぜられているが、その実態は現代の警察官の立場や職務とは大きく違っている。まず「身分」がまったく違うし、組織体制および指揮命令系統が違う。何より江戸時代は武士による支配体制であって、現代の国民国家に基づく統治体制ではない。身分制度に基づく身分社会にあって、下級役人として治安維持に携わってはいても、穢多・非人は支配身分の立場である武士ではない。
安易に現代の警察官と同じと決めつければ、警察官の<イメージ>で「穢多・非人」の姿を<イメージ>してしまう。実態や実像と大きくかけ離れた「穢多・非人」の姿が創られてしまう。その延長に、差別されていなかったとか賤民でなかったとか、社会に必要とされた仕事について感謝されていたなどと史実を無視した暴論に行き着くのだ。
岡山藩の<目明かし役>に関する史料を読めば、穢多・非人を統治するとともに町や村の定廻りを命ぜられた実像がわかるだろう。
食わず嫌いではないが、一時期、全解連系の研究者の著書や論文、紀要などはほとんど読んでこなかった。しかし、、<部落史の見直し>に関係するもの、特に岡山の部落史に関するものは入手したり県立図書館などでコピーしたりしてきた。それらは長く未整理のままであったが、昨年より読み始めた。
特に人見彰彦氏と大森久雄氏が、岡山部落問題研究所が所蔵する史料をもとに解題した岡山藩の部落史に関する論考は実に興味深く、教示される視点や考察は学ぶべき事が多い。何より紹介される史料は岡山藩の賤民の実態を解明する際に極めて重要である。
『調査と研究』誌に掲載された時期が1970~90年代とやや古いこともあり、考察の基盤である歴史観や思想の影響もあり、現在の私にはその解釈に疑問を感じる部分もある。
しかしながら、それ以上に活字化(書き下し文・読み下し文)された<史料>は貴重である。今後はますます入手が困難になり、忘れられてしまう恐れがある。後世の研究者にとって必読の史料であると思い、無断ではあるが引用・借用させてもらい、私なりにまとめて残しておきたいと考えている。
特に岡山の部落史に関しては解明されていない史実も多い。両氏が作成した岡山藩の部落関係史などは岡山藩の賤民がどのように支配体制に組み込まれていったのか、どのように統治に利用されていったのか、その歴史的経緯がわかる。また、全国(幕府や他藩)の動向や岡山藩の政治及び社会の動きなどと対比しながら考察することも可能である。
「渋染一揆」や「明六一揆(新政反対一揆・解放令反対一揆)」に関しても、独自の視点から考察が行われていて興味深い。
現代は映像技術が進歩しており、CGやVRなどで過去の様子をリアルに再現できる。またアニメや漫画(イラストなども含めて)など視覚情報も多い。そのため、史料などの文献的情報がイメージ化されやすい反面で、これらの影響を強く受けてしまう。その結果、想像されるイメージが実態や実像を忠実に再現化できているとは言い難い。
特に史料の独断的な解釈や思い込み、偏見などが強い場合、史実とは異なるイメージを創り出す危険性がある。
繰り返すが、現代の「警察官」や「裁判官」と江戸時代の「司法・警察」は違う。短絡的に「職務」だけで同一と見なすことは大きな錯誤を生み、<イメージの陥穽>に嵌まり込んでしまうことになる。史料を厳密に読解し、その時代の価値観や政治・社会の実態に照応させながら、正確にイメージ化することが重要である。
部落史・ハンセン病問題・人権問題は終生のライフワークと思っています。埋没させてはいけない貴重な史資料を残すことは責務と思っています。そのために善意を活用させてもらい、公開していきたいと考えています。