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湯峰温泉とハンセン病

和歌山人権研究所に書籍を注文したところ,書籍とともに「和歌山の部落史編纂会だより(2号)」を送っていただいた。その中に,「近代の湯峰温泉とハンセン病」(矢野治世美)があった。昭和初期までのハンセン病患者の実態がわかるので,紹介しておきたい。

田辺市本宮町にある「湯峰温泉」は,小栗判官の伝承でも知られるように,古くから「癩」の治療に効果があるとされ,江戸時代には「非人湯」が設置されていた。
小栗判官の伝承
毒酒を飲まされて死んだ小栗判官が,病み崩れた癩の身となってこの世に戻され,餓鬼阿弥といわれながらも妻照手姫の引く土車に乗せられ,熊野湯の峰に浴したところ,神々の功徳のおかげで,元の偉丈夫に戻ったという奇跡譚である。
非人湯
江戸時代,温泉地に設置されていた病人救済のための無料入浴施設

湯峰温泉には,他の宿屋から少し離れた場所に,ハンセン病患者が滞在した宿屋があり,患者は一日拾銭の入浴料を払い,「疾病者共同入浴場」を利用していた。

明治40年(1907)に,ハンセン病の「浮浪患者」の強制隔離を認めた「癩予防ニ関スル件」が成立し,明治42年には全国五カ所に公立の療養所が設立され,「浮浪患者」の強制収容が本格的に実施されるようになる。

昭和3年(1928),四村村の元村長の玉置喜代作が,湯峰温泉に「癩患者収容所」の建設を計画する。施設の運営費は,寄附と政府の補助金でまかない,患者の世話は玉置自身が行うという計画であった。一時期は十数名のハンセン病患者が生活していたようである。

昭和4年,「四村温泉浴場及び温泉使用条例施行細則」が村会で可決された。この施行細則には「他ノ入浴者ニ不快ノ感情ヲ起サシムル恐レアリト認ムル容貌モシクハ形体ノ者」は「浴場ノ使用ヲ拒絶ス」という規定があり,ハンセン病患者もそれに該当した。

昭和5年3月,ハンセン病患者が利用していた「下湯温泉」への給湯廃止に関する議案が村会に提出される。その五ヶ月後,給湯が停止された。
その理由は,村の財政難を解決するため,湯峰温泉は村の収入源として期待されていたが,治療効果を求めて各地から集まったハンセン病患者の姿を見るなり,温泉客が帰ってしまうことが少なくなかったためのようである。また,患者の多くが貧窮のため,村に納付する温泉使用料も滞っていたのも原因であった。

患者からの数回にわたっての嘆願により,村会で再協議した結果,温泉使用料の滞納金の半分を納付することと,温泉使用料を半額にすることで解決した。
しかし,全国で「無癩県運動」が始まり,ハンセン病患者の地域社会からの排除が加速する中,昭和6年に「癩予防法」が公布され,強制隔離政策が実施されるようになると,昭和10年頃には湯峰温泉の宿屋も取り払われた。

全国の有名な温泉施設と被差別民やハンセン病患者との関わりは古い。特に病気に効くと知れば、藁にもすがる気持ちで遠路を尋ねる。今も昔も変わらぬ心根である。しかし、そこで待ち受けていたのは厳しい差別であった。
「感染」という言葉に、どれほどの年月、どれほどの悲哀が流れたであろうか。そして、今も同じ悲劇が起こっている。


部落史・ハンセン病問題・人権問題は終生のライフワークと思っています。埋没させてはいけない貴重な史資料を残すことは責務と思っています。そのために善意を活用させてもらい、公開していきたいと考えています。